忍者ブログ
by ST25
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 「 “女性の趣味” 鑑定 」というものを作成しました。

 「 超正統派アイドル、・・・、普通のアイドル、・・・、かわいい一般人、・・・、アブノーマル、・・・ 」という、(特に、正統派)アイドルを最高とする“アイドル至上主義”という一つの基準( ※無意識のうちに当然とされているけっこう一般的な基準 )で測ったときの、(主に女性の顔に関する)好みの位置付けが分かるようになっています。

 3人のアイドルや女優の中で一番好きな人を素直に選んでいくと結果が出ます。

 選択肢には知名度の高いアイドルや女優を選んであります。

 30問と質問が多いのは正確さを期すためですので頑張ってください。
 
 
 「誰がかわいいか?」、「このアイドルはこれから売れるのか?」といった、個人の信念と信念がぶつかり合い何かと議論になる話題に、( 数多くのアイドルの(アイドルとしての)盛衰を見てきた人間が作ったという意味で )そこそこ経験的で客観的な解決策をご提供いたします。

 ぜひ、お試しください。
 
 
 改めてリンク : “女性の趣味” 鑑定
 
 
 【☆追記(2007年6月9日)】
 鑑定の名称を、「“女性の趣味/アイドルファン適性” 鑑定」から、「“女性の趣味” 鑑定」に変更しました。分かりやすさ第一ということで。

PR

 梅森直之編著 『ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る(光文社新書、2007年)
 
 
 『想像の共同体』の著者が早大で行った2日に渡る講演と、編者による解説を収めた本。

 アンダーソンによる講演の方は、彼の生い立ち、『想像の共同体』の誕生秘話、『想像の共同体』の現在の自己評価が、(主にのぞき見的な興味から)そこそこおもしろかったけど、他のところは話の対象がややマイナーで、その対象・話題にもともと興味がない人間には少々きつかった。

 それに対して、編者による解説の方は、平凡な講演の解説に留まらず、学問のより大きな流れの中にアンダーソンの研究を位置付けながらその意義や含意を解説していて、おもしろく、勉強になった。
 
 
 アンダーソンの議論のおもしろさは、「国民」や「国家」といった事象の“認識が相対的であらざるを得ないメカニズム”まで提示しているところにあると思う。(出版資本主義とか。)

 絶対的であると思われている事象の反証例を挙げて「 ほら相対的でしょ 」と言うだけでは議論として弱いけれど、認識が相対的になるメカニズムまで明らかにすると、説得力が格段に増す。

 例えば、トマス・クーンのパラダイム論が「そういう見方もある」程度にしか引用されない(ように思える)のは、この、“メカニズムの提示”に成功していないからではないだろうか。

 逆に言えば、アンダーソンの「想像の共同体」の議論は、右派にとっては誠実に対峙しなければならない主張だということである。

 メカニズムまで提示されていると、不毛な主張の投げかけ合いで終わることも避けやすいだろうし。

 ただ、(多少リベラルな)右派・コミュニタリアンである宮崎哲弥なんかは、(おそらく)アンダーソンの議論を否定するのではなくそれを受け入れて、「 テレビは国民という枠組みを作る役割を果たしている(から、いくら内容が酷くても全否定はできない) 」というようなことをしばしば言っている。

 このように右派が取り入れることが出来るのもメカニズムが提示されていることのメリットである。
 
 
 いずれにしても、「比較の亡霊」に取り憑かれたことのないような人たちには、「相対的」を強調する(敬遠されがちな)ポストモダンな議論の中でもアンダーソンは是非とも読まれるべきだと思う。

 本谷有希子 『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ(講談社文庫、2007年)
 
 
 各種の演劇賞、文学賞をにぎわしている、1979年生まれの若き劇団主宰者・小説家による小説。今夏、佐藤江梨子主演で映画化される。

 本谷有希子の名前は各所でいろいろ聞いていたけど、作品に触れるのは初めて。

 期待して読んだけど、特におもしろくはなかった。

 自分が唯一無二の特別な存在だと信じ込むことで生きている澄伽、澄伽の現実離れした危うさを分かりつつも彼女を肯定する役割を引き受け続ける血の繋がりのない兄・宍道、澄伽をひたすら客観的に観察し続ける妹・清深、澄伽とは対照的に現実の平凡さ・厳しさをそのまま受け入れて大きな望みを抱かずに生きている宍道の妻・待子。この4人の危うい同居生活および澄伽の危うい実存が破綻するまでを描いている。

 確かに、澄伽のように、現実の辛さに目を向けず、他者とのコミュニケーションも自己肯定や自己の存在意義の確認のためのものでしかない、“自我のもろくて危うい人”というのは現代に多い特徴の1つかもしれない。

