忍者ブログ
by ST25
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 橘木俊詔 『企業福祉の終焉 ――格差の時代にどう対応すべきか(中公新書、2005年)
 
 
 良くも悪くも新書らしい一冊。

 良い点は、企業福祉とそれに関連する歴史、各国比較、現状の制度などの基本的事項を分かりやすく網羅しているところ。また、主張の大胆さも良い。

 悪い点は、データなどの確証のない一般常識を受け入れてしまっていたり、重要な先行研究に全く触れていなかったり、肝心なところで他の自著を参照させて済ませていたりするところ。

 そんな本書での著者の主張は、日本企業が提供してきた福祉サービス、すなわち、社会保険料の事業主負担を中心にした法定福利厚生(医療保険、厚生年金、失業保険など)と、そこの企業で働く人だけにサービスの及ぶ非法定福利厚生(社宅、退職金、保養施設など)の両方をなくすべきというもの。それらを廃止した分は、社員の賃金に還元したり、国が税方式で制度運営をしたりして補うとされる。

 このように企業が福祉から撤退すべきだとする理由は多方面から挙げられている。例えば、社宅・退職金の賃金化は、企業規模間の相違による受益の不平等や多様な選択を可能とする個人主義などの観点から。社会保険の事業主負担の廃止と税方式化は、職業や性別間での不平等を解消することや、保険料徴収の失敗を回避することや、そもそも国民全体に関わる福祉を企業が負担することの正当性などを理由に挙げる。特に、企業と従業員の声や現状から企業福祉の終焉と「福祉国家化」を主張するのはあまり見られない論証だと思われる。

 ただ、本書で主張される保険制度(特に年金)の税方式化は神野直彦・金子勝が以前から主張していたし、今では民主党も主張している。にもかかわらず、これらについては全く触れられていない。もちろん、筆者の主張が企業福祉の全てというより広範囲に渡っている点や、主張に至る論証過程での差異は大きい。だが、神野直彦・金子勝の先行研究・主張は日本での保険制度の税方式化の(おそらく)先達であり、これに触れないのは親切ではないし道義的にも許されないと思われる。
 
 
 さて、企業が提供する福祉を個人の選択と国家の提供に還元しようとする筆者の主張は、極めて分かりやすい。なぜなら、全ての人に必要不可欠な福祉サービスは国家が平等に提供し(平等主義)、それ以外は個人の判断で福祉サービスを購入するか否かは決めるべきとするもの(個人主義)だからだ。したがって、「リベラリズムを基礎にした福祉国家」の構想としては説得力がある。

 この福祉における「福祉国家化と個人主義化」の追求は、福祉国家研究の古典的位置を確立している(が、本書では全く触れられていない)エスピン-アンデルセンの福祉国家の3類型(自由主義・社民主義・保守主義)で言えば、日本を保守主義と自由主義の間から、自由主義と社民主義の間へ移行させることを意図したものだと理解できる。

 本書でも簡単に触れられているが(触れられていないものもある)、個人のライフスタイル・価値観の多様化、家族の核家族化および少子化、地域社会の流動化・都市化、企業の企業福祉のメリットの低下、国家の保険財政の悪化というように、福祉サービスの受益・提供主体を一つずつ考えていくと、確かに筆者の主張は日本の望ましく、かつ不可避な進路であるように思われる。

 エスピン-アンデルセンは福祉国家レジームを分ける一つの指標として「脱家族化」や「脱商品化」といった概念を提出した。しかし、企業が福祉に(直接的に)大きな貢献をしていることは間違いない。筆者が本書で論じたような企業の観点から、「脱企業化」という指標も福祉国家を考える際に単純にそのまま導入できる分かりやすい指標だ。このような指標(とその結果としての分類)というのは、誰にでも利用しやすい判断基準であり民主主義の理念に資する国民的議論にとって非常に有益だ。また、小泉首相をはじめとする(学力低下する以前の世代であるにもかかわらず頭の弱い)諸先生方にとっても非常に有益だ。

 さて、そのような指標から判断するに、本書での筆者の主張は、福祉への負担が減る企業側が喜びそうなものであり受益者である個人の側からは注意を要するが、少なくとも「その方向性は妥当である」というのが自分の結論だ。

PR

 デイビッド・キーリー 『BMW物語』 (嶋田洋一訳/アスペクト、2005年)

 この本は本屋で表紙を見てあまりにかっこよかったために衝動買いした。濃紺の背景にBMWのマークがでしゃばり過ぎない適度な大きさできらめいているのだ。そして、タイトルが『BMW物語』ときたら、まるで、BMW社が出したオフィシャル・ブックみたいになる。そうなると、この本の中で述べられている「BMWブランド」の力に引き寄せられて買いたくなってくるのもやむを得ない。

