[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
柿喰う客・企画公演 『 誰も笑わない「検察官」 』 ( 構成・演出:中屋敷法仁/原作:ゴーゴリ作・浦雅春訳 「査察官」/2007年5月31日~6月4日/@赤坂RED/THEATER )
劇団「柿喰う客」と学生ユニット「素晴らしき青春」とが、同じ時期に同じ作品を同じ演出家で上演するという企画の下に行われた公演。
「柿喰う客」の方だけ観た。
脚本は光文社古典新訳文庫版のゴーゴリ「査察官」で、台詞も(おそらく)7~8割は原作本と同じ。
とはいえもちろん、原作本とは違うところ、原作からは相当ズレた演出も各所に出てくる。
この「査察官」という戯曲は、とある田舎の「すねに傷のある」市長や判事や病院監督官たちが、ただの旅人を大都会から来た査察官だと勘違いし、ごまをすったり過剰にもてなしたりし、旅人の方も調子に乗って陛下にも通じている有力官吏ぶってやりたい放題やり、最後に、その偽査察官たる旅人が去った後に本当の査察官がやって来て一同仰天、という話。
色々楽しみどころはあるけれど、原作の冒頭に引用されている「 手前の面(つら)がひどいのに 鏡を責めるお馬鹿さん 」ということわざからして、偽の査察官を必死にもてなす普段は偉ぶっている田舎のお偉方たち(小役人たち)のてんやわんやぶりが最大の楽しませどころだと考えられる。
ということを踏まえて今回の舞台を観ると、周辺的なところばかりを凝っておもしろくしていて、この戯曲の肝心のところがつまらない、ということになる(なった)。
確かに、「柿喰う客」らしい奇抜なアイディアや演出は色々あってそれはおもしろかったのだけど、やっぱりメインの話がおもしろくないと、全体としては「おもしろい」という感想は持てない。 ( 「それも演出。」という意見もあるかもしれないけど、それなら、古典戯曲を原作にして台詞もほとんどをそのままにして演じた今回の公演の企画自体の意味が希薄になる。)
それから、他の公演では素直に笑える下ネタ(を使った台詞や演出)も、周辺的な話のところでばかり出てくるから、実力のないお笑い芸人や慎みのない一般人が苦し紛れに下ネタで笑いを取ろうとするときの品のなさ、痛々しさを少し感じてしまった。
全体的な感想はこんなところ。
細かいところで気になったのが、市長のキャラクター(あるいはキャスティング)。
ゴーゴリが書いた「役者に対する但し書」からして、若干矛盾をはらんでいるように見えなくもないようなものだから、それをどう取るかは難しいのだけど、悪徳で威張ってる田舎の市長にしてはスマートすぎるように感じた。( いわばプーチン大統領みたいな感じだった。)
田舎の市長なのだから、「たたき上げ」「品がなく」「がさつ」というところを強調して、イメージとしてはエリツィン大統領みたいな感じにすべきだったと思う。
この市長のスマートさが、「鏡を責めるお馬鹿さん」の愚かしさ、滑稽さ(というこの戯曲のおもしろさの核心)を奪っているように思えた。
それから、細かいところで逆に「すごい!」と思ったのが、「(男が女の肩に勝手にキスしたのを)ひざまずいて謝る」という場面を、「(男が)ひざまずいて女に乗る」という情景(正常位)にしたところ。
この場面を観たとき、思わず、(大袈裟にも)「 歴史的偉業だ!」と心の中で叫んだ。
同じ動作をちょっと変えるだけで意味を180度変えてしまっているわけだ。
と、まあ、色々あるけど、中屋敷法仁及び「柿喰う客」が他の劇団と比べて並外れた豊かな才能を持っていることは、今回の舞台を観ても全く揺るぎなく実感できたところではある。
ただ、やっぱり、今回、この舞台を観るに際して、「柿喰う客」が、「そこそこまじめな話をどう作るのか?」、「そこそこまじめな話でどうおもしろくしてくれるのか?」、あるいは、「下ネタに頼らずにどうやっておもしろくしてくれるのか?」に関心を持っていたのだけど、これらの点に関しては期待はずれだったかもしれない。 ( 「今回の舞台はそういう(ことが分かる)舞台ではなかっただけ」とも言えるけど。) ( これまでの他の公演も、下ネタだけで笑いを取ってるわけではないけど。)