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by ST25
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 小・中学校の頃から、「詩」というと、表現が曖昧で、受容や解釈が個人の感覚にほぼ全面的に依存し、作者の自己陶酔的で・・・・、あまり好きな表現様式ではなかった。

 あるいは学校の教材で扱った詩が自分の好みに合わなかったからかもしれないし、あるいは自分の感性が詩を味わうほどには発達していなかったからかもしれないし、あるいは教えてくれた先生の力量不足のためだったかもしれない。

 しかし、いずれにせよ、最近、そんな詩に対する拒否反応が和らいできた。

 それは、詩の引用をふんだんに取り入れている大江健三郎の作品を読んだ影響であり、同じく詩の引用のある映画「地獄の黙示録」を観た影響でもあるし、野間宏の象徴詩に触れた影響でもある。ただ、このあたりの統合的な理解については近々まとめて書くつもりでいる。
 
 
 それで、今回書こうと思っているのは、「アイドルの詩」についてである。

 あくまで自分が頻繁に巡回するアイドルブログに限っての話だが、ブログを持っているアイドルのかなりの割合がブログで自作の詩を綴っている。具体的には、佐藤寛子、小明、喜屋武ちあき、中川翔子である。(ただ、中川翔子に関しては自作のものなのか、何かの歌詞か何かなのか判別できない。)

 しかし、それだけなら取り立てて騒ぎ立てるほどの出来事でもない。

 自分にとって重要だったのは、かねてから詩を書いていたが更新頻度の低かった佐藤寛子がここ1週間ほどの間に3回も更新したこと、今までそこそこ詩を書いていたけれどメルヘンな感じのものばかりだった喜屋武ちあきが趣の違う詩を書いたこと、あまり詩的な文章を書いていなかった小明が詩を書いたこと、という3つの大事件が、時を同じくして起こったことである。

 こうして今回、まとめてアイドルの詩を取り上げることとなった(取り上げざるを得なくなった)のである。

 とはいえ、自分は詩に触れた経験も非常に浅く、未だに詩をどのように扱えばよいのか分からない。そこで、以下では、自分が気に入った、各アイドルの詩の全部あるいは一部を引用し、何とかしてコメントをしていきたい。
 
 
 
 まず一人目は、佐藤寛子。ブログ(「佐藤寛子のひとりゴト」)では、ほとんど毎回、色々なことが詩を使って表現されている。しかも毎回そこそこの長さの詩になっている。そんなわけで佐藤寛子のブログには、詩的な表現の蓄積が結構ある。そんな中で、自分が断然に一番好きなのは、11月28日の「カレハ、ハレハ、アレト。」というタイトルの記事(詩)の冒頭である。

私は喉が乾いて乾いて、仕方なかった。
 あまりに喉が乾いて、涙が出てきた。
 何にも入ってこなかった。
 赤い夕焼けも、冷たい空気の感触も、甘く痺れた舌の感覚も、何もかもすべて。
 枯渇していた。
 私の源流のぜんぶ。
 水分という水分がすべて流れていってしまった。
 ドライアイ。
 さっきからコンタクトがとれそうだ。

 「喉の渇き」の深く絶望的な表現、その表現によって自然に思い至らされる“精神の渇き”。喉も精神も深く重い渇きのようだ。と、一転、「ドライアイ」という無味乾燥な音の名詞で、それまでの節と繋がりを保ちつつも軽快にリセットされる。華麗である。
 (前の内容を継承しつつも軽い名詞によって転調するという形が“見事に”はまっているのが、個人的にはここだけなように見えるのは残念な気がする。)

 それから、佐藤寛子の詩の、他の好きなところは、最後の終り方である。上で引用したのと同じ「カレハ、ハレハ、アレト。」と、9月15日の「あたふた、アタフタ」の二つの終わりを引用しよう。

あぁ、思い出してしまった。喉が乾く、乾いた。
 喉、喉か?喉じゃないだろ?
 それに気付いたときには、ペットボトルに詰まった水片手にレジの前に立ちすくんでいた。 (「カレハ」より)

最近ふ、と思う。  いかに、今まで何も考えずに与えられるがままに流されてきたかを。
 選択してきたようで、意味を持たないあやふやなモノ達をたくさんこしらえて、従えてきたかを。本当はもう、ずっとずっと選ぶ権利はあったのに…私のまわりにはいつのまにか、楽な、与えられる方が85%ぐらいになってた。
 かろうじて、15%生きてるものが必死にアタシを主張してた。 (「あたふた」より)

