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我が愛しのアイドルブログ・ランキング(10月版)は、現在の進行状況などを鑑み、22日水曜日にアップ予定。今後、こんな失態はなくしたい。
これだけだと素っ気ないから最近考えている愚見を一つ。
ちょっと長くなって何が言いたいのか分かりにくいかもしれないけど、ニュアンスで理解してほしいと思う今日この頃。(「ニュアンスで理解する」とはどういうことか?に関しては、これを参照。)
「NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly One
花屋の店先に並んだ いろんな花を見ていた
ひとそれぞれ好みはあるけど どれもみんなきれいだね
この中で誰が一番だなんて 争う事もしないで
バケツの中誇らしげに しゃんと胸を張っている
(中略)
そうさ僕らは 世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい 」
(『世界に一つだけの花』作詞・作曲:槇原敬之、唄:SMAP)
「ひとつにならなくていいよ 認め合うことができればさ
もちろん投げやりじゃなくて 認め合うことができるから
ひとつにならなくていいよ 価値観も 理念も 宗教もさ
ひとつにならなくていいよ 認め合うことができるから
それで素晴らしい
キスしながら唾を吐いて 舐めるつもりが噛みついて
着せたつもりが引き裂いて また愛求める
ひとつにならなくていいよ 認め合えればそれでいいよ
それだけが僕らの前の 暗闇を 優しく 散らして
光を 降らして 与えてくれる」
(『掌』作詞・作曲:KAZUTOSHI SAKURAI、唄:Mr.Children)
(※全文が知りたい場合には、「うたまっぷ」の歌詞検索から見ることができる)
2つの曲はどっちも同じようなことを言っている。「“一つ”じゃないから、“一つ”にならなくていい」と。
(※もちろん、『掌』の方は、イラク戦争を開始したアメリカ・ブッシュ政権の中枢=ネオコンに対する批判を一義的には意図していると思われるけど)
どっちも見事な歌唱力で歌われているから、(歌詞に関係なく)両方とも素晴らしい歌だと自分は思う。
けど、ここでは、この2つの「歌詞」に関して、2つの視点から考えてみたい。
まず一つ目は、寺島実郎が「小さな花――SMAPと加藤周一」(『脳力のレッスン』所収)で、加藤周一の1979年の詩を引用しながら『世界に一つだけの花』を直接論じた際に提示した視点。
その加藤周一の詩、その名も「小さな花」に、寺島実郎の主張の要点は要約されている。
「 どんな花が世界中でいちばん美しいだろうか。春の洛陽に咲き誇る牡丹に非ず、宗匠が茶室に飾る一輪に非ず、 ・・・・。
1960年代の後半に、アメリカのヴェトナム征伐に抗議してワシントンに集った『ヒッピーズ』が、武装した兵隊の一列と相対して、地面に座り込んだとき、そのなかの一人の若い女が、片手を伸ばし、眼のまえの無表情な兵士に向かって差しだした一輪の小さな花ほど美しい花は、地上のどこにもなかったろう。・・・・
一方には史上空前の武力があり、他方には無力な一人の女があった。・・・・ 自動小銃対小さな花。一方が他方を踏みにじるほど容易なことはない。
しかし人は小さな花を愛することはできるが、帝国を愛することはできない。・・・・権力の側に立つか、小さな花の側に立つか、この世の中には選ばなければならない時がある。・・・・ 私は私の選択が、強大な権力の側にではなく、小さな花の側にあることを、望む。望みは常に実現されるとは、かぎらぬだろうが、武装し、威嚇し、瞞着し、買収し、みずからを合理化するのに巧みな権力に対して、ただ人間の愛する能力を証言するためにのみ差しだされた無名の花の命を、私は常に、かぎりなく美しく感じるのである。」
(寺島実郎『脳力のレッスン』p255から再引用)
これは、『世界に一つだけの花』の、“弱さ・ダメさを認めたくないがための相対主義”(「なんでもオッケー」主義)に対する批判になっている。
この“ネガティブな相対主義”という点に関しては、『掌』にも当てはまる。
どっちの曲も、全てのものをそのまま肯定してしまっているのに対して、「本当に「なんでもオッケー」か?」、あるいは、「自動小銃より小さな花の方が、戦争より平和の方が、武器に守られた人より花の美しさを信じている人の方が、美しいと思わないか?」ということである。
もちろん、「何と何を比べるか?」というのは重要だけど、どっちの歌詞も厳しい選択を行った形跡はないから、「(〔後述するように〕いろいろな人たちの共存可能性を安易に前提にした上で、)価値判断や選択から安易に逃げて、全てを無批判に肯定している」という批判は免れない。
もう一つの視点は、先日取り上げた庄司薫『狼なんかこわくない』の問題意識のうちの一つである。
その先日の記事で引用した中に、「われわれが、一見単純で素朴なたたずまいでその純粋と誠実を貫くには、それを支える恐るべき複雑な強さ、複雑な困難に素朴に耐えるという恐るべき「力」をまず獲得しなくてはならない」という文が出てくる。
引用では目指すべき「目標」やそのために獲得すべき「力」までで、その先にある力を獲得する際の問題については言及されていない。実は、その後に次のような問題が指摘されている。
「 しかし、その「力」を獲得しようとすればぼくたちはこの現実の比較競争関係に入らざるを得ず、その場合は必ず比較における優劣、競争における勝敗が大きくうかび上ってきてその過程でぼくたちは他者の力を弱め傷つけ、自分はその最も人間らしいなにか(※純粋さとか誠実さ)を「喪失」する。」(p69)
例えば、受験で、自分が受かることによって、自分が受からなければ受かったであろう人を敗北に追いやる、とか。
つまり、共存可能性の現実的な難しさに関する指摘である。
この指摘に2つの歌詞を当てはめると次のようになる。
まず『世界に一つだけの花』。
「オンリーワン」であろうとすれば他者との比較競争関係に入らざるを得ず、その場合、必ず比較における優劣、競争における勝敗が存在しているのではないか?
