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 宮台真司、宮崎哲弥 『M2:思考のロバストネス(インフォバーン、2006年)
 
 
 お馴染みの「M2」コンビによる鼎談の第4弾。数少ない信頼できる日本の論客のうちの二人。今回の(特に宮台真司の)激しさ、慎みのなさはいつもの数倍という感じ。(とは言っても以前の3冊を全て読んでいるわけではないが。)

 この本の基となっている雑誌での連載が2004年9月号から2005年10月号までの期間ということで、扱われている問題は、『華氏911』、階層社会化、靖国問題、監視社会、小泉劇場など。最後には、反米保守派の小林よしのりをゲストに招いて三人で(?)沖縄問題について論じている。

 主張の大筋は大体においていつも通りのものであるように思えるが、この本では幅広い問題が論じられているから、左翼ではなくリベラリストであると自認する人なら、忘れないうちに再び著者たちの主張や思考法に触れてしっかりと自分の中に定着させることは有益だと思う。
 
 
 とはいえ、全ての主張をここで検討するわけにもいかないから、以前から気になっていた一つの点についてのみ今回は考えてみたい。

 それは、宮台真司の“民主主義社会観”についてである。(ただ、ここでは階層社会を扱うため市場経済観も付随している。)

 かねてから、宮台は市民エリートの重要性を訴えながらも基本的にはエリートと非エリートの存在を肯定的に、半ば、必然のものとして捉えている。そこでは、エリートは社会のアーキテクチャーを設計する者としての役割を負うことになり、非エリートはその受容者ということになる。このことは、階層社会化を肯定する文脈ではっきりする。まず、階層社会化肯定論の概要部分を引用する。

二極分化は悪くない。二極分化した層が同じ物差しに依拠するから疎外感を抱くの。社会には「創意工夫の必要な仕事」と「創意工夫の不要な仕事」があるよね。「役割とマニュアル」に支配された「コンビニ的アメニティ」が社会で要求される以上、「創意工夫の不要な仕事」はなくならないよ。そんな仕事にポストフォーディズム的な「創意工夫のしのぎを削る競争」は期待できないね。(中略)
 そこそこ仕事をして、あとは余暇を楽しんでもらう。そして、「創意工夫の必要な仕事」に就くべく選ばれた、誇り高き人間たちには、死ぬほど働いてもらう。 (p73)

 宮台は、そのあと、「階級社会を作るにしても、みんなで自覚的にそれを選ぶのか、それともエリートが社会設計することでみんなが無自覚なままに移行するのか?」という質問に、次のように答えている。

エリートによる設計しかないね。(中略)エリートが設計した教育で「競争し、負けたら、諦めて、リスペクトしろ」を刷り込め。繰り返すが、大事なのは、社会学でいう「地位非一貫性」。競争に勝って「創意工夫の必要な仕事」に就いた連中は、勝ったことでプレステージを得たんだから、給料は安くていい。 (pp76-77)

 このような宮台の階級社会建設論に、宮崎哲弥から二つの観点からの突っ込みが入る。一つは、経済学的な常識からのもので、創意工夫のある人間は稀少だから対価が少ないのでは成り立たないのでは?、というもの。それに対する宮台の答え。

創意工夫を餌にしてコキ使えよな。(中略)いずれにせよウィナー・テイクス・オールじゃ、社会は安定しない。 (p78)

 宮崎によるもう一つの突っ込みは、政治的・民主主義的な観点からのもの。

もうひとつの難点は、クリエイティヴな仕事って単に所得の高さに留まらず、権力が付随しがちだということ。(中略)だから富だけじゃなく、権力をも再分配しないと、この構想は完成しないのでは? (p78)

 この質問に対する宮台の答えは、最も民主的な制度は独裁性なり。オレを独裁者にしてくれえ(笑)に見られるように、冗談でお茶を濁すようなものとなっている。

 以上から、宮台が、自由市場経済と民主主義社会との二つの理念的・制度的要請との間での調整を図れていないことが明らかになっている。
 
 
 
 ここで、改めて、宮台の主張を経済(市場)と政治(民主主義)という二つの観点からまとめてみると、以下のようになる。

 経済エリート/経済非エリート(≒労働エリート/労働非エリート)は、あくまで創意工夫が必要な仕事に就けるか否かの違いでしかなく、収入面での差は大きくない。

 政治エリート/政治非エリートは、制度設計者ないしは政策決定者と制度受容者・政策受容者という実際の影響力の面での大きな差がある。

 そして、各々の関係を考えると、

 経済エリート=政治エリート
 経済非エリート=政治非エリート

 という関係を大体において想定することができるだろう。(※「経済エリート≠政治エリート」という条件については後述。)
 
 
 
 では果たして、このような条件を満たす社会は可能だろうか?あるいは、そのような社会は安定的だろうか? 