 どちらの終り方にも共通して言えることは、詩の最後の前までで悩み煩いながら色々な方向へトリップしていたにもかかわらず、最後の最後で、冷静でポジティブな佐藤寛子が登場してくることである。これにより、独善や偏狭や一時の激情からこれらの詩が書かれていないことが分かり、これらの詩が、佐藤寛子の思考(悩み等も含む)の蓄積、あるいは、佐藤寛子という人間の深みの結果であることを教えてくれている。そして何より、この終り方により、読み手に、安心と希望を与えてくれるのだ。
 
 
 
 さて、続いて、喜屋武(きゃん)ちあき。(→きゃんちあき☆おさとうとスパイスとすてきななにもかも) 喜屋武ちあきは小学生のとき以来のかなりの読書家で、ファンタジーが特に好きなようである。そして、いかにもファンジー好きらしい、ファンタジックでメルヘンチックな詩をしばしば綴っている。例えば、12月2日の「鏡の国のアリス」というタイトルの記事の(おそらく自作だと思われる)詩がそうである。

わたしは不思議の国のアリスたん。
 
 目を閉じれば、毎日がお誕生日でない日をお祝いするお茶会。
 
 ねずみはポットの中よ。
 
 迷い込んだアリスたん。
 
 目をあけてはいけません。

 その表現といい、その内容といい、まさしく想像力あふれるメルヘンなものである。そんな喜屋武ちあきが11月22日に「」というタイトルの記事で書いた詩は、その表現にメルヘンな志向を残しつつも、その内容は実存的で現実主義的なものとなっている。

見たくないから目を閉じた
 
 閉じても明るいので手で目を覆った
 
 指の隙間から入ってくる光に電気を消した
 
 日が昇ると眩しいから布をかけた
 
 布が薄いので穴を掘って入った
 
 上から日差しが差し込むので穴を埋めた
 
 ようやく真っ暗になった
 
 何も見えない 何も聞こえない
 
 これがわたしの望んでいたものなのか

 厳しい現実から、あるいは、不甲斐ない自分から、闇の中に逃げ出そうと必死に右往左往する様子が、とてもポップで創造的な表現で表されている。ここでは、メルヘンな表現と実存的な内容という親和性のなさそうなものの共生が、何らの違和感もなく成し遂げられているのである。お見事である。
 (ただ、「電気」のある“部屋の中”にいるのか、「穴を掘れる」“屋外”にいるのか、状況設定が混乱しているように思える。実存に悩むのなら「真夜中、自分の部屋のベッドの中」という設定が適しているように単純に思ってしまうのだが。)
 
 
 
 そして、最後は小明(あかり)。(→小明の秘話) 常に冷笑的なスタンスを保っている小明は普段、ブログで詩的な文章を書くことはあまりない。それが、11月28日の「なんとなく」というタイトルの記事で詩を書いている。この詩は、犬の散歩の際に見つけた、ぼろぼろになって捨てられていた自転車を見ての創作である。(その自転車の写真はブログに掲載されている。) 所属事務所のホームページ「小明の部屋」に掲載されている日記でその類い稀な文才をいかんなく発揮している小明だけに、詩を作ってもさすがに上手いものである。

私が彼女を見付けたとき
 彼女の息はもう無かった
 可哀想に両足をなくして
 ちからなくうつ伏せに倒れていた
 捨てられたのか
 連れ去られたのか
 どちらにしても
 心ない人に乱暴されたあとがある
 きっと彼女も少し前までは
 風をきって
 歌を歌って
 楽しく走っていたはずなんだ
 今では
 雨にうたれても
 風にさらされても
 もうそこから動けない
 こんな最期じゃないはずだろう
 一生懸命働いた彼女の最期は
 こんなものじゃないはずだろう

 表現が上手いことは言うまでもないところだろう。そこで、ここでより強調したいのは、全体の構成がしっかりしていることだ。自分の言いたいことをわき目も振らずに書くのではなく、綺麗な表現に踊らされるのでもない、透徹した“物書き”の姿勢がそこにはあると言える。(個人的には、人間を扱った小明の詩が見てみたい。)
 
 
 
 さて、3人のアイドルの自作の詩をちょっとずつだけれど見てきた。一見して分かる通り、3人とも、詩にそれぞれ当人の特徴が見事に表れている。

 何であれ、一まとまりの表現を創造することは簡単なことではない。第一、その時点において、その一まとまりの表現をするに耐え得るほどの自己が作られていなければならないのだ。しかも、この自己というものは、自然的形成物ではなく、意識しなければ作られないものである。そして、この「意識する」という作用は、その人を更に進歩させるものだ。

 こう考えると、詩を書いているアイドルは、応援したり、見守ったりしているうちに進歩する可能性を秘めているのであり、応援のし甲斐があるということである。野球やサッカーで考えると分かりやすいと思うが、いくら応援しても何ら影響を与えることができない人やチームを応援することには、どうしても意義を見出しにくい。そういうことなのである。

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