 だけど、この現象自体はけっこう認識されていて、作品の主題として新奇なものではない。

 では、「描き方に何か秀でたものがあるか?」といえば、別にそうでもない。

 特に、登場人物たちではない第3者的な視点から4人をほぼ同等に扱っているために、どの人をとっても描写・踏み込みが浅くなっている。

 ストーリーも、危うい自己が破綻するまで、いたってシンプルな流れ。

 高橋源一郎の「解説」も、最初に本谷有希子をべた褒めしてる割に、後半で小説の内容に触れつつ言ってることは1970年代かと見まがうばかりの古い話でしかない。すなわち、「絶望的な現実に直面する実存」という。これでは肯定的な評価にならない。

 と、そんなわけで、この作品は期待外れだったのだけど、Amazonの単行本版のレビューを読んで、本谷有希子に対する判断は持ち越すことにした。

 というのも、まず、この小説は、舞台で上演されたものを小説にしたものであるとのこと。

 それなら、焦点を1人に絞らず、各登場人物をそれぞれにそこそこ描き、結果、それぞれの人物の描写が浅くなるのもやむを得ないところかもしれない。

 それから、この小説は、本谷有希子の作品の中では出来の芳しくないものであるらしい。

 それなら、他の作品を読まないわけにはいかない。

 そういうわけで、結論。

 兎にも角にも他の小説を読まなくては。
 

 野口旭 『グローバル経済を学ぶ(ちくま新書、2007年)
 
 
 「グローバル化(市場開放)すると自国経済に打撃を与える!」、「国際競争力をつけなければ!」、「貿易黒字/赤字を解消しなさい!」というよく聞く俗説が誤りであることを、基本中の基本な国際経済学を用いて簡単かつ丁寧に説明している本。

 同じちくま新書に、この著者による『経済対立は誰が起こすのか』という本があり、内容・主張で重複するところは多い。

 だけど、個人的には今回の本の方が説明が丁寧かつすっきりしていて分かりやすかった。
 
 
 それで、主張の正しさは分かったが、では果たして、直観に反するこれらの主張はどのように表現すれば世間で受け入れられるだろうか?

 ちょっと挑戦してみる。

 「貿易黒字/赤字」問題に、貯蓄-投資バランス論によって応える。

 貿易黒字/赤字の問題とは、要は、輸入超過側=貿易赤字国側(例えば、アメリカ)から見れば、 貿易赤字になるのは、国民の消費が活発で、自国内で生産をまかないきれない場合、輸入せざるを得ず、貿易赤字になる。ということであり、別段問題はない。 ということである。
 
 他方、輸出超過側=貿易黒字国側(例えば、日本)から見れば、 貿易黒字になるのは、国民の消費が活発ではなく、自国内の生産資源(機械とか労働とか)に余裕があり、その余裕分で作った製品を必要としている国に輸出できるから輸出する、と貿易黒字になる。 ということである。
 
 これを見ると分かるとおり、貿易黒字/赤字というのは、あくまで、ある一時点での国の間での過不足分のやり取りに過ぎない。
 
 決して、二国間の国際競争力の違いによって生まれるものではない。
 
 これのどこがいけないのだ? むしろ、助け合いじゃないか?

 というのはどうだろうか?

 いや、もちろん、貯蓄-投資バランス論というのは、正確には「 経常収支=貯蓄-国内投資 」で表されるものだというのは百も承知だけど、上の説明でもほぼ同じことは言えているのではないだろうか?どうだろうか?

 
 他にも、比較優位論、ヘクシャー=オリーン=サミュエルソン・モデル、プロダクト・サイクルなどを使って各種俗説が正されている。

 保護貿易主義の間違いも重要だから簡単な言葉で説明できるようにしたいけど、こっちは結構複雑だから難しい。
 
 
 ところで、この本は良書であってここで書きたいことがあったから最後に簡単に批判するに止めておくけど、この著者は未だに「専門知-世間知」とかいう分類を使っている。

 「専門知」に依って立つことを明言しているこの著者は、経済学の他にも、この本の内容・文章と関係する、政治学、社会学、法学、歴史学、心理学、医学、言語学、日本文学、日本語学といった、あらゆる学問のあらゆる領域の「専門知」を全て習得しているということだろうか?

