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昨日のポリティカルコンパスに続いて、今日は「 恋愛頭脳 」を久しぶりにやってみた。こちらもほぼ2年ぶり。
結果(※全世代からみたもの。抜粋)は以下の通り。
恋愛観レベル:中学生(14段階中7番目)
【恋愛観支持率】 53.9%
【恋愛スタイル】 長期低テンション恋愛型
【印象】 おもしろくない人、カタブツと思われがちです
総合コメント
studさんの恋愛観は、偏りが多く見られ、バランスが良いとはとても言えません。studさんが考えることは、他の人より浅いのかもしれませんし、深く考えすぎて共感のもてないものになっているのかもしれません。彼氏彼女ができ、時間の経過とともにお互いの理解が深まれば深まるほど、埋めがたい恋愛観の差を感じることも多そうです。そのギャップを「乗り越える」か、はたまた相性のいい人に「乗り換える」のか…
ジャンル別コメント
・人生における恋愛:
非常にバランスが良いでしょう。恋愛に固執せず、重くもなく軽くもなく、人生を広い視野から捉えています。得てしてstudさんのような感覚のほうが、恋愛最重視の人よりも上手に付き合っていけるものです。
・社会における恋愛:
少し現実主義の傾向があるものの、ロマンチックな面も持ち合わせ、なかなか魅力的なバランスを保っています。あまりベタベタした付き合いは好まないようで、二人だけの世界にどっぷりということはなさそうです。
・自己犠牲の精神:
studさんは騙すより騙されるほうがマシ、という姿勢で何もかも捧げてしまいがち。それが美徳となるのは、同様に何もかも捧げてくれるパートナーがいてこそ。studさんの極端に尽くす姿勢は、地に足がついていないため危険です。
・ルックス:
studさんはルックスにわりと無頓着であると言えるでしょう。異性のルックスにあまり執着しない点は好感がもてますが、studさん自身のルックスに無頓着であることは一般的に好感を持たれません。自分を磨くことは忘れずに。
・財力:
studさんは非常にバランスのとれた考え方をしていると言えるでしょう。お金があることで得られる喜び、減らせる苦労の範囲をよくわきまえているのではないでしょうか。あとはstudさんのパートナーにも共通認識をもってもらえば、お金に関する不満やトラブルなどはなさそうです。
・安定と刺激:
安定志向に偏っています。彼氏彼女を次々替えて楽しもう!とは言いませんが、ひとりの人と付き合うにしてもあまりに安定志向では愛想を尽かされるかもしれません。studさんと同じ安定志向の人と付き合えばそれこそ安定はしますが、世間の色恋沙汰から隔離された寂しさを味わうことでしょう。
・駆け引き:
studさんは一般レベルよりかなり駆け引き重視に偏っています。テクニックを駆使して相手より優位に立つ恋愛を無意識のうちに繰り広げていませんか?このテの恋愛は自分はラクですが、気づけば相手が疲弊していたり、別れた後にむなしさが残ったり…
・許容と束縛:
studさんは、付き合った相手を束縛するようなことは好まないようです。相手に不自由な思いをさせたくないのか、相手に興味がないのか、自分が自由でいたいからなのかはわかりませんが、付き合っていることの「当然」が当然でなくなるリスクを負っていることを感じるべきでしょう。
・将来への意識:
長期的な視野に立って物事を判断するタイプのようです。恋愛においてはそれが必ずしも幸せに直結するとは限りません。毎日の積み重ねを軽視すると、studさんの彼氏彼女にとっては、どこかスカスカな日々を送っている気になるものです。たまには先のことを考えない壊れっぷりも発揮しましょう。
「 暗い、不幸な人生へようこそ! 」って言ってるみたいな鑑定結果・・・。
2年前は、「 恋愛観レベル:先生(14段階中4番目) 」、「【恋愛観支持率】 86.4% 」、「【恋愛スタイル】 中期低テンション恋愛型 」で、コメントでは軒並み「バランスがいい」って褒められてたんだけど・・・。実感としても、2年前の結果の方が自分に近い気がするんだけど・・・。
自分が変わったのか、世間が変わったのか・・・?
