忍者ブログ
by ST25
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 重松清 『青い鳥(新潮文庫、2010年)


 吃音もちで上手く言いたいことが伝えられないけれど、その分、大切なことしか言わない国語の先生・村内先生が登場する8編の物語。

 様々な欠点をもつ孤独な中学生のそばに寄り添いその境遇や気持ちを理解することで、中学生の心の中の固く閉ざされた壁をとっぱらう。 あるいは、吃音という大きなハンデを背負い、不器用ながら自信を持って振る舞い、国語の教師をしているその姿が、気を張り虚勢を張った中学生に安心感を与える。


 いや、もう、重松清は、すごい。 本当によくわかってる。 人間の心情、弱さ、醜さといったものを。

 完敗。

PR

 古川昭夫 『英語多読法(小学館101新書、2010年)


 英語の多読による習得の、良さとその実践方法を説明している本。

 文法や精読偏重の日本では多読の有用性を説くことは非常に意味のあることだと思う。(かねてから思っている。)

 ただ、その上で、この本を読んでいて気になったのが、多読の成功例として出てくるのが、「国際地理オリンピックのメダル受賞者」だとか、「現役で東大に合格した高校生」だとか、「国立大付属中の中学生」だとか、「私立中の中学生」だとか、いわゆる「勉強のできる」人たちばかり。

 そりゃ、彼らなら飲み込みもいいし、上達もするだろう。 もともと中高レベルの英語の素地を平均以上に持っていたり、勉強のできる頭の使い方をできていたり、大量の英語の中から規則性に気づいて習得できたりする人たちなのだから。

 問題は、数学とか国語とかがかなりできない中高生が多読をしても、果たして、英語だけ進学校の学生以上の英語力になるのだろうか、ということだ。

 ありそうな現実は、そういう勉強ができない人たちは、この本に出てくる人たちより習得に時間がかかるから、この本に出てくる人たちの2倍、3倍の多読をすれば習得できるようになる、というものだろうか。

 もしそうなら、そんなもの誰がやるか、という話だ。

 何はともあれ、多読と言ったって、そんな楽園みたいに良いことだらけのはずはないだろう。


 ところで、話は変わって、この本を読んで、再び、ちょっと多読をやってみようかという気になってしまった。

 今の自分にとって、リーディングはそれほどネックなものではない。 必要なのは、リスニング、ライティング、スピーキング、語彙だ。(ほとんどだけど・・・。) この本によると、多読でリスニングや語彙の力も伸びるとのことで、思えば確かに、それほど荒唐無稽な主張ではない。

 かつて試みたときは、PENGUIN READERS のレベル2『Alice in Wonderland』と、レベル4『1984』と、OXFORD BOOKWORMSのステージ4『A Tale of Two Cities』を読んで止まってしまった。 3つとも楽々読めたし、内容も楽しかった。 簡単すぎて効果がなさそうというのが前回の感想ではあったけど、あの程度であれば、他のやりたいこと、やらなければいけないことの間に片手間でできる。

 今の自分にとっての効果という点では若干懐疑的ではありつつも、ちょっと気軽にやってみるか・・・。

 辛酸なめ子 『アイドル万華鏡(河出文庫、2010年)


 広末涼子、上戸彩、小倉優子、安倍なつみといった、いわゆる「アイドル」から、押尾学、稲川淳二、ダライ・ラマ、美川憲一、クリスチャン・ラッセンといった一部の人たちには偶像(アイドル)のように見られている人たちまで、総勢33人について、冷やかな( だけど、どことなく温かみのある )視線を浴びせかける エッセー集。

 この本全体に共通しているのは、本人とその取り巻きたち(ファン)にとってはいたって真面目なものを、はたから冷静に見て、とっても滑稽な別のものに見立ててしまう妙技とユーモア。

 もう少し細かく見ていくと、まず、いわゆる「アイドル」についての前半は、タブーを恐れぬ勇ましさは爽快なんだけど、分析というか視角というかはそれほど切れ味もなく、正しいのかどうかも微妙で、イマイチ。

