忍者ブログ
by ST25
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 梓澤和幸 『報道被害(岩波新書、2007年)
 
 
 犯人視報道や遺族への集中豪雨型取材といった“報道被害”の救済活動をしている弁護士が、報道被害に関する実態、救済手段、改革案を分かりやすく冷静に説明している良書。

 いかにも「優秀な実務家」といった感じの、現実的で人権感覚もあってバランスの取れた筆致が良い。

 それにしても、改めて、(新聞とかテレビとかの)マスコミって酷いなあと思う。

 前半の報道被害の実態のところを読んでるとき、ずっと、怒りに打ち震えてた。

 報道被害の問題とは離れるけど、マスコミって、ホントずるい。

 政府・警察発表に依存しておいて自分たちの都合で権力監視が役割だって言ったり、犯罪・不祥事を起こしたあらゆる人の責任を追及したり全国にさらしたりしておきながら記事・社説を書いてる責任主体を明確にしてなかったり、他人には厳しく言うくせに自分たちの行為に関する検証・反省をしてなかったり、権力監視の機能をほとんど放棄しておきながら必要なときだけ国民の知る権利を持ち出したり、人権が侵される犯罪を社会に知らせるために人権侵害したり、などなど、などなど。

 他人に厳しく自分に甘い。自分たちの都合で恣意的に公共性・国民を持ち出す。

 政治家、官僚、大企業とかでさえ自分たちに求められる最低限の倫理は一応守ろうとしてるのに、マスコミは自分たちに期待される倫理・理念さえも放棄してる。

 アナーキー。

 かろうじて理念を守ろうとしているのは、情報伝達という点では『ニュース7』(NHK)、権力監視という点では『報道特集』(テレビ朝日)くらいなものか。

 絶望。
 
 
 
 メモ1。マスコミに関しては政府が関わると問題になるから、弁護士(会)に大いに期待。

 メモ2。『〈犯罪被害者〉が報道を変える』。この本も読みたいと思い続けてるのだけどなかなか古本屋で見かけず、まだ読んでない。そろそろ観念するか・・・。

PR

 塩野七生 『ローマ人の物語8 ユリウス・カエサル ルビコン以前[上](新潮文庫、2004年)
 
 
 司馬遼太郎作品と並んで絶賛と批判のある、言わずと知れた歴史小説(の中の一冊)。

 ちなみに、歴史学的な評価は小田中直樹『歴史学ってなんだ?』(PHP新書)で簡単に触れられている。
 
 
 この文庫版第8巻では、世界史に残る指導者ユリウス・カエサルが活躍し始めるまでの生い立ちや時代状況が描かれている。

 だから、まだ激動のドラマは展開されていない。

 そんな現段階では、主役のカエサルより、弁論術でのし上がったキケロの方が魅力的に見える。

 とはいえ、ここまでのところから見て取れるカエサルのすごいところを一つ挙げると、公私混同のなさ。

 巨額の借金をしたり、あらゆる女性と付き合ったりと、私(的な)生活では豪胆なのだけど、公的な場所ではカティリーナの処遇に関する演説に典型的なように、実に理性的。

 公私の利害を混同させないと言うより、公私の判断基準を混同させないとでも言うべき性質。

 まさに偉大な政治家。
 
 
 
 ところで、歴史小説は確かにおもしろいのだけど、自分はどうも全面的には好きになれない。というか、入り込めない。

 歴史小説がエンターテインメントの読み物として割り切られているのならばいいのだけど、ノンフィクションを装う限り、好きになれない。

 歴史小説は、大抵、英雄史観で書かれている。

 だけど、事実である歴史を、自分たちの良いように楽しくかっこよく書き直してそれをノンフィクションだと見なすという行為は、保守派による歴史(再)解釈と同じにしか見えない。

 歴史に学ぶことが重要ならば、それこそ、緻密に学問的に書かれた歴史書から学んだ方がより有効な勉強ができる。

 それに、天才に学ぶより、凡人とか、経済史、社会史、技術史とかを学んだ方がよっぽど今に活かせる。

 繰り返すけど、ノンフィクションを装うから嫌なのであって、読み手・書き手の意識が「所詮は読み物」というもっと割り切られたものになれば全く問題はないと思っている。

 ちなみに、付け加えれば、英雄史観を排除しても、歴史のダイナミズム(因果連関みたいなもの)は失われないから、無味乾燥な歴史にはならない。

 白井克彦 『早稲田はいかに人を育てるか(PHP新書、2007年)
 
 
 政治、経済、芸術、文化、スポーツ、犯罪と、良い面悪い面含めて、世間で注目を集めることがもっとも多い大学の総長による宣伝本。

 早稲田の目指している方向性と具体的な改革について、主に、教養(リベラルアーツ)教育、英語スキル教育、情報(コンピュータ)スキル教育の3つに絞って説明している。

 新書でこういうのを出すの(に手を貸すの)はいかがなものだろうか?
 