この鑑定は絶対評価ではなくて相対評価(多数決みたいなもの)だから、世間が変わるということもありうる。
恋愛の価値観は、そのときどきの自分の状況なり気分なりで大きく変わりうる。
どっちだろ?
なにはともあれ、、、今回の結果を謙虚に受け止め、今後の人生に活かして参ります。
でも、やっぱり、今回の結果は、表面ばっか見て、心の奥が見られてない観が強い。(と、必死に駄々をこねてみる)
【リンク】
――恋愛頭脳( ノーマル )
――恋愛頭脳( 自分との相性診断付き )
政治状況・経済状況も、自分の知識・思考もかつてとは変わっている。
そこで、久しぶりに「 日本版ポリティカルコンパス(ドラフト3) 」をやってみた。
政治的価値観は、値が10に近いほど保守、-10に近いほどリベラルになり、
経済的価値観は、値が10に近いほど右派(市場信頼)、値が-10に近いほど左派(政府介入)になる。
で、結果は、
政治的な右・左度( 保守・リベラル度 ) : -2
経済的な右・左度( 市場信頼派・政府介入派 ) : -2.04
あなたの分類は リベラル左派 です。
とのこと。
2年くらい前にやったときは、【 保守・リベラル度:-3.4/市場信頼・政府介入:-0.56 】だった。
この間、経済学を(独学でだけど)学んだから、経済的価値観は市場信頼派に傾くかと思ったら、逆に政府介入派に1.48傾いた。( 学問的な正解と価値観は違うということか? もちろん、経済学的に全て回答できるわけではないだろうし、全て正解通りに回答したわけでもないけど。)
政治的価値観は、変わりうる要因は特にないような気がするけど、右に1.4ずれた。位置的にも気分的にもそんなに変わらない移動ではあるけど。
全体としては、薄いリベラル左派であることに変わりはない。
まあ、こんなとこだろう、という感じの無難な結果だと思う。
ちなみに、最近では、ヤフーにも政治ポジションテストというものがある。けど、設問数が16問と少ないから、52問ある今回やった「日本版ポリティカルコンパス」の方が正確さ・信頼度は高そう。
以前、取り上げて予想などをした、ヤングジャンプ・全国女子高生制服コレクション、通称「制コレ」の結果がようやく発表された。(→結果発表)
4月の中間発表で8人に絞られており、今回発表されたのはその中での順位。(※細かい票数などは公表されていない。中間発表の基準はよく分からない。)
1位・グランプリは、自分の予想通り、各種投票で手堅く票を集めた川原真琴。( ハガキ1位・携帯1位・ウェブ2位 )
2位・準グランプリは、幼いかわいさで票を伸ばした12歳の鮎川穂乃果。( ハガキ5位・携帯2位・ウェブ3位 )
3位・準グランプリは、自分が「良い」と言っていた水沢奈子。( ハガキ2位・携帯5位・ウェブ5位 )
以下、4位・準グランプリ:篠崎愛、5位・準グランプリ:河合いよ、6位・準グランプリ:青谷優衣、7位・準グランプリ:小田あさ美、8位・準グランプリ:坂本りおん、となっている。 (※なんで準グランプリが7人もいるか、なんてここで聞かないで下さい。)
自分が一番推していた南結衣が中間発表で落とされたのは残念だ(というか納得できない)けど、自分が推した3人(14人中)のうちの2人である川原真琴と水沢奈子が上位に来ているのは救いではある。
しかし、である。
しかし、なのである。
なんと、今回発表された結果は暫定のものであって、これからの活躍次第、すなわち、週刊YJ、ヴィジュアルYJ、携帯YJでのグラビアへの反響次第で、結果が変わるとのことなのである。( 最終結果の発表は来年1月。)
なんと、なんと愚かしいシステムであることか・・・。
これは、コンテストの意義である「 発掘・受賞→活躍 」という回路を断ち、「 活躍→受賞 」という逆向きの回路にすることを意味する。( なお、ここでは、「グラビアへの反響」という基準の曖昧さ・不透明さ・条件の不平等さの問題はおいておく。 )