 ちなみに、この本の元のタイトルは『DRIVEN: Inside BMW, the Most Admired Car Company in the World』。内容から言っても邦訳書の『BMW物語』という方が相応しいし、そして、何より魅力的だ。

 内容はBMW社or車の(バイクとレース以外の)あらゆる側面を網羅的に取り上げていて、BMWの教科書といった感じになっている。具体的には、各章のタイトルから抜き出すと、「マシン」、「歴史」、「一族」、「ブランド」、「ブランド戦略」、「大失敗」、「スタイリスト」、「水素未来」といった内容である。これを見ても分かるように、他の数多くの自動車会社を扱った本と同じく、本書もBMW社の経営的な側面(ブランド戦略やローバー・グループを買収した失敗や社長の行動など)が多く書かれている。しかし、だからといって、BMWブランドを語るに際して実際のBMW車についての言及は必要不可欠であり、BMW車についても十分に触れられている。

 「USA Today」紙のデトロイト支局長である筆者は基本的に(ほとんど?)BMWに好意的な立場から書いている。そのため、BMWの弱点についてはあまり知ることができない。しかし、イデオロギッシュにBMWを擁護しているわけではなく、親BMWではない人でも読めるだけの冷静さは保たれている。

 というわけで、本書はBMWの全貌を知るにはなかなかまとまった内容になっていて、興味があればおもしろいと思える。

 さて、「BMW派か、ベンツ派か?」という庶民にとっては夢想的な問題は、車好きなら必ず自分の答えを持っているだろう。両者は、共にドイツの車であり、価格帯も同じくらいで、共に高級志向であることから比較されることが多い。

 かくいう私は、BMW派である。簡単に言うと、でしゃばらない、洗練された外観に惹かれるからだ。

 そして、本書を読んでその印象は間違ってはいないようであることが分かった。

 まず、BMWのブランドや顧客のイメージについての記述をいくつか抜き出してみる。

「ショッピングやファッションに対するブランド志向が高い。若い、あるいは若々しい。充実した人生を謳歌し、仕事面でも成功している。」(p165)

「(BMWの顧客は)自分に対しても他人に対しても要求が高い。なぜなら、忙しい合間の余暇を極力充実させ、気に入ったものに囲まれて過ごしたいと願っているからだ。こうした人種は一般的にディテールにこだわり、自分の趣味に合うものだけを手に入れたがる。単に質がよいだけでは目もくれないが、完璧に気に入ったものに対しては金を惜しまない。」(p210)

 そして、このようなブランドイメージを追求した結果、次のような状態になる。

「競合他社がしのぎを削る中、BMWでは米国の幹部もミュンヘン本社の経営首脳陣も、自社の顧客層が他社に食われることはまずないと悠然としていた。
(中略)
(BMW社の幹部マクダウェルは)以下のように語っている。『BMWを志向する特殊な心理層をつかめる車があるとは思えない。たとえば、メルセデスの購入者はステータス意識が高い。そしてメルセデスも「お客様のステータスにふさわしい車です」と売り込む。また、ボルボの購入者は、その存在感と実用性を好み、とくに安全性を重視する。しかしBMWが狙っている顧客心理層はこれらとは異なっている。』」(pp209-210)

 確かに、自分の価値観とBMW社が自車に乗せようとしているメッセージとは一致している。しかも、

「BMWは焦点を絞ったブランドのメッセージと戦略を徹底していて、全社員の上から下まで、それをしっかり理解している。」(p8)

「BMWは何よりもまず製品のことを考え、生産性や作りやすさなどを考慮するのはその次だ。」(p9)

 という実践を行っているのだ。

 そして、そのブランドイメージは乗り味にも反映させているようなのだ。

「運転というものに夢を感じ、A地点からB地点への単なる移動手段とは考えない人々にとって、最高の運転感覚を味わわせてくれるという意味で、BMWほど熱心な自動車メーカーはほかには存在しない。そこで生産される車は、スポーティな走行と、考え抜かれたエンジニアリングと、独自性と職人気質とスピードとハンドリングの結びつきを、その本質としている。」(p16)

 具体的には特に、前後の重量バランスを平衡に保つように配慮しているとのことである。

 以上のようなことを知ると、BMW派としての立場をより明確化、あるいは、より言語化できるようになる。

 そうは言っても、現実的にBMWの値段はさすがに高いと感じる自分にとって慰めになる事実が本書から観察できる。

 すなわち、本書を通しての日本車に対する好評価である。もちろん、筆者はBMWの独自性により惹かれているのだが、それでもそのBMWとの比較において最も頻繁に出されるのが日本車(特にトヨタ、ホンダ、日産)なのである。どうやら、日本車の性能と信頼性と、それと比べた価格の安さは未だに揺るぎないようである。

