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米沢富美子 『人物で語る物理入門(上)』 (岩波新書、2005年)
アリストテレス、ガリレイ、ニュートン、ホイヘンス、マクスウェル、ボルツマン、アインシュタインなど、タイトルの通り、人物を中心に物理の発展の歴史を追っている。
「勉強になった」と言うと“高校卒業”の肩書きが疑われそうなレベルの内容だけれど、勉強になった。
科学が人間の直感から始まって、肉眼では不可視なものや直感とは反するものを発見するまでの苦労が分かり、人間という高等な生き物がこれほどまでに進歩したその歩みが垣間見れる。そして、その進歩に寄与した天才たちの人生も少々知ることができる。
「月に慣性の法則が働いているなら、宇宙空間を月はまっすぐ進んで遠ざかってしまうはずなのに、地球の周りを離れないでいるのは、地球の重力によって月が「地球の方に落ち続けている」結果だ」(p61)と考えたニュートン。
そのニュートンが仮定した「正しい時計さえ持っていれば、誰がどういう状況で測ろうとも、時間は同じになる」(p197)という“絶対時間”を否定したアインシュタイン。
このように、かつての大天才の主張を後の大天才が覆す。こんなことの繰り返しが進歩の歴史であるのだから、この本を読んでいると、最後に取り上げられているアインシュタインの主張を説明するためにそれまでの記述があったのではないかと思えてくる。(下巻の目次が書かれていないため、下巻でアインシュタインがどう扱われるのかは分からないが。)
そんなこの本を読むと、特殊相対性理論の発見から100年、アインシュタイン没後50年の今年中に、アインシュタインおよび相対性理論について勉強したくなってくる。もちろん、理論をきちんと理解するのは無理だろうが。
それにしても、物理学以外も含めた理系の学問というのは、高校までの勉強との連続性があるようだから羨ましい。文系の学問は、人文科学にしても社会科学にしても、高校までの勉強との乖離が大きすぎる。もっと、高校までの勉強を大学以降に学ぶ学問に近づけるように改革すべきだろう。手始めに、大学入試の問題は学問を職業にしている大学の先生が作成するわけだから、大学入試の問題を変えてみてはと思うのだが。