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 長谷部恭男、杉田敦 『これが憲法だ!(朝日新書、2006年)
 
 
 憲法についての憲法学者と政治学者の対談。

 民主主義とか国民主権を重視する政治学者が攻め、立憲主義を重視する憲法学者が受けて立つという構図ですごく活発なやり取りが交わされてる。

 
 
 長谷部恭男は今の憲法学界をリードする学者である。

 そんな長谷部恭男の憲法観は、体系的な哲学のような、明確で開放的な基準に依ってではなく、その時々の社会情勢や社会通念に合わせて柔軟に条文を解釈していく、という法律学の特異性を極端にした見方に基づいている。

 すなわち、“憲法典”は、全て国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限の尊重を必要とする。 という憲法13条の個人の尊重および幸福追求権をほとんど唯一の“憲法原理”にした皆が一緒に生きていくための調整のルールに過ぎない。だから、憲法典の解釈は、文言をそのまま素直に理解するのではなく、この“原理”を守るという基準によってかなり自由に行うことができる。

 実にドライ。

 実際に書かれている条文なんて、いわば「“原理”を実現するという“ゲーム”のための“道具”に過ぎない」ということ。(だから、9条の解釈も、武力を放棄したら“原理”に書かれている「国民の生命」を守れないから武力を持てるように解釈すべきだ、という何でもありの問題含みのものになっている。)

 法律学に触れたことがない人からしたら、おそらく全くもって理解できる考えではないだろう。

 確かに、法律学は真実を追究する学問ではなくて実践的な学問だからやむを得ないところはある。

 だけど、ここまで開き直られてしまうと見過ごせない問題が出てくる。

 「なんで13条が“ほとんど唯一の原理”だと言えるのか?」

 突き詰めるとこれに尽きるように思う。

 この問題から派生して、法の支配の希薄化の問題とか、国民主権の骨抜き化の問題とか、権力の所在についての無自覚の問題とか、いろいろな問題が出てくる。

 実際、極端に言えば、長谷部恭男は民主主義(国民主権)なんていらない、あるいは、不可能だ、と考えている。

 例えば、「個人の生命に関わる9条の問題は国民の間で積極的に議論されるべきではないか?」というような杉田敦の問いかけ(p79)に対して次のように答えている。

国民的な議論を巻き起こすのであれば、もっとよく考えていただきたい。「この問題は、一体何と関連していて、仮にこの条文を動かすと、どういう帰結がもたらされ、その結果、日本のセキュリティーは全体として向上するのかしないのか」ということまで、全部含めて議論していただきたい。たとえば、9条の文言を動かしたとき、従来、内閣法制局を中心に組み立てられてきた歯止めは吹っ飛んでしまうのかしまわないのか。そのままなのであれば、条文を動かす必要はない。吹っ飛んでしまうとなると、それにかわる歯止めはどうするのか。法律で決めますというだけで、そのときどきの政治的多数派に対する歯止めになるのか。憲法上の歯止めがなくなってしまったときに、周辺諸国や同盟国との関係は、日本が国際紛争に巻き込まれる危険性は、新たに正統性を得た自衛隊が政治的発言力を増す可能性はどうなのか。
 そこまで含めて議論するのであれば、大いにやるべきだと思います。ただ、現在の日本の政治過程を見ると、はたしてそういう冷静な議論をするのに適切な環境なのか。さきほども言いましたが、日本の民主主義の危機的な状況を見ると、私は懐疑的だと言わざるをえないですね。 (p80-81)

 あなたは何様ですか? 神様ですか? 神の国の到来を待ち望んでいるのですか?

 憲法学という自分のテリトリー(=実存?)を守るためにここまで言うのか?と、ただただ呆れる。
 
 
 実際、ほとんどの憲法学者は民主主義が好きではないエリート主義者だ。(みんな自分では無自覚だけど。)

 だけど、一応国民主権を尊重するような倫理観は持っている。(いざとなったら国民主権を捨てるんだけど。)

 でも、長谷部恭男みたいにここまで開き直られてしまうと反発したくなる。

 この「反発したくなる気持ち」を大切にしたい。



〈前のブログでのコメント〉
読んでないんであれですが長谷部先生、一国民である事をお忘れかのようなご発言ですね。

九条は13条と矛盾するというのは小室直樹とかも言ってましたよね。。
commented by やっさん
posted at 2006/11/21 21:50
長谷部恭男に限らず、ほとんどの法律学者は、さんざん「社会通念(=平均的国民の常識的感覚)」という言葉に頼っておきながら、「社会通念」が自分たちの通説と異なるときには「素人の出る幕ではない」という態度を取ります。国民の常識と法律学との乖離は法システムの安定にとって危険な事態です。せっかく、司法制度改革が両者の距離を縮めようとしているのに、法律学者が逃げていくのでは・・・。お互い歩み寄らないと。こういう点からして、中高生への法教育の導入は真剣に考えるべきだと思っています。
commented by Stud.◆2FSkeT6g
posted at 2006/11/22 00:04 
今回の日記(?)は言葉の力を信じる学徒さん(英語めんどいので)の格好良さを感じました(一部マニアむけ(笑))!

民主主義とは言葉による戦いですな。
commented by やっさん
posted at 2006/11/22 00:17

そんなに褒められると恥ずかしい・・・(笑) たぶん、朝イチで体力が有り余っているときに書いたから活きが良いのだと思います(笑)
commented by Stud.◆2FSkeT6g
posted at 2006/11/22 00:23  
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