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奥田英朗 『最悪』 (講談社文庫、2002年)
この著者による『サウスバウンド』(角川書店)がかなりおもしろかったから、他の作品も読もうと思ったまま数ヵ月が過ぎ、古本屋で105円で見つけてようやく手に取ることとなった。おもしろかったが、『サウスバウンド』ほどのおもしろさではなかった。
この作品のおもしろさや意義については、池上冬樹の「解説」が自分の言いたかったことも気付かなかったことも片っ端から言ってくれているから、ここでは簡単にいくつか言うに止めたい。
まず登場するのは、“ひ孫請け”とかをするような街の小さな鉄工所の社長、学歴・男性社会の銀行組織の末端で働く女子行員、思いがけずやくざの下っ端で働かされることになった若者。こんな三人が社会の中でそれぞれに似たような理不尽な境遇に陥っていくが、おもいきって抜け出す強い意思もなく、状況は悪化する一方である。しかし、それが限界に達しようとしていたとき、ひょんなことから彼らの人生が交差する。すでにこの設定からしておもしろい話になりそうな感じはする。
彼ら三人のそれぞれの生活は500ページほどを使って緻密に描かれる。そこでは著者の人間や社会を見る眼の確かさがいかんなく発揮されている。当事者としては最善に思えるような、かなり現実にあり得る、しかし冷静に見れば不合理で滑稽な、そんな人間の行動や思考が見事に描かれているのだ。
ただ、三人の人生が交錯するまでに約650ページ中の500ページも使う必要があるのかどうかは少し疑わしく思う。三人がいつ交錯するのかと思いながら読んでいると少々間延びするのだ。
しかし、いずれにしても、この小説に描かれている世界は、コミカルだがかなり現実的である。彼らがカタストロフィに至らずに済むにはどうしたら良かったのかを考え付くのは意外にも容易ではない。そう考えると、この小説は、ある意味、“現代のプロレタリア文学”かもしれない、と思ったりもする。