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NODA・MAP番外公演 『THE BEE 《ロンドンバージョン》』 ( 脚本:野田秀樹&コリン・ティーバン/演出:野田秀樹/出演:野田秀樹、キャサリン・ハンター、トニー・ベル、グリン・プリチャード/原作:筒井康隆「毟りあい」/2007年7月12日~7月29日/@シアタートラム )
前に感想を書いた《日本バージョン》のオリジナルである、ロンドンで上演されたものの日本での再演。台詞は英語で、日本語字幕つき。
もう観てから1ヵ月くらい経った。
《日本バージョン》の感想で言いたいことは色々と書いたから、今回の感想は《日本バージョン》との比較で気付いたことをいくつか簡単に書いておくに止める。
まず全体的な印象としては、日本版では凝った演出が(良かれ悪しかれ)最大の見せ所だったものが、ロンドン版では演出がシンプルになり、話への注意を引くものになっていた。
ただ、これは、演出・仕掛けへの注意が少なくて済むようになった分、話自体への注意がより多く行くようになった、というだけではなく、ロンドン版での演技にも大いに依っているように思う。
まあ、とはいえ、基本的な話は同じわけだから、これは「より話が鮮明になった」というだけであって、しかも、話自体はそんなに完成度が高いわけではないから、全体としては、演出による楽しみがあった《日本バージョン》の方がおもしろかった、と言える。
で、その日英の全体についての評価とは逆転するのが演技に関する評価。
上で書いたように、迫力といい、間の取り方といい、ロンドン版の方が話をしっかり活かすように上手く表現されていた。(※ ただ、井戸に関してはロンドン版は平常から狂気への変化の幅が小さく、日本版(=野田秀樹)の方が狂気に陥っていく変化の様子がよく演じられていた。)
これは、あるいは、役者の戯曲の理解度の差なのではないかと思ったりしている。
日英両方のバージョンを実際に観て思った以外にも、第一に、日本人(俳優)と英国人(俳優)とで「対テロ」という名の“暴力の連鎖”という現象に対する切実さ・現実感が異なる点、第二に、パンフレットに載っている役者一人一人のインタビューの発言内容に現れている作品解釈の深さにおける日英間の違い、という2つのことからもそれが推測される。
パンフレットの文章とかインタビューは、何でもかんでも真面目に語れば良いというわけでは全然ないけど、それにしても、「 小説とかを読んでいても、ジョゼフとかジョンとか色々出てくると、僕はもう3ページぐらいで筋を見失う・・・(笑) 」(p5)なんていうことを平気で言ってしまうのは、色々とどうなんだろう・・・。この役者が脚本を読んで話を理解できなかったであろうことが丸分かりで、情けない。
日本版とロンドン版を観て気付いたのはこんなところ。
それにしても、野田秀樹の作品って、( 舞台自体はまだ色々観たわけではないけど彼の発言などを見てると、)観客を試しているようなところがある。
ただ、それに対する日本の観客のリアクションは、( いろんなブログなどを読んだ感じだと、)(制作者と)コミュニケーションが取れていないように思える。
もっと刺激的なことしないとダメなんじゃないでしょうか、野田先生。
とまれ、外国人によって外国語で演じられる舞台を観る機会なんて滅多にないから貴重な経験になったし、二国の文化的な違いを念頭に入れて作り分けたりしていてなかなかおもしろい企画だと個人的には思った。