「ナンバーワン」との関係で言えば、「ナンバーワン」ではない「オンリーワン」なんてあり得るのか?(恋愛なんか特に典型的。)
続いて『掌』。
確かに「舐めるつもりが噛みついて」「着せたつもりが引き裂いて」というような現実についての認識を示した上で共存を訴えている。
だけど、ネオコンのイラク攻撃を批判しているという解釈に乗った上で考えると分かりやすいけど、アメリカとイラクを共にそのまま認め合うということは、フセインによるシーア派やクルド系のイラク国民への虐殺や人権侵害をそのままにするということになる。
みんながみんな愛されたり認められたりというのは、滅多にあり得ることではない。こんな当たり前の前提・認識が2つの歌詞には欠けている。(そりゃ、こんな夢のような前提であればいくらでも良いこと(綺麗事)は言える。)
というわけで、「相対主義/価値判断・選択」と「共存可能性」という2つの視点から見るとどっちの歌詞にも問題がある。
もちろん、ここでは触れてない良い面もある。
だけど、「ナンバーワンでなくてオンリーワンでいい」とか「認め合えればそれでいい」とかいう言葉で安易に納得する前に考えてみるべきことだと思う。
〈前のブログでのコメント〉
- 僕が言うのも何ですが、1人1人の垣根が個性であり、人権と呼ばれるものの根幹なのかなぁっと思います。ただ、それを、自己と他者を、認識するためには、言語が必要であると思うわけです。逆説的な言い方ですが、分かり合えない事を認識するために言語は存在する。意識が異なる他者と同じ言語を共有する絶望的な希望。
安易な相対主義とは、ダイアログがない弱い個人の相対主義を指すんじゃないでしょうか。
花は美の共有という対話であり、武器は対話を否定します。
議論 議論 議論 です(笑)
話したつもりが 激詰めで、聞いたつもりが 論破で…♪ - commented by やっさん
- posted at 2006/11/16 18:33
- なるほど。「差異の認識ができること」は前提で書いたのですが、確かに、「差異の認識ができない=コミュニケーションできない」ことも「安易な相対主義/安易な共存可能性」の原因の一つではあるでしょうね。
でも、対話とかコミュニケーションができるできない以前に、そもそも「他者への関心が欠如していること」が最大の問題だと思います。だからこそ、「自分にとって望ましい言葉」にすぐに飛びついてしまう・・・。
こうなると、宮崎哲弥の本の感想でも話題になったリベラリズムの問題に至るわけです。彼は共同体主義で、自分は(主に)共和主義で、それを乗り越えられないかと考えているわけです。 - commented by Stud.◆2FSkeT6g
- posted at 2006/11/17 02:48
- 難しい問題ですので、思ったことを書きます。ニュアンスで理解して下さい(笑)他者を想定するためには、自分を考える必要があるんじゃないでしょうか。自分のことしか考えないとは、自分のことを考えていないということじゃないでしょうか。自分という存在の不思議、そして自分という存在と同じように存在しているが異なる存在である他人。
それを認識してこそ社会という概念が生まれる。そこでコミュニケーションという流れじゃないでしょうか。そのために必要なのは、問題意識を、つまり自分を、問われる、考える事が出発点ということになる(笑)
就職活動の段階で自分とは何かと問うたり、自分探しという謎の言葉が流行ったり。。自分はここにあるのに…。
いじめの問題や自殺の問題にも関わってきますね。宮崎氏の本は最後の仏教しかまだ読んでないのでまだ何とも言えません。 - commented by やっさん
- posted at 2006/11/17 11:33
- 大事なことを忘れてました。リベラリズムは、孤独ゆえに個人が耐えられるか。かなり実存的な課題です。自由と孤独は表と裏で…。
- commented by やっさん
- posted at 2006/11/17 11:42
- 「自分を考えることで他者を知ることができる」という考え、大賛成。確か、宮崎哲弥もそんなこと言ってたような気がする。
最近話題のいじめ自殺問題も、いじめる側、いじめられて自殺する側、自殺する校長、どの人も「他者への想像力の欠如」という点では共通してると思います。自殺した人には皆悲しんでる家族がいるみたいですから。 - commented by Stud.◆2FSkeT6g
- posted at 2006/11/17 19:50
- 自殺に関しては、他者への想像力が引き留める要因になるのはなかなか難しいと思います。
あえて言うなら自分に対する想像力。自分を大切にして欲しい。この問題で不眠症です。
