忍者ブログ
by ST25
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 増田悦佐 『高度経済成長は復活できる(文春新書、2004年)
 
 

この本は、日本経済の高度成長が70年代前半に終わったのは、経済成長を敵視する社会主義革命家が政権奪取に成功したからだという主張を展開する。その社会主義革命家とは、積極財政、拡大志向、そして利権政治の親玉として、社会主義的な思想信条とは対極に位置するように見える田中角栄だ。 (p13)

 という、「角栄政権社会主義革命説」を説得的に論じている本。「トンデモ本」っぽいタイトルだが、決してそんなことはない。4章と5章は妙にナイーブで「勇み足」的な話に終始しているけれど、それ以外のところの分析、論証、処方箋はどれもしっかりしているし、おもしろい。

 
 
 この「角栄政権社会主義革命説」は、まず前提として、日本の高度成長が70年代前半に減速に転じた理由に関して、経済学ではメジャーな「人口移動原因説」を採っている。

1960年代末までの「奇蹟の高度成長」期には年間40万~60万人に達していた地方から都市圏への人口流入が、70年代半ばについにゼロまで落ちこんでしまう。そして、この地方から大都市圏への人口移動の縮小と並行して、日本経済は他の先進国並みの低成長経済へと転落する。 (p26)

 この人口移動は、特に農業部門から工業部門への人員の配置転換であり、これはすなわち、より効率的な分野への人員転換であった。

 そして、この流れを止めた犯人だとされるのは田中角栄である。すなわち、「日本列島改造論」の名の下、田中角栄が地方に大量の公共事業をぶち込むことによって地方に仕事を無理やり作り、地方から都市への人口流入を止めてしまったというのだ。

田中角栄が、生涯を通じてこの「農村工業論」(=農村への工業の移転こそが農村の疲弊を救い、流入民の激増による大都市圏の政情不安、治安悪化をも救う理想の政策だとする主張)以上の経済認識に到達したとは考えられない。一連の「過密と過疎の同時解消」政策を推進する上で、一瞬たりとも、「都市に人が集中するのは、経済効率がいいからではないか」といった疑念に駆られた形跡はない。彼にとっては、「人口密度が高くて経済活動も活発な地域と、人口密度が低くて経済活動も停滞している地域があれば、人口の多いところから少ないところへ人間を移住させるほうが効率的だ」というのは、疑問の余地がない自明の前提だった。(p88)

 
 
 著者の主張を裏付けるデータとして、例えば、都市部住民と農村部住民との消費水準の伸び率の差(60年代後半と70年代前半との比較でも、戦前と戦後の比較でも農村の方が高い伸び率を示している)や、産業ごとの労働生産性の1975年と2000年との伸び率(建設業の生産性だけが低下している)が提示されている。

 そんな田中角栄の「社会主義革命」に対して、北朝鮮の金日成が革命闘争の観点から同志的な評価を下しているというエピソードはおもしろい。

 以上が、「角栄政権社会主義革命説」の骨格である。
 
 
 ちなみに、最初に言った4章、5章の「勇み足」とは、例えば次のようなものである。

過疎化は経済的刺激に対して合理的に反応する訓練を受けた人間が多いところでしか顕在化しない。(中略)過疎化が最初に観察されたのは、奈良や和歌山とか、山陽地方といった、大都市圏に近くて住民一般が経済合理性にもとづく判断になれた地方だった。 (p146)

 この主張は、簡単に受け入れられるようなものでないにもかかわらず、論証されていない。それに、「大都市圏に近い」とは言っても大都市圏が移動可能圏内であってはならないわけだから、「近い」ことにどれだけ意味があるのか疑わしい。
 
 
 
 ともあれ、この本の意義は、経済学、経済理論では当然とされていたこと、すなわち、地方への国費の“ばらまき”の非効率や弊害を、実例に当てはめて説明したことだろう。しかも、その「実例」というのが、「高度成長経済の終焉」という戦後日本経済の最重要事件であるのだから、そのインパクトは大きい。さらに皮肉なことに、高度成長を止めてまで実施された地方を助けるための政策が地方経済を疲弊させてしまったというのも、笑って済ませられない。

