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東京セレソンDX公演 『 歌姫 』 ( 作・演出:サタケミキオ/出演:宅間孝行、村川絵梨ほか/2007年7月11日~8月5日/@シアターサンモール )
数週間前に観た、昭和30年代の高知の田舎町で繰り広げられる人情物語を描いた芝居。
テレビドラマ『花より男子』(TBS)の脚本を書いているサタケミキオ=宅間孝行が主催している劇団の芝居。
大泉洋も絶賛している。( この日記を読んで観に行った人もけっこういたみたい。)
秋からはTBSで連続ドラマ化される。
そんなこの芝居、今まで観た作品の中で、一番泣いてる人が多かった。
公の場所であれだけの人が一斉に泣いてるのなんて、葬式ぐらいでしか見たことがない、というくらいにたくさんの人が泣いていた。( いろんな感想読んでると男女かかわらず泣いていた様子。)
なんだけど、自分は別に泣けなかった。
それどころか、憲法学者の毛利透が指摘するところの“表現の自由を行使することで少数派になることのリスク”を引き受けてはっきり言えば、感動もしなかった。
なぜなら、彼ら・彼女らの、境遇の悲劇度は高くないし、思慮レベルも浅薄なんだもん。
この芝居の話の筋は、かなり端折って言えばこうなる。
過去の記憶が全く思い出せない一人の男(宅間孝行)がいる。医者は、過去の記憶を取り戻すと記憶を失って以後の記憶がなくなるかもしれないと言っている。そんな男を愛する純情娘(村川絵梨)がいる。男の方もその娘を好きなようである。が、二人とも田舎者らしい気の強いところがあって素直になりきれない。そんなところに、その男の妻であるという女が小さな子供を連れてやってくる。そんなあるとき、その男の過去の記憶が戻る。過去の記憶は戻ったが、その後の記憶が消えることはなかった。しかし、その男は最近の記憶は消えたふりをして好きだった娘に別れを告げて子供の方を選び去っていく。その娘は涙ながらに笑顔で男を送り出す。以上。
まず男の方としては、過去の記憶が戻るかもしれないというリスクを覚悟しながらその娘を好きになっている。そして、記憶が戻り、自分が結婚していて子供がいたことが分かった以上、昔の妻の方を選ぶというのは誰もがそうするであろう難しい決断ではない。そして、それによって失うのは、リスクを覚悟の上で好きになった娘と結ばれることである。(別にすでに付き合ってたわけでもない。) これは事前に想定できたことだし、記憶喪失になっていた以上やむをえないことだと、辛いにしても納得できる理由が存在している。
娘の方としては、好きな男が記憶喪失であって、過去に結婚しているかもしれないことも、記憶が戻ったときに最近の記憶がなくなるかもしれないことも、知っていたし確実に想像もできた。だから、実際にそうなったとき、悲しいとしてもそれは事前に想定できたことであって、納得できる理由はあるし、衝撃度、悲劇度は高くはない。
道を歩いてたら車にひかれて死んだ。
この、毎日、新聞でほんの数十字であっけなく語られる――というか、記事にさえならないことの方が多い――事実の方が、どれだけ悲劇であることか。
事前に想像することもできない。納得できる理由もない。その後の人生もない。