主催者が気づいているかは知らないけど、ちょっと考えれば解るように、活躍、ここで言えばグラビアへの反響、というのは、大いにグラビア以外のところでの活躍具合に左右されるものである。
例えば、極端な場合を考えれば、今回最低の8位だった子が、ドラマや映画(やスキャンダル)で急に注目を浴びた場合、グラビアへの反響も他の7人に比べて確実に大きくなる。
そして、こういう事態が起こった場合(※最近のアイドルはこの手のコースで一躍有名になる人が多い。メジャーどころでは、綾瀬はるか、沢尻エリカ、堀北真希、北乃きいなど。)、8位だった子を1位・グランプリにしないわけにもいかないし、逆に1位にしたところでそれはドラマや映画(やスキャンダル)のお陰なのであって、いずれにしても制コレの存在意義を全く無に帰することを意味する。
それに、このドラマや映画などでの活躍というのは、しばしば事務所の大きさに左右されるものである。
これに対して、「そんなことはめったに起こらない」という反論があるかもしれない。
確かに、そんなことはめったに起こらない。
けれど、第一に、起こった場合のリスクが大きすぎる。なんせ、制コレの存在意義を完全に無に帰し、歴史ある制コレを嘲笑の的にしてしまうのだから。
それに、第二に、こういうことが起こらなかった場合というのは、( 制コレの暫定順位が発表されたにもかかわらず )誰も大して活躍・飛躍しなかったということを意味しているわけで、誰がグランプリになろうと今後の活躍にとって関係ない(なかった)、ということになる。
アーメン。
理由も意図もよく分からないけれど、その迷走ぶりだけがはっきりと目に留まる今回のシステム変更である。
ただでさえ、結果発表までの時間が長すぎるというのに、さらに、先延ばししていたのでは、新鮮味や記憶が薄れ、人々の関心も遠のいていく。それに、今までのは一体なんだったのかという懐疑心と虚無感も生まれる。
若い子向けのファッション雑誌がたくさん売られ、若くしてデビューする女の子が増え、(歌やダンスなどをやる)芸能スクールも色々ある、そんな世の中だからこそ、自分では垢抜けられないでいる、芸能界に内心密かに憧れを抱く女の子が、背伸びすることなく、いつも着慣れた制服姿で無理にお洒落や化粧せずに応募できる、そんな、夢見る普通の女の子と芸能界との架け橋として、制コレは存在してほしいなぁと、しみじみと思うのでありますよ。
そんな希望は見果てぬ夢ですか。(だからどうした。)
※1.制コレについての分析は、冒頭でリンクした記事も参照ウオ。
※2.制コレ'07のブログがある。( 純粋な個人ブログではない )企画もののブログは成功しない、というのがアイドルブログを色々見てきた人間の結論だけど。
三浦博史 『舞台ウラの選挙』 (青春新書、2007年)
選挙コンサルタントが今の日本の選挙がどんなものかを(候補者の側から)語っている本。
衆院から首長から地方議会まで各種選挙で大体どれくらいのお金がかかるかを具体的に示しているところはおもしろい情報だった。
だけど、他のところは、日常生活、友人関係、企業の経済活動、政治ニュース、芸能界のニュースなどに、普段からある程度、敏感に接している人なら解っているレベルの見方にすぎない。
例えば、選挙に勝つ要因は「オーラ」と「熱意」である、とか。
まあ、そもそも、選挙自体が国民の支持・投票を求めて行われる活動だから、一般的な国民の感覚から外れた奇異なことをしたところでうまくいくはずがなく、当然といえば当然だけど。( でも、プロなら何か秘策があるのではないかと期待してみたくはなるものだけど。)
そんなわけで、いかにも新規参入組の新書らしい内容の薄い一冊。
それにしても、この本を読みながら思ったのは、安倍首相は選挙(衆院選および自民党総裁選)で勝ったのに今の惨状があるわけで、つまりは、選挙で勝つことと優れた政治家であることとは全くの別物なのだなぁということ。( これは非常に残念なことではあるのだけど・・・。)