 これからの地方のあり方を考えるためにも、歴史の教訓には真摯に耳を傾けたい。

PR

 飯田泰之 『経済学思考の技術――論理・経済理論・データを使って考える(ダイヤモンド社、2003年)
 
 
 「議論とは何か」から始めて、経済学的思考方法の基本、簡単な経済理論、これらの応用としての日本経済分析を経て、「日本経済への処方箋」にまで至る壮大な試み。

 とはいえ、上手い具合に要点が絞られていて、なおかつ、分かりやすく説明されているから、すらすらと読める上に、よく理解できる。

 「論理・経済理論・データを使って考える」という副題どおり、日本経済の分析・処方箋のところでは、適宜、基本的かつ重要なデータを示しながら分析・主張が展開されているのもありがたいし、説得的である。

 ちなみに、著者が提示する日本経済の大停滞の原因とその処方箋は、かなり簡単に言えば、「デフレ期待の定着→リフレ政策(特にインフレ・ターゲット?)」。
 
 
 
 この本の中で自分が一番興味をもって読んだのは、「【リフレ政策が有効な理由】背理法による証明」のところ。ちょっと長いけれどおもしろいから引用しておこう。

 政府・日銀はタダ同然で生産できる「紙切れ」を「1万円」として取引を行うことができます。これが通貨発行益(シニョリッジ)です。政府がシニョリッジという形で収入を得る一方で、経済はインフレ傾向になるでしょう。
  つまりは民間は保有する現預金、名目額が固定した金融資産の価値が減少するという形で「課税」されるというわけです。さて、ここで政府・日銀が通貨発行を行ってシニョリッジを獲得してもインフレが起きないとしましょう・・・・すると民間側には何ら負担がないまま、政府は収入を得続けることができます(実際には日銀が大きな収益を得てそれが国庫納入されます)。民間の負担なしに政府が収入を得られるというのならば・・・・これは税金そのものを取る必要がないということではありませんか!全ての税から日本国民が解放されるというのならば、これはもうデフレなんてどうでもいいと言えるかもしれません!しかし、幸か不幸かそのようなことはあり得ないでしょう。経済の基本は「稀少性」です。以上の議論はその前提である「政府・日銀が通貨発行を行ってシニョリッジを獲得してもインフレが起きない」が誤り――つまりは政府・日銀の拡張的貨幣供給は、必ずインフレを引き起こすのです。 (pp238-239)

 この論法は非常に説得的である。そして、その内容がなんとも滑稽で微笑ましい。(少なくとも素人談議で)「リフレ政策ではインフレ化できない」という主張をしている人に対して、この論法を持ち出したらおもしろいだろう。

 著者が整理しているように、この通貨発行益(シニョリッジ)の効果は、インフレになればデフレからの脱却になり、逆にインフレが起きなければ財政を改善できるという、どっちに転んでも良い状態になるというものなのである。
 
 
 ちなみに、このシニョリッジが財源であることに注目した政策の注意点として、インフレが止まらなくてハイパー・インフレになる危険性があるため、インフレ・ターゲットのようなインフレ抑制のシステムと組み合わせる必要が指摘されている。
 
 
 
 非常に優秀な政策のように見えるのだが、この政策を主張している人に当たったことがない。結局は、インフレの方向に振れるから、あえてこのシニョリッジを使う必要はないということなのだろうか。それとも、他に問題があるのだろうか。

 岩田規久男 『日本経済を学ぶ(ちくま新書、2005年)
 
 
 日本経済の基本的な事項について正統な経済学の視点から分かりやすく説明されている本。

 扱われているのは、戦後復興から「失われた10年」までの日本経済史、日本的経営、産業政策、「構造改革」、日本経済の課題と経済政策といったところ。これらの中には、不良債権問題や郵政民営化などの新しい問題も含まれている。最初に言ったとおりどれも正統な経済学の視点から(少々著者の考えも入れつつ)書かれているから、日本経済と経済学の基本が併せて学べるようになっている。

 
 
 
 これまで経済学の基本を学ぶために経済の本を何冊か読んできた。これも、興味を持った“歴史上類稀な状況に陥っている(ようである)バブル崩壊以降の日本経済”の理解および処方箋に関する自分のスタンスを定めるための準備であった。

 そして、経済学の基本中の基本中の基本くらいは身に付きつつある。だから、そろそろ“本丸”である日本経済に関する本を本腰を入れて読み始めようと思い、手始めに手に取ったのがこの本である。

