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野口旭 『経済対立は誰が起こすのか』 (ちくま新書、1998年)
新書を読み下す【新書週間】の7冊目。
日米貿易摩擦に関する「トンデモ」な主張の愚かさを国際経済学の基本中の基本の理論で明らかにする。国際経済学の入門書としても気軽に読める好著。
ここで扱われる「トンデモ」な主張とは、アメリカの巨額な貿易赤字と日本の巨額な貿易黒字の存在を「良くないもの」、あるいは「日本に有利なもの」と捉え、その原因を日本の市場の構造的な障壁や日本製品の国際競争力の強さに求め、日本の黒字削減目標を設定させたりするもののこと。80年代後半から90年代初めくらいまで流通していた。主な論者としては、アメリカ側は、レスター・サロー、チャルマーズ・ジョンソン、ロバート・ライシュ、クリントン大統領など。日本側は、リチャード・クー、赤羽隆夫、「前川リポート」など。
この「トンデモ」に対して持ち出される国際経済学の超基本理論が、「貯蓄・投資バランス論(ISバランス論)」と「比較生産費説(比較優位説)」の二つ。
「比較生産費説」はリカードが唱えた有名な理論で、絶対的には劣位であっても、相対的に優位な財に特化すれば全体の富は増えるというものである。
ここでは、一般への普及度の低い「ISバランス論」について詳しく説明しておく。
「ISバランス論」とは、「一国の輸出と輸入の差額である経常収支を、一国の貯蓄と投資の差額と等しいとするもの」のことである。
つまり、国内で消費や(設備などへの)投資への資金が足りなくて海外から資金を調達する場合のことを経常収支の「赤字」と言い、国内で消費や投資をした後に貯蓄=資金が余ったものが海外に行く場合のことを「黒字」と言う。国民の総所得は、消費と国内投資と税金と海外投資のどれかに必ずなることを考えれば当然である。(預金は銀行を通した投資(=間接投資)である。)
本書を参考に、「税金とかの政府活動を無視する」などの単純化をしながら自分なりに整理しておく。
・まず先に、一国の経済の全体像を把握しておく。
前提として、経済学の初めに出てくる2つの式がある。
(1)国民所得(GNPとか)=消費+貯蓄
(2)貯蓄=投資=国内投資+海外投資
ここで、(2)式を(1)式に代入する。
(3)国民所得=消費+国内投資+海外投資
この(3)式を並べ替える。
(4)海外投資=国民所得-消費-国内投資
この(4)式から、海外投資が国民所得から国内の諸々の
支出を差し引いた残りであることが分かる。もちろん、この
海外投資はマイナスにもなり得て、その場合、海外から資金
を輸入することになり、収支は「赤字」になる。
・次に「ISバランス論」に絞った証明。
当然でもあるが、上の(4)式からも次の式が正しいことが分かる。
(A)経常収支=所得-支出
次の2つの式も容易に理解できる。
(B)支出=消費+国内投資
(C)所得=消費+貯蓄
ここで(A)式に(B)式と(C)式を代入する。
(D)経常収支=(消費+貯蓄)-(消費+国内投資)
この(D)式を解くと、消費が消される。
(E)経常収支=貯蓄-国内投資
この(E)式が「貯蓄・投資バランス式(ISバランス式)」である。
この「ISバランス式」が意味するのは、経常収支は貯蓄の大きさや、国内投資の大きさによって決まるということである。
日米構造協議が行われていた90年代前半、日本は、貯蓄率が非常に高く、また、景気も良くなく、まだ政府の財政出動もあまり行われていなかったから国内投資も低迷していた。一方、その頃アメリカは、景気が良かったために国内の投資が大きく、貯蓄率も低かった。そのため、日本の市場の「構造的な障壁」の存在の有無や、日本製品の「国際競争力」の高さに関係なく、貿易収支の不均衡は発生したのである。
ちなみに、テレビにもしばしば登場する野村総研のリチャード・クーはこの理論を、「これは全く新しい考え方で、今の経済学の参考書にはどこにものっていない」と自著に書いているとのことである。
この本で説明されている2つの理論は最低限知っておくべき知識だ。それを分かりやすく、かつ、おもしろく説明してくれているこの本は好著である。
ただ、一つ留意しなければならないと思ったのが、著者も指摘しているが、市場開放して貿易によるメリットを享受できる状態に移行するまでの「短期」において発生する「コスト」のこと。このコストをいかに引き下げるかが経済・産業分野で政府(特に経産省)に残された重要な仕事になるのだろう。
が、「長期」的なより良い状態に移行するまでの「短期」的なコスト、あるいは、衰退産業から成長産業への移行のコストはバカにできない気がするだけに、自由市場万能論に見える著者の政策的主張もそう簡単には受け入れられないように思えてしまう。特に、現在の生活にも苦労するような途上国に関しては。