 
 そんなわけで、これはパンフレット的な本だから、ここで書かれてる内容はある程度割り引いて受け取らなければならない。

 特に、「寝る間も惜しんで勉強する学生が少なくない」という随所に出てくる理想的な学生像は、なんとも疑わしい。
 
 
 だけど、大学が目指している方向性は正しいだろうし、「チュートリアル・イングリッシュ」とかの具体策は高校生、新入生にとってはなかなか魅力的に見えるのではないだろうか。

 それに、何気に一番のポイントは、早稲田大学の、理念の実現に向けての実行力の高さ、フットワークの軽さが印象づけられることだと思う。
 
 
 それから、東大、慶応を意識していると思われる早稲田の自己イメージに関する次の記述もまた魅力的に聞こえる。

私は仕事で全国をまわっていますが、人々がある種の期待と信頼をこめた視線を早稲田に向けていることを実感しています。とりわけ世の中が順調に流れていないとき、官ではなく民の意思を代弁する早稲田的なるものへの熱い期待を感じとります。社会からの信頼が厚い分、その期待が裏切られる事態が生じると、世の中は早稲田に厳しい視線を向けます。民に支えられた「国民の大学」としてのブランド力は早稲田のかけがえのない財産です。 (pp198-199)

 
 そんなわけで、なんとも宣伝がうまいなぁと感じる本だった。

 菊池理夫 『日本を甦らせる政治思想――現代コミュニタリアニズム入門(講談社現代新書、2007年)
 
 
 

 なに、このうさん臭いタイトル!?
 
 政治思想が日本を甦らせられるわけねーじゃん!
 
 だいたい、「甦らせる」って、日本は死んでるってこと???
 
 バカじゃねーの。
 
 こんくらい、自分で気付けよ!!!
 
 しかも、コミュニタリアニズムって、欧米かっ!
 
 それに、共通善が大事なら、別に何もしなくたって共通善は自然に作られんだから、心配する必要ねーじゃん!
 
 オレらの共通善をオッサンに勝手に決められたくないんですけどー???
 
 つーかさー、なんつーの、オレも一応、社会のこととか考えたことあるんっすよ。
 
 ダチとかとたまに話したりもするし。
 
 だけどさー、例えばさー、なんで茶髪はダメで、かつらはいいんすか?
 
 明らか、茶髪もかつらも同じっしょ?
 
 納得できないっすよ。
 
 オッサンたち、すぐ「今どきの若者はっ!」つってオレらのことバカにするっしょ?
 
 なんか、オレらの価値観だけが問答無用に否定されてるみたいで、まじウザイんすよ。
 
 結局、自分たちが全て正しいって思ってるんしょ?
 
 だから、そんなオッサンたちと善を共有してるなんて、マジ勘弁!
 
 自由万歳!オレ万歳!
 
 まあ、だけど、こんなオレでも、ぶっちゃけ、ダチは命張っても守るっすよ。
 
 だって、仲間っすから。
 
 オッサンと違って、オレのこと、まじ理解してくれてっから。
 
 あいつらと一緒に、バイクぶっ飛ばしながら、Doragon Ashとか三木道三とか聴いてっと、まじテンション♂♂アガっから♂♂
 
 だから、オッサンもいいダチ見つけっといいっすよ。
 
 最高にバスミ!バーンスミ!って感じだから。
 
 マジ生きてるー!!!って感じっすよ。
 
 あー、ウゼー!!!!!!
 
 なんでこんなこと、いちいちオッサンに語らなきゃいけねーんだよ!!!
 
 欧米か!オレ、欧米か!!
 
 まっ、そういうこっだから。分かるっしょ、オレの気持ち?
 
                       [渋谷区/20代男性]

 He is a communitarian, isn't he?
 
 
 
 出版社が付けたであろう大衆受けを狙ったダサいタイトルは措いておくとして、(おそらく)日本で初めてのコミュニタリアニズム(共同体主義)の一般向け入門書。

 なのだけど、この本の問題なのかコミュニタリアニズムの問題なのか分からないけど、いろいろと問題が多すぎる。

  「現代のコミュニタリアニズム」とは何よりも「共通善の政治学」 (p36)だから、「共通善」を形成する土壌である家族とか地域社会といったものを重んじるのはとりあえず分かるとしておく。

 だけど、「共通善」って具体的には何なのか分からない。

 で、結局、予想されたことだけど、「共通善」という名で「菊池理夫イズム」を正当化して語っているようにしか見えない。

非常勤を含め、大学で専門の政治思想の授業をしていても、こちらの思いがなかなか伝わらないことが多くなっています。(p210)

 著者自身によるこの感想を受け入れることがコミュニタリアニズムの問題を解決する糸口になりそうだ。

 結論。

 頑張って言語化しましょう。

 おまけ。

 ダメさがよく現れてる文章。

郵政民営化選挙の自民党の圧勝をポピュリズムの勝利とか「共通善」の実現として否定的に捉えている政治学者が私の周りにもかなりいます。(中略)
 しかし、このことから「共通善」とは「多数者の専制」であるとして批判するのは間違っています。批判すべきなのは、その結果が本当に国民全体のためのものであり、一部のためのものではないか、つまり本当の「共通善」であるかという点です。 (p188)

 塙花澄さんが、意外にニホンゴをしゃべれるようなので、お知らせしておきます。
 
 
 トラバした割に、内容がないので謝っておきます。
カレンダー
09 2024/10 11
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
最新コメント
[10/20 新免貢]
[05/08 (No Name)]
[09/09 ST25@管理人]
[09/09 (No Name)]
[07/14 ST25@管理人]
[07/04 同意見]
最新トラックバック
リンク
プロフィール
HN:
ST25
ブログ内検索
カウンター
Powered by

Copyright © [ SC School ] All rights reserved.
Special Template : 忍者ブログ de テンプレート and ブログアクセスアップ
Special Thanks : 忍者ブログ
Commercial message : [PR]