 そんなわけであるから、日本経済に関する興味深い指摘や重要な指摘をいっぱいある中からいくつか選んでメモしておく。
 
 

(第一次石油ショックによって成長率は鈍化し、企業の設備投資も減った。)設備投資が減れば、そのための借金も減ります。この傾向は大企業ではいっそう顕著でした。80年代前半には、主要企業の内部資金による資金調達は55%に達し、逆に、70年代の中頃から借入金の割合は急激に低下し始め、80年代前半には16%にまで低下しました。この借入金比率の低下はその後も続き、90年代前半にはとうとう5%にまで低下してしまいます。
 これは、銀行、中でも大手行の主要な貸出先だった大企業が、銀行からの借入金を大幅に減らし、銀行離れしたことを示しています。大企業は安全な貸出先でしたから、大手行は良質な借り手を失ったわけです。 (pp62-63)

企業は中小企業も含めて95年頃から金余りで、銀行から借り入れなくても設備投資をまかなえる状態でしたから、銀行貸出の減少による景気後退というメカニズムは、当時の日本経済では働いていなかったと考えられます。 (p72)

これまでの実証研究の多くは、「銀行の貸し渋り説」が当てはまるのは97年から98年にかけての金融危機の期間だけであり、この説によって90年代を通じた長期経済停滞を説明できないことを示しています。 (p221)

平成の長期経済停滞の原因はデフレを伴った需要不足にあり、供給サイドにはありません。この場合に優先すべき経済政策は需要不足を解消するマクロ経済安定化政策です。
 (中略)
 供給サイドのサッチャー改革が生産性の向上、安定した経済成長に結びつくのは、90年代初めに、金融政策がインフレ目標政策を採用するようになって以降、インフレが1%~3%に維持されるとともに、失業率も低下して、マクロ経済が安定化してからなのです。すなわち、サッチャー改革の成功は、構造改革のような供給サイドの政策が成功するためには、マクロ経済の安定化が不可欠の条件であることを示しているのです。 (pp237-238)

消費者物価指数は品質の向上や安売りなどの考慮が遅れるため、高めに出る傾向があります。日本の消費者物価指数については、実際よりも1%程度高めであることが知られています。したがって、消費者物価指数でみて0%インフレは、実際には、マイナス1%のデフレです。 (p246)

03年からの回復の最大の原動力も輸出で、次が輸出の増加によって誘発された設備投資です。公共投資が減っている点でも、00年の回復と同じです。 (p251)

 
 
 
 そして、肝心の平成長期不況に対する著者の見立ては以下のように4つに分けられると思う。(それぞれが絡み合っている。)

(1)バブル期には(好況のため)建設・不動産・流通などの非製造業で借金が急増→バブル崩壊→借金返済を目指す→価格を下げて売上を伸ばそうとする→物価低下(デフレ)

(2)バブル崩壊→地価と株価が暴落(資産デフレ)→借金返済のために資産売却→さらなる資産デフレ

このように、借金の返済を原因として、デフレ(物価の持続的下落)と資産デフレがスパイラル的に悪化することを、債務デフレといいます。

(3)債務デフレによる不況→企業のバランス・シート悪化

92年からの長期の経済停滞の特徴は、債務デフレ不況=バランス・シート不況

(4)経済停滞を長期にしたのは、デフレは将来も続くという、「デフレ予想の定着」。

 デフレ予想→設備投資減・雇用減・借金返済を急ぐ→経済全体の需要減
 
 
 提示される処方箋は、著者がその代表格であるインフレ・ターゲット論である。すなわち、日銀による長期的かつ信用に足る「1~3%のインフレ目標」を実行に移すことである。
 
 
 
 さて、日本経済を理解する重要文献として、偏っていると批判を受けるかもしれないが、ポール・クルーグマン『クルーグマン教授の〈ニッポン〉経済入門』、岩田規久男『デフレの経済学』をとりあえず読みたい。あとは、関連データを把握できるもの、あるいは、データをふんだんに使ったものがあれば読んでおきたい。

 野口旭 『経済対立は誰が起こすのか(ちくま新書、1998年)
 