 ここでは、理論的な面と現実的な面という二方向からの批判が存在する。

 まず、理論的な面からの批判。(ちなみに、階級を単位に考えるのは、福祉国家研究や民主化研究ではお馴染みのもので、その蓄積があるものである。)

 経済エリートは、仕事の内容による自己実現だけで満足するか? あくまで、ここは自由市場経済のはずである。しかも、経済非エリートの仕事を創意工夫の不要な誰でもできる仕事だと割り切っているのである。そうであるなら、経済エリートがそれに見合った対価を求めるのはごくごく自然な欲求だろう。

 そこで経済エリートは、政治エリートとしての立場を用いて、その要求を実現するべく社会設計を行う可能性が高い。そもそも、かなりの権限を非エリートたちから白紙委任された政治エリートが、非エリートのことを考えた社会設計を行うというのはあまりに楽観的である。
(※ここで、そもそも「経済エリート=政治エリート」という条件がおかしいという主張もあり得る。しかし、「経済エリート≠政治エリート」という条件だとしても、その場合には、政治エリートに不満を持つ経済エリートが、下で述べるように、同じく政治エリートに不満を持つ政治非エリートと連携したり、政治非エリートを動員したりして、階級交差連合が作られる可能性が高まるため、政治エリートや社会の不安定性はより一層増すだけである。)

 また、政治非エリートは、その内容がどうであれ、民主主義社会であるにもかかわらず非民主的であるエリートのガバナンスに対して疑義を唱え、開放や参加を当然求めるかもしれない。そもそも、収入の面だけで政治的な判断が全て形作られるわけではない。

 さて、宮台の構想に対する理論的な批判としては、「そもそもエリートは非エリートを非強権的にコントロールすることができるのか?」という問題も重要である。ここで、「できる」と答えるならば、上で挙げた批判のいくつかは消えることになる。けれどもちろん、経済エリートの賃金要求や政治エリートの利己的行動は消えることはない。しかしながら、やはり、個人を基調とする自由と民主主義がこれほどまでに根付いた社会において、多様な価値観を調整し、圧倒的多数の非エリートを黙らせる社会設計をエリートが独断で行うことは無理だというのが現実的な認識だろう。(民主主義には人々を平等に扱い、その過程に参加させ、その結果に納得させるという機能がある。)

 さて、続けて、現実の面からの批判を行う。

 まず、投票率の低下を嘆く主張があらゆるところで叫ばれているとは言っても、依然、国政選挙では6~7割ほどの有権者が参政権を行使しているのである。そのほとんどは非エリートであることは間違いない。このことは、政治非エリートが政治エリートの非民主的な社会運営に対して抵抗する可能性の高いことを証明している。

 他にも、そもそも創意工夫の必要な仕事と不要な仕事の区別が可能か?、創意工夫の必要な仕事がどれだけあるのか?、創意工夫の必要な仕事を誇り高く行っている人がどれだけいるのか?、創意工夫の不要な仕事の非正規社員化の問題、などがある。
 
 
 
 こう見てくると、結局のところ、宮台の社会設計は、第一に、政治エリートの能力や倫理を過大に見積もりすぎており、その裏返しでもあるが、第二に、非エリートの平等な一市民としての地位や権力やそもそもの感情的側面を軽視しすぎており、第三に、経済エリートの市場における唯一の価値である財貨への欲求への過小評価、という問題点を孕んでいたことになる。

 言い換えれば、経済学的(≒市場)な常識に反し、さらに、政治学的(≒民主主義)な常識に反した主張であるにもかかわらず、その論拠が薄弱であったということだ。
 
 
 
 大衆が馬鹿であるとエリート宮台が怒りをあらわにするのと同様に、大衆は自分たちを見下すエリートに対して感情的に反発する。しかして、エリート主義の顛末は悲惨なカタストロフィなのだ。独裁という形を取るにしろ、革命という形を取るにしろ。

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