 さて、今までBMWを全肯定するようなことを書いてきたが、非難したいところもある。それは、上で書いてきたBMWのブランドイメージとその戦略に賛同するがゆえの疑問である。

 BMWには以前から3シリーズという中型車もラインアップに並んでいた。しかし、近年、急速に小型車市場に参入してきた。果たして、(3シリーズも含めてもいいが)“小さいが値段の高いBMW車”を買おうとする人が、本当にBMWブランドのイメージに合致するのだろうか? 言い換えれば、そのようなBMW車を買う人はベンツの顧客と同様のステータス重視の心理層ではないのだろうか?

 有り体に言えば、それらの小型BMW車はBMW車として“邪道”だと思うのだ。5ナンバーのBMW車を見る度に以前から感じていた違和感を、くしくも本書を読んでより確信することができた。(筆者は否定しているが。)

 しかし、小型車はまだ投入して日が浅いこともあり、これからが見所である。

 さて、最後に、BMWについてのトリビア風の基本情報を二つほど。

 1つは、BMWとはドイツ語で「バイエリッシュ・モトーレン・ヴェルケ」の略であり、英語で言えば「バイエルン・モーター・ワークス」で、日本語で言えば「バイエルン発動機製作所」であること。

 もう一つは、BMWの青と白と黒のロゴは、バイエルンの青空を飛ぶ飛行機のプロペラの図案化だということ。

 どちらも知らなかった。もしかしたら一番勉強になったのはこれかもしれない。とにかく実用的である。

 福田俊之 『最強トヨタの自己変革――新型車「マークX」プロジェクト』 (角川oneテーマ21、2004年)

 本書は、先日、先代モデル(マークⅡ)から車名まで変更されて発売されたトヨタの「マークX」を中心に書かれているが、副題から期待されるものとは遠いと言わざるを得ない浅薄な内容だ。その証拠に本書は新書としても異例の短さの、わずか159頁しかない。また、本書の構成も、7割がたが日本の自動車産業の歴史やマークⅡの歴史に割かれている。残りで「マークX」プロジェクトについて書かれてはいるが、「マークX」の開発プロジェクトの全貌や内幕も一部しか明らかにはならない。開発プロセスに関しては、所々で当事者の発言や開発の経緯等が出てくるだけで物足りなさを感じる。いかにも、「優等生的にルールを厳格に守って、できる範囲で取材しました」という感じの、“フリー・ジャーナリストによるルポ”というより、“官庁や企業の広報によるパンフレット”といった内容だ。これなら、新車が出る度に発行される「~のすべて」(今回なら「マークXのすべて」)という雑誌の方がより詳細に書かれているだろう。

 そんな訳で、本書自体について書くことはあまりない。そこで、マークXも分類される「セダン」という類型について書いていく。

 最近では車の売れ筋の主流は1BOXである。しかし、本書で何度も強調されているように、走りのおもしろさや操作性や快適性など、乗用車のポテンシャルを引き出せるのはセダンである。特に我が日本のトヨタは、このセダンで強さを発揮してきた。セルシオ・クラウン・マークⅡ(現マークX)の3台はまさにその代表である。確かに、車を使う環境の違いもあって、ベンツやBMWといった欧州車に比べて力負けするところはある。しかし、300万円台(クラスによっては200万円台!)でこのレベルの車(クラウン・マークX。セルシオは5~600万円台)が買えるのは奇跡だと個人的には思っている。実際、「マークX」も製作過程でライバルに据えて常々比較していたのはベンツのEクラス(600~900万円)とBMWの5シリーズ(570~900万円)だ。

 さて、ここでトヨタのライバル・メーカーである日産に目を向けると、近年の日産のセダンでの弱さは、会社全体の復調にもかかわらず相変わらずである。また、スカイラインの再浮上にもかかわらずである。それは、クラウンとマークⅡのライバルであった、セドリック/グロリアとローレルの低調に依るものだろう。思えば、私が車を好きになった頃はまだバブルの気配が十分に漂う明るい時期(1990~91年くらい)であり、当然高級セダンは乗用車の中心的存在だった。そして、セドリック/グロリアとローレルは共に日本のナンバー2・メーカーを支える人気車種であった。当時のデザインは今でも通用するくらいかっこいいと個人的には思っている。それが、モデルチェンジによってかっこ悪くなると、時期を同じくして会社も低落していったのだ。