柿喰う客・企画公演 『 誰も笑わない「検察官」 』 ( 構成・演出:中屋敷法仁/原作:ゴーゴリ作・浦雅春訳 「査察官」/2007年5月31日~6月4日/@赤坂RED/THEATER )
劇団「柿喰う客」と学生ユニット「素晴らしき青春」とが、同じ時期に同じ作品を同じ演出家で上演するという企画の下に行われた公演。
「柿喰う客」の方だけ観た。
脚本は光文社古典新訳文庫版のゴーゴリ「査察官」で、台詞も(おそらく)7~8割は原作本と同じ。
とはいえもちろん、原作本とは違うところ、原作からは相当ズレた演出も各所に出てくる。
この「査察官」という戯曲は、とある田舎の「すねに傷のある」市長や判事や病院監督官たちが、ただの旅人を大都会から来た査察官だと勘違いし、ごまをすったり過剰にもてなしたりし、旅人の方も調子に乗って陛下にも通じている有力官吏ぶってやりたい放題やり、最後に、その偽査察官たる旅人が去った後に本当の査察官がやって来て一同仰天、という話。
色々楽しみどころはあるけれど、原作の冒頭に引用されている「 手前の面(つら)がひどいのに 鏡を責めるお馬鹿さん 」ということわざからして、偽の査察官を必死にもてなす普段は偉ぶっている田舎のお偉方たち(小役人たち)のてんやわんやぶりが最大の楽しませどころだと考えられる。
ということを踏まえて今回の舞台を観ると、周辺的なところばかりを凝っておもしろくしていて、この戯曲の肝心のところがつまらない、ということになる(なった)。
確かに、「柿喰う客」らしい奇抜なアイディアや演出は色々あってそれはおもしろかったのだけど、やっぱりメインの話がおもしろくないと、全体としては「おもしろい」という感想は持てない。 ( 「それも演出。」という意見もあるかもしれないけど、それなら、古典戯曲を原作にして台詞もほとんどをそのままにして演じた今回の公演の企画自体の意味が希薄になる。)
それから、他の公演では素直に笑える下ネタ(を使った台詞や演出)も、周辺的な話のところでばかり出てくるから、実力のないお笑い芸人や慎みのない一般人が苦し紛れに下ネタで笑いを取ろうとするときの品のなさ、痛々しさを少し感じてしまった。
全体的な感想はこんなところ。
細かいところで気になったのが、市長のキャラクター(あるいはキャスティング)。
ゴーゴリが書いた「役者に対する但し書」からして、若干矛盾をはらんでいるように見えなくもないようなものだから、それをどう取るかは難しいのだけど、悪徳で威張ってる田舎の市長にしてはスマートすぎるように感じた。( いわばプーチン大統領みたいな感じだった。)
田舎の市長なのだから、「たたき上げ」「品がなく」「がさつ」というところを強調して、イメージとしてはエリツィン大統領みたいな感じにすべきだったと思う。
この市長のスマートさが、「鏡を責めるお馬鹿さん」の愚かしさ、滑稽さ(というこの戯曲のおもしろさの核心)を奪っているように思えた。
それから、細かいところで逆に「すごい!」と思ったのが、「(男が女の肩に勝手にキスしたのを)ひざまずいて謝る」という場面を、「(男が)ひざまずいて女に乗る」という情景(正常位)にしたところ。
この場面を観たとき、思わず、(大袈裟にも)「 歴史的偉業だ!」と心の中で叫んだ。
同じ動作をちょっと変えるだけで意味を180度変えてしまっているわけだ。
と、まあ、色々あるけど、中屋敷法仁及び「柿喰う客」が他の劇団と比べて並外れた豊かな才能を持っていることは、今回の舞台を観ても全く揺るぎなく実感できたところではある。
ただ、やっぱり、今回、この舞台を観るに際して、「柿喰う客」が、「そこそこまじめな話をどう作るのか?」、「そこそこまじめな話でどうおもしろくしてくれるのか?」、あるいは、「下ネタに頼らずにどうやっておもしろくしてくれるのか?」に関心を持っていたのだけど、これらの点に関しては期待はずれだったかもしれない。 ( 「今回の舞台はそういう(ことが分かる)舞台ではなかっただけ」とも言えるけど。) ( これまでの他の公演も、下ネタだけで笑いを取ってるわけではないけど。)