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by ST25
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 吉岡忍 『ある漂流者のはなし(ちくまプリマー新書、2005年)
 
 
 2001年夏、エンジンの故障した小型船で37日間太平洋上を漂流し、奇跡的に生還した男性の話。

 37日間も、どうして生き延び、その間、何を考えていたのか。それを男性の言葉を中心に伝える。

 確かに、生死の境目を漂った壮絶な体験ではあるのだけど、そこで語られる内容は、実にシンプル。大海原で一人孤独に漂うという状態を感じさせるような、そんな静かさがある。

 この男性には“ヒーロー”とか“奇跡”とかそんな言葉は似つかわしくない。いわば、実にありきたりで平凡な、ただの小さな人間にすぎない。

 壮絶な日々の壮絶な体験を期待して読むと肩透かしを喰らう。裏表紙の「感動のドキュメント」を期待して読んでも肩透かしを喰らう。

 本としては読んでもおもしろくない。
 
 
 しかし、この男性が発見・救助されたのが2001年8月26日。9月11日の2週間前のことだった。また、この年の春には小泉旋風が巻き起こり、小泉純一郎が首相になっていた。

 そんな激動の時代と対比して考えるとき、このおもしろ味のない小本の、地に足の着いた描写とそこで描かれる小さな一人の人間から発される、大いなる輝きに、思わずハッとする。

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 東大作 『犯罪被害者の声が聞こえますか(新潮文庫、2008年)
 
 
 NHKのドキュメンタリー番組を基に書籍化したものの文庫化。

 日弁連副会長まで務めた弁護士がその妻を殺されたことで犯罪被害者やその家族が置かれていた惨状に気づき、同じ苦しみを味わっていた人たちと協力して国による補償や裁判に参加する制度の実現を求めて運動し、要求を実現していくまでの苦闘の様子を追っている。

 犯罪被害者が置かれていた惨状(とそれを放置してきた法曹・政治・行政の怠慢・不感症ぶり)には衝撃を受ける。

 例えば、民事で訴えても損害賠償を実際に払われる割合は相当低いこと(殺人事件で7%)、そのため犯罪によって強いられた医療費を被害者が自己負担していること、被害者や遺族は(公開であるはずの)刑事裁判の訴訟記録を見ることが許されていなかったこと、被害者や遺族は裁判の傍聴席を一般人と同じように抽選で確保しなくてはならなかったことなど。(運動の成果もあり、これらは改善されてきてはいる。)

 「 被害の賠償は加害者に払わせることができる 」や「 刑事司法は社会秩序のためのものであって被害者のためのものではない 」といった法律学の教科書的な理解で満足していては認識できない問題の存在を気づかせてくれる。( とは思えない日弁連なんていう団体もあるみたいだけど。こういう感覚のズレが信頼や委任を失わせ彼ら法曹が嫌がる司法の民主化を進めさせる。)

 これらの問題意識を共有した弁護士資格のある自民党議員等の後ろ盾もあり、刑事司法の目的に関し、今では政府は次のように考えている。

社会が個人によって成り立っているように個人もまた社会の中にあるのであって、刑事裁判等において違法性と責任が明らかになり、適正な処罰が行われることは、社会の秩序を回復するというだけでなく、当該犯罪等による被害を受けた個人の社会における正当な立場を回復する意味も持ち、このことは、現実の問題として、個人の権利利益の回復に重要な意義を有している。刑事司法は、社会の秩序の維持を図るという目的に加え、それが「事件の当事者」である生身の犯罪被害者等の権利利益の回復に重要な意義を有することも認識された上で、その手続きが進められるべきである。 (pp396-397)

 これは歴史的な大転換だ。だけど、「社会秩序」なんていう抽象的な言葉で様々な問題を覆い隠してきたこれまでのあり方に問題があったと考えるべきだろう。これまでは、国が国の利益(しかも、“国民なき「社会秩序」”)しか考えずに運用する排他的で自己中心的な法制度だったわけだ。被害(者)を放置したままで何が「社会秩序の維持」なのか。