 そこで、日産の完全復調の試金石はセドリック/グロリアとローレルではないかと考えていた。そして、最近、2つの新車が発表された。価格帯などからいってセドリック/グロリアとローレルに代わるものであるのは間違いない。フーガとティアナ(リンク先に音声あり)だ。個人的には、日産のこの種の、しまりのないデザインは好きにはなれない。セドリック/グロリアとローレルが落ちぶれたのも、同じようにしまりやキレのない丸みを帯びたデザインにしてからだった。エクステリア(外観)・デザインは車の売り上げのほとんどを決めるくらい重要な要素だ。上向き基調の景気とともに、セダンが再び乗用車の中心になると、日産は厳しいのではないだろうか。どうなる、日産。

 別に日産を応援しているわけではないから構わないのだが・・・。

 藪下史郎、荒木一法編著 『スティグリッツ早稲田大学講義録』 (光文社新書、2004年)

 本書は、ノーベル賞経済学者であるコロンビア大学のジョセフ・スティグリッツ教授が今年の4月20日に早稲田大学で行った講演の全文に、同大学の教授・助教授がその講演とスティグリッツの経済学を解説した章を加えたものである。スティグリッツの講演が同大学で行われることは知っていたが、スティグリッツの『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』(徳間書店、2002年)を既に読んでいて、講演の内容もこの本に近いものになるだろうと考えられたため講演会には行かなかった。そして、その予想は大方当たっていた。

 スティグリッツは2001年に「非対称情報下の市場に関する研究」によってノーベル経済学賞を受賞した。また、1993~97年にはクリントン政権の大統領経済諮問委員会委員(95年からは委員長)を、1997~2000年には世界銀行・上級副総裁兼チーフエコノミストを務め、研究と現場の両方で活躍している。


 本書の内容(つまり講演)は、その筋をおおまかに追うと、グローバリゼーションの進展する世界において必要とされる国際金融機関の役割をIMFが果たしていないため、IMFの改革を提言する、というものである。批判の対象とされるのは、IMFの、新古典派的な市場原理主義一辺倒の対途上国政策や、インフレ防止に偏った政策や、非民主的で不透明な意思決定などである。また、IMFと関係の深いアメリカ財務省も批判される。これら、IMFや構造調整政策やワシントン・コンセンサスの批判は今ではかなり浸透しているが、この議論の形成におけるスティグリッツの果たした役割は非常に大きい。貧困の撲滅が平和にもつながると考えるのであれば、彼にノーベル平和賞を与えてもいいくらいかもしれない。最近のノーベル平和賞は民間非営利団体か、和平を実行した政治家のどちらかであり、経済学者に与えるのも新しくていいと思うが・・・

 それはさておき、内容についてであるが、基本的には賛同するが、一つだけ疑問点を述べておこう。それは、IMFの世界一律の自由化政策に対して、マレーシアのようにそれを拒否して資本の流入に対して適度な保護政策を選択した場合に経済危機に陥らずに済んでいる国があることから、各国の事情等をよく考慮した上で別個の対処が必要としているところである。もちろん、国の事情に合わせた個別の対処が必要であることは間違いない。しかし、その基準はどうなるのだろうか。もちろん、スティグリッツ自身の業績である「非対称情報の経済学」はその理論化の試みだろう。しかし、最初に「各国の事情に合わせる」と言い出してしまうと、各国の恣意的な判断による保護政策を招きかねない。また、マレーシアがアジア通貨危機を免れた事例は、マハティール首相の判断とスティグリッツの判断が一致した好ましい例だが、国のリーダーの判断とスティグリッツ(あるいは、スティグリッツの思惑通りに改革されたIMF)の判断とが異なる場合も出てくる可能性がある。そもそも、IMFはアメリカが支持を与えることによって存在が可能になると言う側面もある。このような政治的な観点がスティグリッツの議論では抜け落ちているのではないだろうか。解説によると、彼は学際的なアプローチを進めているとのことなので、“政治的な観点”がとりわけ重要となる国際的問題である、貧困や国際機関などの国際“経済”問題への処方箋を期待したい。

カレンダー
09 2024/10 11
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
最新コメント
[10/20 新免貢]
[05/08 (No Name)]
[09/09 ST25@管理人]
[09/09 (No Name)]
[07/14 ST25@管理人]
[07/04 同意見]
最新トラックバック
リンク
プロフィール
HN:
ST25
ブログ内検索
カウンター
Powered by

Copyright © [ SC School ] All rights reserved.
Special Template : 忍者ブログ de テンプレート and ブログアクセスアップ
Special Thanks : 忍者ブログ
Commercial message : [PR]