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 長山靖生 『「人間嫌い」の言い分』 (光文社新書、2004年)

 本書のタイトルは、この本を読む読者層に対する印象をネガティブに作り上げる。したがって、本書の感想を書くことはそのようなリスクを伴う。しかし、ここは読者の理解力を信じてこの本の感想を書いてみよう。

 本書の、現代社会の欺瞞に対する冷淡でありながら痛快で気持ちのいい語り口は、シュール系の笑いで笑える人や日々何かに苛立っている人には最適な一冊である。ただ、本書は前半の切れ味が後半では完全にではないけれど、(扱うテーマの問題なのかもしれないが)衰えているように思える。前半がおもしろいだけに残念だ。

 さて、まずは誤解を与えかねない「人間嫌い」なる言葉から説明しよう。この言葉は本文中において様々に定義されていて、中には矛盾するように思えるものもある。(そのためか、本書を読み進めていると、自分のうっぷんを見事なまでに皮肉っぽく代弁してくれていて感動しつつ爆笑したと思うと、今度は自分が攻撃対象側の立場になっていたりと起伏が激しい。)しかし、もっとも大きな枠組みで捉えるなら、「人間嫌い」とは、共同体圧力や付和雷同に対するところの「近代的個人」である。それをあえて筆者は現代のダメな時代状況に合わせて「人間嫌い」と呼んでいるのだ。その他にも、「人間嫌い」vs.「つるみ系」という対立図式も使われている。このように見てくると、「人間嫌い」という言葉は肯定的なものに思えるが、もちろん問題点もあるのは言うまでもないし、「人間嫌い」なる言葉が適切かどうかも分からない。しかし、本書の位置付けからして、そういう堅いことは気にするべきではない。

 そして本書の具体的な内容だが、「はじめに」から引用しながら述べると、「イヤな世の中がイヤになるのは、正当なことだ。イヤな世の中にあって厭世的にならないのは悪人くらいのものである」。そういうわけだから、「すさんだ俗世間との交渉を一切断ち切って、自分一人の世界にひきこもって暮らしたいと考えるようになったとしても、あながち精神に問題があるとはいえないだろう」。「ひきこもり」や「ニート」や「中高年者などの鬱病」が「増える理由も分からなくはない。本来、取り除くべきは人間をそのような状況に追い込む社会病理の方で」ある。彼らのような「繊細でまともな神経の持ち主にとって、「人間嫌い」で生きてゆくという道は、救いとなることもあるかもしれない」。つまり、「人間嫌い」は「問題」ではなく「解答」であるというスタンスだ。そして、このスタンスで日本文学の登場人物や実際の作家の生き様を交えながら、無責任に現代社会を斬っていく。その切れ味は、ギター侍・波○陽区より断然鋭くおもしろい。

 この種のカタルシス系の役割を持つ本は、事実の一端を捉えていて私的な領域に留まっている限りにおいて存在していいと思うし、むしろ有意義だろう。しかしながら、自己の個人的私的不満を「天皇万歳!」だの、「国家万歳!」だのと、公的な問題に同一化して解消する行為は公私混同で自己チューの上、実害もあるし、迷惑千万極まりない。私的な問題は私的に処理してほしいものだ。その点、本書で楽しめる人(実践する人では残念ながらない。)は、ケジメの付けられる健全な近代的市民であり、したがって近代国民国家の存在意義を理解できるがゆえに、真の愛国者足り得る。

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