 今後は、根本が改まっていることを法執行者たちがしっかり認識し、その理念を実現するよう行動していく必要がある。
 
 
 この本は、外国の制度の紹介などもあってNHKの番組(だったもの)らしく、包括的で堅実な作りになっている。けれど、犯罪被害者同様、当人たちには非がない(ことが多い)病気や障害の人たちとの位置づけや扱いの違いはどうなっているのか/どう考えているのかという相対化の視点がなく、疑問として残った。( 例えば、医療費全額タダという主張なんかは他の社会保障制度とのバランスを欠くことになる。)


 岩澤倫彦・フジテレビ調査報道班 『薬害C型肝炎 女たちの闘い――国が屈服した日(小学館文庫、2008年)
 
 
 薬害C型肝炎問題の世間への啓発を先導したフジテレビ「ニュースジャパン」のディレクターによる、問題発生から政治決断がなされるまでのドキュメント。

 患者たちの強いられた境遇や気持ちがよく伝わってくる。

 そして、だらしない政治家(大臣を含む)や官僚がいっぱい出てきて、なんだか残念な気持ちになる。

 ただ、法的な話、医学的な話については言及が不足していて、これを読んだだけでは判断を下しかねるところがある。( 裁判での国の主張を逐一検証・論破するというような部分はない。)

 そんなわけで、いくつか参考にリンクを。( たまには、こういう原資料に当たるのも問題の起こり方・態様のイメージとかリアリティを得るために大事だと思う。)

薬害肝炎-Wikipedia
薬害肝炎訴訟弁護団のHP中の国・製薬会社に責任を求める理由部分
国の包括的な調査報告書(2002年)(行間の狭いベタ打ち。もっと読みやすいの作れバカヤロウ)
もっとも国に厳しかった名古屋地裁判決についての国の意見(東京地裁判決のではなかったフォントを大きくした赤い文字まで使ってる)
自民党議員主導の「418人リスト」の調査結果(「反省すべきだけど責任はない」)
 
 
 それにしても、話はやや飛ぶけど、厚労省が正しい方向に機能していないというのは日本国民にとって本当に不幸なことだ。

 財務省は(ときどきかなりウザかったりするけど)歳出抑制や増税を(「国益」として)ひたすら追求している。同様に、国土交通省は道路整備や空港整備をひたすら追求している。環境省は自然保護やCO2削減をひたすら追求している。経産省は企業活動の促進をひたすら追求している。それぞれが対立することはあっても、お互い競い合うことで、色々な主張・利益が表に出て、論点・争点が見えてくる。そして、対立は(選挙で国民と繋がっている政治家・大臣が)政治判断によって解決すれば良い。

 ここで、厚労省は手厚い医療や福祉の高福祉国家をひたすら追求する機関であるべきだ。だけど、厚労省からそういう主張がなされているとは皆目聞かない。( 医者や製薬会社の利益を追求したり、医療代・薬代を高くしたり、障害者に自己負担を求めたり、何十年も前からアメリカあたりでは常識だったアスベスト問題を(天然で?)放置したり、してる。)

 厚労省は、医療や福祉で国民を守れなかったときの責任の心配ばかりして臆病になってないで、もっと明確に高福祉国家を目指し、そもそも国民を守れない事象が発生するのを大胆に減らすことを目指せばいいのだ。そして、そうしようとしているにもかかわらず(医療や福祉で国民を)守れなかったときは、支出をケチったり経済活動を優先したり無駄に道路造ったりした財務省や経産省や国交省や内閣や国民の責任に(暗に)すればいいのだ。

 うざったく感じるところはあっても、これこそが厚労省の仕事だ。


 山形浩生 『要するに(河出文庫、2008年)
 
 
 会社員で評論家で翻訳家な山形浩生の雑文集。(大抵の文章は著者のウェブサイトで読める。)