僕が世界に一つだけの花より、掌のほうが良いと思うのは、後者のほうが悲しいからでしょうか。 - commented by やっさん
- posted at 2006/11/17 22:31
- う~ん。どっちも大切だとは思うのですが、生死の問題に関しては、一個人内の問題=自己決定権の問題にしてしまうと、「生きていること」がかなり相対化されてしまうように思います。自分の人生観とかに従って好きなタイミングで死ぬことを許容することになるので。自分を愛しているがゆえ、ということさえ考えられます。
子供の自殺は、大人と違って経験、判断力など避けられない問題が色々あるから難しい。 - commented by Stud.@Webmaster
- posted at 2006/11/18 01:03
- 自殺自体は非常に難しいのですが、自己決定権の話ではなく、一つ前の段階での意見というか、踏みとどまる要因というか。
死にたくなかったのに、生きたかったのに、死を選ばざるを得ない状況での選択はそもそも選択と言えるのか。自殺といっても一概に言えないのが複雑で難しいですね。。 - commented by やっさん
- posted at 2006/11/18 03:20
- まさに、“主観的には”「死を選ばざるを得ない状況」であるからこそ、「自分を愛する」というような一個人内の話では抑止にならないと思うのです。(自己決定権という言葉は適切ではなかったかもしれません。)それに、小中学生に「自分を愛する」というのは要求が高すぎるとも思います。
経験や世界が狭い小中学生の弱点を少しでも緩和するためには、学校の社会化、多重な帰属の保証が必要です。そうすることで、他者への想像力が養われ、自分への理解や愛情の深化にも結びつきます。
自分の理解や自分への愛情は、数々の相対化の過程を経て初めて可能になるように思います。
余談ですが、日本の文化や歴史を学習することで愛国心を涵養するという話もこう考えると怪しいと思っています。外国に行って初めて日本の良さが分かったという話はよく聞きますし。 - commented by Stud.◆2FSkeT6g
- posted at 2006/11/18 11:42
- たしかに、求めすぎるという悪い癖が出たかもしれません。
保守的な共同体思考による、みんな同じ化は仮に効果があれば、逆に悲劇を増やすおそれがあると考えています。
ていうか、何故改正したいのかが全くわかりません。むしろ、現行法が掲げる個人の尊重とそれを理解させるプロセスこそ求められているんじゃないでしょうか。
おっしゃるような方向性は賛成です。まさに自分が依るべき基準が一つである事が問題の一つでしょうから。 - commented by やっさん
- posted at 2006/11/18 14:24
- いつも通り解決策(の方向性)では一致(笑)
教育基本法改正に関しては、加藤紘一が、「変えても何も変わらない」って言ってましたが、冷静な分析だと思います。 - commented by Stud.◆2FSkeT6g
- posted at 2006/11/18 21:58
- 教育行政に関して責任の明確化やおっしゃるような学校の社会化は必要でしょうね。
教育基本法に関しては、あと審議拒否をやめて欲しい。あと今日、サンプロ見て思ったんですが、教育改革を叫ぶ議員のコミュニケーション能力があれでは、なんとも… - commented by やっさん
- posted at 2006/11/19 14:42
- 政権奪取を真剣に目指すなら審議拒否はダメですよね。
隗より始めよ。改革される前の学校で習いました。 - commented by Stud.@Webmaster
- posted at 2006/11/19 19:15
- 久しぶりに掌を聴いたら、まさに俺のための歌 ヽ(゜▽、゜)ノ
ネオコン…σ(^-^;) - commented by やっさん
- posted at 2006/11/24 15:00
- ラムズフェルドと同じ運命になる前に何度も聞いて学習するといいよ。って、遅かったか(笑)
それと、このあまりに不似合いな絵文字は一体・・・。 - commented by Stud.@Webmaster
- posted at 2006/11/24 21:25
- はは(笑) 純粋なのです 僕もラムズフェルドもウォルフウィッツもボルトンも。悲しい。
- commented by やっさん
- posted at 2006/11/24 23:16
世界は複雑だからw - commented by Stud.◆2FSkeT6g
- posted at 2006/11/25 00:56