 後半の、いわゆる「アイドル」以外の人たちの方は、どれも筆者自らがイベントに参加しての(イベント自体とイベント参加者たちについての)潜入レポ。

 稲川淳二の怪談ナイトとか、ダライ・ラマの来日講演とか、美川憲一のライブ&握手会とか、X JAPANのToshiのスピリチュアルコンサートとか、クリスチャン・ラッセンの展示即売会とか、t.A.T.uの東京ドームライブとか、マツケンサンバ in 東京ドームとか、アングラっぽいものばかりに参加していて、その内容自体もどんなものなのかとっても気になるし、そこに参加している人たちもどんな人たちなのかとっても興味をそそられ、そのレポというだけでおもしろいこと間違いない。

 にもかかわらず、その上さらに、それが脱力系な筆者によって報告されるのだから、すごくおもしろい。

 筆者みたいな人に冷静に実に素直に観察されると、ヨン様のファンとか、美川憲一のハンカチにキスとか、押尾学の叫びとか、マツケンサンバの熱心なファンとか、Berryz工房とファンとのMC中の掛けあいとか、氷川きよしのリップサービスとか、(もちろん他人事ではないところもあるのを認めつつ、)人間ってなんて下らないことをやってんだって思えてきて悲しくなってくる。

 こういうのは、芸能に限らず、政治、スポーツ、ファッション等々、どこにでも見られるものなのだろうから、誰でも無縁で生きてはいけないのだろうなぁ。

 小谷野敦 『日本文化論のインチキ(幻冬舎新書、2010年)


 土居健郎『「甘え」の構造』、「恋愛輸入品説」、渡辺京二『逝きし世の面影』、ラフカディオ・ハーン、山本七平といった「日本人論」の「名著」を、学問的ではないという観点から罵倒している本。

 こういった「名著」たちは、西洋対日本という単純な二項対立に落とし込んでいたり、歴史のほんの一部を一般化していたり、個人的なイデオロギーを正当化しようと必死だったり、といった欠点がある。 のは、有名な話だ。 ( それに、自分で読んでこれらの欠点に気付くことだって難しくはないはずだ。)

 にもかかわらず、尽きることなく、それらが「名著」扱いされたり、新たな装いで登場したり、(説教的な話で)その人に都合のいいように用いられたり、している。

 そんなわけで、それらを改めてけなしておくのは無意味なことではない。

 ただ、この本は、殴り書き的で、色々な人や本が雑然と登場しすぎて少しまとまりに欠けるのが難点だ。 裏表紙に書いてあるみたいに、欠点を箇条書き的に列挙しながら論じるだけでも、、もっとすっきりしたものになっただろうに、とは思う。

 大江健三郎 『「伝える言葉」プラス(朝日文庫、2010年)


 日常生活、時事問題、障害のある息子の音楽への関わり方などについてのエッセー集。

 1つ1つ適切な言葉を慎重に選んでいて、ありきたりな表現とは違った表現を味わえる。

 その一方で、(時事問題についてのものが特にそうだけど、)言っている内容自体は取り立てて面白み、新鮮さがあるわけではない。 ( 大江健三郎の小説創作法や読書法や日常生活に興味があれば多少は面白みもあるけれど。)

 そんなわけで、なんだかんだで最後まで読めるけれど、それほどおもしろい本ではない。

 

 

カレンダー
09 2024/10 11
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
最新コメント
[10/20 新免貢]
[05/08 (No Name)]
[09/09 ST25@管理人]
[09/09 (No Name)]
[07/14 ST25@管理人]
[07/04 同意見]
最新トラックバック
リンク
プロフィール
HN:
ST25
ブログ内検索
カウンター
Powered by

Copyright © [ SC School ] All rights reserved.
Special Template : 忍者ブログ de テンプレート and ブログアクセスアップ
Special Thanks : 忍者ブログ
Commercial message : [PR]