 「専門知」という言葉を使い、(「世間知」に対する)「専門知」というものを擁護できるのはそういう人のみのはずである。

 ちなみに、著者が何の間違いか、「世間知」を用いてしまっている箇所を少なくとも1箇所見つけた。

対外自由化とはまさに自らが保持している行政権限の縮小を意味することになるのですから、通産省がそれに抵抗するのも当然です。 (p36)

 ここで「当然」とか言ってしまうのは「世間知」。

 京極夏彦 『鉄鼠の檻・分冊文庫版(一)(二)(三)(四)(講談社文庫、2005年)
 
 
 謎の寺で起こる禅僧連続殺害事件の謎に迫るミステリー小説でありながら、初心者にも分かるように禅の何たるかを教えてくれる1300ページ超の力作。いわば、『ダ・ヴィンチ・コード』の禅版。(というのは、さすがに、ミステリー小説をほとんど読まず、宗教にも無知な人間の短絡か?) ちなみに、タイトルは「てっそのおり」と読む。

 初めての京極夏彦だし、かなり長いし、最後まで読めるか不安だったけど、おもしろくて、読み甲斐もあって、難なく最後まで読めた。
 
 
 Amazonの文庫版のレビューを見ると、「禅のことはよく分からないから置いといて、ミステリーとしてはいまいち」という感想が多い。

 確かに、最後の種明かしのところは、それまでの物語の展開のさせ方(のレベルの高さ)からすると、作り込みが浅くて期待はずれの感はある。

 だけど、事件のトリックとか犯人の動機とかキャラクターのおもしろさとかに重きを置いて読むのは、この小説の味わい方としては一面的すぎる。

 なぜなら、この小説は、ただのミステリー小説ではなくて、文学的・哲学的な小説だからだ。
 
 
 具体的に言うと、まず、禅とは何かについて直接的な説明で伝えるだけでなく、物語全体を含めて、禅的な要素や構成が各所に散りばめられている。

 特に、禅とは全く無縁である登場人物が、現実世界について・人生について悩んだ挙句、禅的な“小さな悟り”を得ていくという展開は、まさに知識として与えられた禅のさり気ない応用・実践例となっている。そして、これは様々な登場人物に当てはまっている。

 この、物語の展開とともに進んでいく“禅的深化”(あるいは、“檻”からの脱出)とでも名づけられる各人の変化、そして、そのプロセスの緊張感溢れる詳細な描写は、世俗の世界や人生に関する問題の禅的な解決の道筋を大胆に示していて、この小説の醍醐味の1つとなっている。

 これは、この小説における禅の適用範囲の横への広がり(非禅僧・世俗世界への適用)という効用をもたらしている。

 他方、この小説は、禅に関する基本的な知識を教えるだけでなく、禅に関する難しい問題にも挑戦している。

 例えば、「宗教は大衆を救済するべきはずなのに、禅僧が寺にこもって修業し続けるならそれはただの自己満では?」という禅と社会との関係に関する問題や、「以心伝心、教外別伝である禅における言葉の位置付けとは?」という禅と言葉に関する問題や、「悟りは脳波によって測定・解明できるか?」という禅と科学に関する問題などである。

 これらによって、この小説における禅の(あるいは人間の哲学的・実存的問題の)扱いに際しての深みが増している。

 こうして、この小説は、禅的要素が“幅広く”かつ“奥行き深く”使われている、したがって、禅の世界に止まらない世俗の世界や人生に関係する問題が深く問い詰められている、文学的な小説になっているのである。
 
 
 さて、それで結局、禅とは何なのか?

 「分かった」と思って口に出した途端に逃げていく類いのもののようだし、実体験が伴わないから、何とも言えないけど、話の終盤近くに出てくる(したがって、若干だけどネタバレでもある)部分がもっとも自分には分かりやすかった。

生き乍(なが)らにして脳の呪縛から解き放たれようとする法が禅なのだ (第4巻・p88)

 これだけ見ると「何のことやら」という感じがするかもしれないけど、 〔悟りは〕修業の終着点ではあり得ない (第2巻・p304)、 生きることが即ち修業であり、生きていることが悟り〔である〕 (第2巻・p305)といった他の説明とも合わせて考えると、それなりに理解できるような気がする。

 禅は、神秘体験のような非日常的な契機を否定したり、他者を巻き込まずあくまで個人的な生のあり方として存在していたりと、他の宗教とは異なっているところが多々あるようである。

 とはいえ、やはりそこは宗教、よく分からないところはもちろんある。

カレンダー
09 2024/10 11
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
最新コメント
[10/20 新免貢]
[05/08 (No Name)]
[09/09 ST25@管理人]
[09/09 (No Name)]
[07/14 ST25@管理人]
[07/04 同意見]
最新トラックバック
リンク
プロフィール
HN:
ST25
ブログ内検索
カウンター
Powered by

Copyright © [ SC School ] All rights reserved.
Special Template : 忍者ブログ de テンプレート and ブログアクセスアップ
Special Thanks : 忍者ブログ
Commercial message : [PR]