 
 新書を読み下す【新書週間】の7冊目。
 
 
 日米貿易摩擦に関する「トンデモ」な主張の愚かさを国際経済学の基本中の基本の理論で明らかにする。国際経済学の入門書としても気軽に読める好著。

 ここで扱われる「トンデモ」な主張とは、アメリカの巨額な貿易赤字と日本の巨額な貿易黒字の存在を「良くないもの」、あるいは「日本に有利なもの」と捉え、その原因を日本の市場の構造的な障壁や日本製品の国際競争力の強さに求め、日本の黒字削減目標を設定させたりするもののこと。80年代後半から90年代初めくらいまで流通していた。主な論者としては、アメリカ側は、レスター・サロー、チャルマーズ・ジョンソン、ロバート・ライシュ、クリントン大統領など。日本側は、リチャード・クー、赤羽隆夫、「前川リポート」など。

 この「トンデモ」に対して持ち出される国際経済学の超基本理論が、「貯蓄・投資バランス論(ISバランス論)」と「比較生産費説(比較優位説)」の二つ。

 「比較生産費説」はリカードが唱えた有名な理論で、絶対的には劣位であっても、相対的に優位な財に特化すれば全体の富は増えるというものである。

 ここでは、一般への普及度の低い「ISバランス論」について詳しく説明しておく。

 「ISバランス論」とは、「一国の輸出と輸入の差額である経常収支を、一国の貯蓄と投資の差額と等しいとするもの」のことである。

 つまり、国内で消費や(設備などへの)投資への資金が足りなくて海外から資金を調達する場合のことを経常収支の「赤字」と言い、国内で消費や投資をした後に貯蓄=資金が余ったものが海外に行く場合のことを「黒字」と言う。国民の総所得は、消費と国内投資と税金と海外投資のどれかに必ずなることを考えれば当然である。(預金は銀行を通した投資(=間接投資)である。)

 本書を参考に、「税金とかの政府活動を無視する」などの単純化をしながら自分なりに整理しておく。

 ・まず先に、一国の経済の全体像を把握しておく。

   前提として、経済学の初めに出てくる2つの式がある。
 
  (1)国民所得(GNPとか)=消費+貯蓄
 
  (2)貯蓄=投資=国内投資+海外投資
 
  ここで、(2)式を(1)式に代入する。
 
  (3)国民所得=消費+国内投資+海外投資
 
  この(3)式を並べ替える。
 
  (4)海外投資=国民所得-消費-国内投資
 
  この(4)式から、海外投資が国民所得から国内の諸々の
 支出を差し引いた残りであることが分かる。もちろん、この
 海外投資はマイナスにもなり得て、その場合、海外から資金
 を輸入することになり、収支は「赤字」になる。

 ・次に「ISバランス論」に絞った証明。

   当然でもあるが、上の(4)式からも次の式が正しいことが分かる。
 
  (A)経常収支=所得-支出
 
  次の2つの式も容易に理解できる。
 
  (B)支出=消費+国内投資
 
  (C)所得=消費+貯蓄
 
  ここで(A)式に(B)式と(C)式を代入する。
 
  (D)経常収支=(消費+貯蓄)-(消費+国内投資)
 
  この(D)式を解くと、消費が消される。
 
  (E)経常収支=貯蓄-国内投資
 
  この(E)式が「貯蓄・投資バランス式(ISバランス式)」である。

 
 
 この「ISバランス式」が意味するのは、経常収支は貯蓄の大きさや、国内投資の大きさによって決まるということである。

 日米構造協議が行われていた90年代前半、日本は、貯蓄率が非常に高く、また、景気も良くなく、まだ政府の財政出動もあまり行われていなかったから国内投資も低迷していた。一方、その頃アメリカは、景気が良かったために国内の投資が大きく、貯蓄率も低かった。そのため、日本の市場の「構造的な障壁」の存在の有無や、日本製品の「国際競争力」の高さに関係なく、貿易収支の不均衡は発生したのである。

 ちなみに、テレビにもしばしば登場する野村総研のリチャード・クーはこの理論を、「これは全く新しい考え方で、今の経済学の参考書にはどこにものっていない」と自著に書いているとのことである。
 
 
 
