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小室直樹 『数学を使わない数学の講義』 (WAC、2005年)
老大家、小室直樹の最新刊。1981年に出版された『超常識の方法』を大幅に改訂・改題したもの。
数学における本質的で基礎的な考えや論理を「存在問題」「集合」「十分・必要条件」「否定(仮説)」「数量化」という5つを中心に論じている。
数学においては前提である思考法の要点を分かりやすく抽出し、さらにそれを他の領域(特に自然科学とは異なる社会科学)にダイナミックに適用する豪腕には相変わらず畏れ入る。
そんな本書を読んでいると、使うのに高度な技術を要する武器(武術)を自由自在に使いこなしているような気分にさせてくれる。そして、その感覚は学問の魅力を体感することであり、学問への興味や更なる向上心をそそるものである。
しかしながら、同じ筆者の他の著書で何度となく使われているネタの使いまわしや、新しい(といってもここ20年くらいの)議論をフォローしていないことや、例として出てくる逸話の(正しさについての)怪しさといった欠陥は相変わらずだ。
例えば、この主張は正しいのだろうか?
「(日本とは正反対といっていい欧米諸国の政治家は)演説の途中でうまくジョークを混じえるのだが、それはホッと一息入れるということではなく、私は今必死になって演説していますが、これだって仮説にすぎないんですよ、ということを強調するためなのである。」(pp236-237)
本書で筆者が主張している方法に則り、この主張を「特称命題」の提示によって否定してみよう。
「日本の政治家である小泉純一郎はジョークを多用している。」以上、証明終わり。
また、「日本人は」とか「中国は」とか「ユダヤ教は」などというように過度に単純化した主語で語る内容も怪しい。(基本的に、国や文化の間の差異を強調しすぎで、一致について軽視しすぎている。)
いくつか挙げると、「日本には科学的精神がない」(p230)、「ドイツ人は論理好きの国民」(p191)、「欧米諸国においては、ここからここまでは内面の問題、ここから先は外面の問題というふうに、内面と外面が、理念的にはビシッと二分されている」(p180)などなど、枚挙にいとまがない。
これらについての反証(特称命題)はいちいち挙げるまでもないだろう。
本書の中には、この種のトンデモ系の逸話や過度に単純化しすぎた主張があまりに多すぎてさすがに辟易する。
もちろん、この本の内容からして、上で挙げたようなことを筆者が確信犯的に書いていることは十分に考えられる。
もしそうであるなら、筆者の確信犯的に誤りのある主張に読者は注意を払うべきだろう。
けれど、何事も「行うは難し」であって、本書の内容を身に付けて実際に適用・応用することは、この本に対してであっても難しいようだ。
何せ、数多い小室直樹シンパで彼の主張を身に付けて、それを彼自身の本に対して実践している人は多いようには見受けられないのだから。
つまり、小室直樹の主張を学び、かつ、それに忠実であると思われる人たち(小室直樹シンパ)でさえも、彼の主張を学んでいる最中(小室直樹本を読書中)であっても彼の主張を適用・使用していないということ。
ただそれでも、本書の最重要ポイントである科学的方法や数学的思考(というより論理的思考と言った方が適切?)に関する内容は正しく、とても重要で、習得が必須なものであることに変わりはない。