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山形浩生 『山形道場』 (イースト・プレス、2001年)
大手シンクタンクに勤務の傍ら翻訳・評論もこなす山形浩生が各種雑誌に連載していたものをまとめた本。古本屋で105円で購入。
同じく雑誌連載の文章をまとめた前著『新教養主義宣言』と比べると、かなり短い文章とか問題提起に終わってる文章とかが混ざってたりして、全体的な密度は薄い。内容的には、文学・小説関係がなくて、その分、フリーソフト・ハッカー関係が入れられている。
でも、おもしろい文章は本当におもしろい。
例えば、30ページを超える「まえがき」では、山形浩生の思考法・ものの見方を理解する手掛かりが開陳されていて、興味深い。原理的な話と個々の現実の問題とを直結させないでその「中間レベルを考える」(p23)とか。ただ、自身の思考法について直接的に語られてはいるけれど、分からない部分はけっこう残るのは残念。
それから、「ネットワークのオプション価値」。「オプション価値」なんていうファイナンス用語を持ち出してはいるけれど、展開されてるのは、意外にも、なんと、珍しく、宮台的=社会学的洞察。その要点は、「 インターネット上で展開されているのは、往々にしてコミュニケーションではないのだもの。むしろそこにあるのは、いま説明したオプション価値――つまり「もしかしたら」成立するかもしれないコミュニケーションの期待――により、実際のコミュニケーションがいつまでも先送りにされている現象 」(p197)であるということ。本文の後半で指摘されてるように、アイドル-アイドルファン関係が典型的。確かに。納得。 ( ただ、正確には、成立しないのを知りつつ成立するかもしれないという虚構の状態の中で楽しんでる人(男性ファンに限る)が多いけど。)
この文を最初に読んだときは頷けることが多くておもしろいと思ったけど、改めて考えてみると、1.人は現実を見ないで理想を追い求める、2.ネットは生身の現実とは別の“現実”(=虚構)を作り出す、という2つのことを併せただけだ。それに、傷つく/傷つけることを極度に恐れる、いわゆる“現代的なコミュニケーション”をする人ともコミュニケーション(人間関係)に求めているものの根本は同じだ。そんな現代的な友達関係は虚構であると考えるならば、ネットもリアルも全く同じことになる。となると、今後もネットでの個人の情報発信は続くだろう。ネットがリアルと違うところは、典型的な個人ツールであるブログとかだと、“虚構世界”を作ってくれる“友達”が簡単には獲得できないところ。そのためにネットから退いて現実世界での“虚構”に戻っていく人はいるだろう。
そんなわけで、けっこうベタな洞察ではあるけど、正しくて色々と役立つ話だとは思う。
それからそれから、浅田彰の『構造と力』で例えとして使われている“クラインの壺”の理解が間違っていることを丁寧に指摘している話も載っている。けど、生まれてこの方、モダンに留まり続けている人間は、もちろん、浅田彰なんか読んでないから野次馬的興味しか沸かない。
他にも、未成年凶悪犯罪者の顔写真の公開に反対する話とか、1995年に書かれたインターネットの中年化の話とか、夢の話とか、刺激がいっぱい。
有意味な本。