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 ロナルド・ドーア 『働くということ ――グローバル化と労働の新しい意味(石塚雅彦訳、中公新書、2005年)
 
 
 今回の本は前回の記事で取り上げた『企業福祉の終焉』と同じ中公新書で、同時に発売されたもの。しかもテーマが「労働」ということで類似している。“抱き合わせ販売”の新しい形だと思えてしまう。

 だが、そんな出版社の戦略に乗せられて両方一緒に買ってしまった。せっかくだから2冊とも買ったことを活かして2冊を連続して取り上げることにした。
 
 労働について、前回の『企業福祉の終焉』がマクロ的、経済学的、政策的な観点から論じているのに対して、本書『働くということ』はよりミクロ的、哲学的、批判(規範)的に書かれている。しかし、だからといって抽象的な議論を展開しているわけではない。

 本書『働くということ』での筆者の基本的な主張は、雇用機会、賃金、労働法規、労働組合、グローバリゼーション(本書では、=アメリカニゼーション)などの中の(筆者の用語法で言うところの)「市場個人主義」的な要素を「社会的連帯」の観点から批判するというもの。

 政治哲学的に単純化するなら、労働に関係する対象を中心に、「リベラリズム(特に経済分野における)をコミュニタリアニズムの観点から批判する」と言い換えられるかもしれない。ただ、筆者が依って立つ「共同性」は地域であり国であり地球でありと多様である。

 この「共同性」の多様さは本書が欠落しているものと結び付いている。すなわち、本書では批判が中心であってそれに替わるオルタナティブが全く提示されていない。だからこそ、筆者の規範的立場や前提が論じる対象によって変化しているように思えてしまうのだ。(もちろん、筆者の中では体系付けられ、一貫しているのかもしれないが。)

 もちろん言うまでもなく、必ずしも批判に代替案や政策が伴わなくてはならないとは思わない。しかし、本書で筆者が批判の対象にする問題は一企業内から一国内、さらには世界規模までと、とても幅広く、かつ普遍的制度・価値(と思われているもの)にまで及ぶ。そのため、そこまで現在の世界(主に先進国)で受け入れられている価値や制度を全面的に批判するのなら、別の可能な世界像を提示してくれと言いたくもなる。

 ただ、「“労働(労働機会や賃金)における不平等”を批判する」という点においてのブレのなさには感心する。つまり、“労働における不平等”を企業文化や労働法規、成果主義といったミクロなものから、一国の福祉・雇用政策、グローバル化による影響といったマクロなものまで、問題が存在すると思われるあらゆる箇所を批判しているのだ。

 その過程では前回取り上げた『企業福祉の終焉』で主張されていることも批判されている。例えば、企業が人員整理しやすい環境を整えていると批判する文脈において年金制度について以下のような記述が見られる。

各国政府が進めてきた、そして今なお進めている制度的変更は、圧倒的に外部的柔軟性(引用者注:内部的柔軟性が生産過程の効率性を意味するのに対し、外部的柔軟性は資源配分の効率性に寄与する柔軟性を指す)の促進という方向に傾いているようです。多くの場合、一昔前に経営者が従業員の定着を図るために作った制度も犠牲にされています。たとえば、企業年金を「持ち出し可能」にして、職を変えたら損をするようになっていた制度を変えて、損をしないようにしました。(p87)

 筆者は資源配分(人員整理など)における柔軟性を指向する変化に対して労働者保護とは逆方向だとして批判しているのだ。『企業福祉の終焉』では(筆者=ドーアがまさに批判の対象とする)個人主義の観点から労働市場の柔軟性を肯定的に受け入れていたのとは対照的だ。

 確かに、労働市場の柔軟性は、個人主義という理念や企業のニーズのある供給主体(=労働者)からすると望ましいものだが、解雇をしやすくするという「意図せざる結果」を招く可能性も考慮しなければならない。

 ここでは見事に2冊の本が議論を補完しあっていると言える。つまり、マクロな方向性を『企業福祉の終焉』が提示し、そのミクロなレベルでの副作用を『働くということ』が指摘するという関係だ。

 2冊の本がお互いを直接意識しているわけではないため、直接的に対応する記述が出てくるわけではないが、注意すると上記のような補完関係が他にも見い出せる。

 これでこそ2冊を同時に購入した甲斐があったと言える。

 ただ、本書『働くということ』は先に述べたようにオルタナティブが提示されていないために、望ましい制度の基準として現在の制度か過去に存在していた制度を想定していることが多い。それゆえ、主張や批判が保守的・守旧的・現状維持的な印象になってしまい、『企業福祉の終焉』の主張と比較したときの説得力の弱さ、魅力の低さは明らかだ。

 そしてやはり、『企業福祉の終焉』の議論の方向性に共感するという点での自分の考えに変更は起こらなかった。

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