 この本で説明されている2つの理論は最低限知っておくべき知識だ。それを分かりやすく、かつ、おもしろく説明してくれているこの本は好著である。

 ただ、一つ留意しなければならないと思ったのが、著者も指摘しているが、市場開放して貿易によるメリットを享受できる状態に移行するまでの「短期」において発生する「コスト」のこと。このコストをいかに引き下げるかが経済・産業分野で政府(特に経産省)に残された重要な仕事になるのだろう。

 が、「長期」的なより良い状態に移行するまでの「短期」的なコスト、あるいは、衰退産業から成長産業への移行のコストはバカにできない気がするだけに、自由市場万能論に見える著者の政策的主張もそう簡単には受け入れられないように思えてしまう。特に、現在の生活にも苦労するような途上国に関しては。

 東谷暁 『エコノミストは信用できるか(文春新書、2003年)
 
 
 未読の新書を減らす【新書週間】の4冊目。目標冊数の半分に到達。順調。
 
 
 バブル、IT革命、平成不況などに関するエコノミストの発言を「一貫性」の観点から検証した本。

 「エコノミストの市場」は、発言に責任が伴わず、それを事後的に検証するシステムも存在しないだけに、「消費者」にとっては非常にありがたい仕事である。

 検証結果は、全体的には、状況に応じて簡単に主張を反転させている人が多い。とはいえ、「一貫性」においても「予測」においても完璧な人などもちろんいない。しかし、目も当てられない詐欺師のような「エコノミスト」だけには注意しなければならない。(それにしても、一体なぜ、そういう人たちが「エコノミスト」でいられるのか? あるいは、なぜ「エコノミスト」になれたのか?)ちなみに、そんなこの本に登場する中でも一番酷いのが「日本経済新聞・社説」であることには多くの人が賛同してくれるのではないかという気がする。
 
 
 ところで、この本を読んで自分の中の疑問が一つ解決した。

 それは、3月初めに日銀が量的緩和の解除を決定したとき、「構造改革万歳!弱肉強食の市場競争万歳!」の人だと思っていた竹中大臣が、日銀に対してかなり強硬に「反対」の意見を述べていたことである。「矛盾するのでは?」「いつの間にか転向したの?」と疑問を感じていた。

 結論から言えば、自分が感じた疑問は正しかった。

ここで思い出してもらいたいのは、竹中氏がゼロ金利にも金融緩和にも反対していたという事実だ。『週刊東洋経済』2000年10月28日号では「ゼロ金利は、所得配分をゆがめ資金の非効率な配分を温存するというマイナスの効果をもたらす」と述べ、『Forbes日本版』2000年11月号でも「ゼロ金利の下では、内容の良くない非効率な会社でも借り入れができてしまう。・・・・・浄化作用を、ゼロ金利は結果的に阻んでしまうことになる」と強く主張している。 (pp216-217)

 竹中大臣も、責任のある立場に就いて、信念も体面も関係なく、「ワラにもすがる」状態になったということだろう(笑)
 
 
 それはさておき、この本は他人の失敗を笑うだけの本ではない。この本では、その時々の重要な経済問題に関するあらゆる主張を取り上げているから、この本を読むと90年代の経済論戦を鳥瞰することができる。また、個々の主張の紹介も簡潔で要を得たものだから、とても勉強になる。

 さらに、この本が便利な読書案内になっていることは言うまでもない。自分が興味を持ったのは、中小企業の実態に詳しいらしい山口義行『誰のための金融再生か』、「インフレ・ターゲット論の総帥」である岩田規久男『デフレの経済学』といったあたり。日本経済に対する自分のスタンスを定めるべく、いつの日にか読んでみたいところではある。何せ、自分のスタンスが決まらないうちに、現実の状況の方が変化しつつある。別に、それでも構わないといえば構わないのではあるが。

カレンダー
09 2024/10 11
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
最新コメント
[10/20 新免貢]
[05/08 (No Name)]
[09/09 ST25@管理人]
[09/09 (No Name)]
[07/14 ST25@管理人]
[07/04 同意見]
最新トラックバック
リンク
プロフィール
HN:
ST25
ブログ内検索
カウンター
Powered by

Copyright © [ SC School ] All rights reserved.
Special Template : 忍者ブログ de テンプレート and ブログアクセスアップ
Special Thanks : 忍者ブログ
Commercial message : [PR]