 一応かつての単行本が基になってはいるけど、色々入れ替えたり並べ替えたりされてるから、単行本版に比べると大分まとまりのある構成になっている。

 扱われてるテーマは、社会・経済関係が多い。言われてる内容は、基本的な知識(であるべきもの)や真っ当な物事の見方(であるべきもの)を分かりやすく説明してるものが多い。( 例えば、「会社って何?」、「株価が変動する仕組みって?」、「新聞を読む意味って何?」、「少年犯罪者の顔写真って見てどうするの?」、「マイクロファイナンスって何?」。)

 もちろん、それ以外にも、ファイナンスの理論を社会や日常生活に応用したオリジナルな議論を展開しているものもある。

 けど、やはり、基本的には教科書的な部類に属する内容が多い。(教科書には絶対に書いてない内容であっても。) それは、タイトルを見ても、帯の宣伝文句社会人になる前に読んでごらん。を見ても分かる。

 個人的には、同じ著者の第一弾雑文集である『新教養主義宣言』(河出文庫)の方が、(文学系が多いという内容の違いはあるけど、)著者の主張が全面に出ていて、しかも書評として書かれたものが多く収録されていて次に繋がるものが多くて、好き。

 ちなみに、文庫用に、本文中で“超人”として登場している稲葉振一郎が「解説」を書いている。けど、大した解説もしないで自説(しかも仮説)を披露していて、“超人”の片鱗も見られず、(期待していただけに)がっかりする。

 と、あまり浮かないことばかり書いてきたけど、テレビや新聞からの情報で(自己)満足してる社会人なら、読んで得るところ大であること請け合い。

 寺島実郎 『寺島実郎の発言Ⅱ――経済人はなぜ平和に敏感でなければならないのか(東洋経済新報社、2007年)
 
 
 寺島実郎の文章を戦争とマネーゲームの話を中心に集めた本。

 相変わらず、背筋を正される思いがする重い発言の数々。

 なのだけど、いかんせん、本のつくりが軽薄すぎる。

 同じ内容の文が3つも4つも収録されていて辟易する。というか、怒りさえ感じてくる。

 これでは、せっかくの腰の据わったマネーゲーム批判も説得力を失う。
 
 
 それから内容について1つ。

 著者は、戦後日本の「経済主義」と「私生活主義」への過度の傾斜を批判し、「徳」のある資本主義のあり方、「公」を伴った生活のあり方を模索し実践せよ、と主張する。

 しかし、「ああしろ」、「こうしろ」と上から御託を並べるだけでは、著者自身がもっとも嫌う「無責任な行動」になっていると断じざるを得ない。

 (自らの選択の結果として)資本主義と自由主義を基礎に成り立つこの現代社会において、「経済主義」も「私生活主義」も禁止されるどころか促進さえされる。

 その中でいかにして人々は「徳」や「公」の心を持ち得るのか。

 これは重要な問題だ。

 この緊張関係にまで思いを及ぼすことなしに当為論ばかり語ることに(主張者の自己満足以外の)意味はない。

 果たして、歴史にばかり知恵を求める著者にこの緊張関係を解く答えを出すことは可能だろうか。

 著者の人間観、現実観、学問観からして、それは難しいであろう。

 著者が念頭に置くのは常に高貴なるエリート的な人間像だ。

 そんな著者に庶民や庶民の行いについて語ることはできまい。

 語りえるのはせいぜい、外交のような一部の(優秀な)人間が関わる事象のみであろう。

 これがこの人の限界だ。

 その点、利己的な人間像を基礎にした経済学(的思考法)に一日も何日もの長がある。

 が、著者の現実観や学問観からしてそれを受け入れることはないであろう。

 問われているのは強靭な思考の前提だ。
 
 
 と、色々批判はあるけれど、自分の思考の甘さへの自省を含めて得るところのない本ではない。

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