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 劇団BLUESTAXI・第14回公演 『落ちた男』 ( 脚本・演出:青田ひでき/2007年6月6日~6月11日/@中野ザ・ポケット )
 
 
 2ヵ月以上前に観た芝居。11年前の作品を手直ししての再演。

 以前観たこの劇団の芝居について、「 人の気持ちの変わり方・変わる契機が安易で浅薄 」と書いた

 そしたら、今回はもろに「人間は変われるか?」がテーマだった。このブログが影響を与えたわけではないだろうけど、思わず一人ほくそ笑んだ。
 
 
 それで、今回の作品での「変わり方・変わる契機」はどうだったか。

 確かに、主人公たちを中心に、惰性的な生活の中でなんとか変わろうという摩擦なり葛藤なりはあって、いきなり安易にあっけなく変わってしまう/変わらないでいるということはなかった。

 ただ、そんな主人公たちに精神的に大きな(プラスの)影響を与える“救い”的な位置付けの盲目の女性が、一人のプレイボーイ男をずっと信じていられる(=変わらないでいる)理由というのが、過去の一つの出来事(=転んだとき彼がただ一人助けてくれたこと)を絶対化しひたすら盲目的に信じ続けているだけだというのは、いただけない。なんせ、主人公たちの心の葛藤を全て相対化してしまうことになるのだから。( もちろんそれは、この作品が意図しない結論である。)
 
 
 さて、これとは別にこの芝居全体の感想を書くのに、チラシにも載せられている次の劇中の会話ほど分かりやすくて象徴的なものはない。

 「 誰? 」
  「 探偵です。 」
  「 ・・・コナン? 」
  「 違います。 」 

 この会話が実際に演じられたところで別に笑えないのはさておき、この話の展開のさせ方は強引で不自然だ。

 「探偵」という言葉を聞いて、それ以前に何の伏線もなくいきなり「コナン」を登場させることには無理がある。「コナン」は確かに「探偵」ではあるけれど、「コナン」の枕詞は「名探偵」以外にはあり得ない。

 このような不自然さや強引さが、他の会話でももっと大きな話の流れでも、しばしば見られる。

 これだと観る側にかなり無理や寛容を強いることになるし、いちいち話の流れの不自然さにつまづいてしまって話の中に入っていけないということになってしまう。

 つまりは、この芝居の半分は観客の優しさ(あるいは、鈍感さ。もしくは、無知。)でできていると言えるのだ。
 
 
 この劇団、客演を含めて、役者たちは“何ものかを演じること”に関してのプロと言っていいようなレベルを満たしている人たちばかりであるだけに、戯曲と役者との間に(主に戯曲の浅さ・平凡さのために)お互いを高め合う相互作用、相乗効果が働いていないように見えるのは、作品や劇団にブレイクスルーやインパクトを欠く原因になっているような気がしてならない。

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