by ST25
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武内彰 『日比谷高校の奇跡』 (祥伝社新書、2017年)
なるほどと納得させられる改革もいろいろあった。
しかし、それより気になったことが2つ。
1つ目。筆者は日比谷が面倒見が良いことの例として、「年に複数回の面談をしたり、土曜講習、春・冬講習、添削指導などのほか、全教員が共有できる生徒のデータベースをつくったりしています。」(p96)と誇らしげに書いている。これ以外にも、「(朝、昼などに)教員たちが自主的に補習を行っています。」(p73)や、添削指導に関して「英語では教員1人あたり1日約40人の解答が集まります。」(p75)など、あれやこれやと様々な指導をしていることがわかる。しかし、これらをするのは全て限られた人数しかいない現場の教員たちだ。これに加え、日比谷は部活も盛んだと校長自ら豪語している。「働き方改革」や「ブラック企業」が話題になり、中学校における部活指導の負担が問題になる中、果たして、いかがなものなのか? そりゃ、成果を出せる校長や、指導してもらえる生徒と保護者はよいだろうが、当人たちはたまったものではないと思っている人もいるのではないだろうか?
この断片的な情報を見る限り、日比谷の復活は、教員たちの過重な負担によって成し遂げられたということが推測される。
なお、日比谷生の高3における通塾率は、「長期休業日だけ行く」という生徒を除いても、約70%にもなる(p141)ということも付言しておく。(※高1は約30%、高2は約50%)
2つ目。本書では、あれをしたこれをしたと様々な取り組みが多数列挙されているけれども、結局のところ、日比谷高校に入ってくる生徒の質の高さというファクターを軽視すべきではない。果たして、ここで書かれていることはどれだけの高校生に敷衍できるのだろうか? 「うちでは無理」と思う高校がほとんどなのではないだろうか?
丸山眞男、庄司薫をはじめ多方面において錚々たる卒業生を輩出している日比谷高校には、ある種の憧憬の念を抱いている者ではあるけれど、それでも、さすがに、本書は手前味噌がすぎる上に、疲弊する現場が思い浮かんでしまうだけにいかがなものかと思った。
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