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 池田清彦 『脳死臓器移植は正しいか(角川文庫、2006年)
 
 
 2000年に出された本の文庫化。構造主義生物学者にしてリバタリアン(自由至上主義者)である著者による脳死・臓器移植批判の書。ちょっと特異な視点から主張が展開されているから問題提起の書といった印象を受ける。もっと科学的、一般的、普遍的、説得的な脳死・臓器移植批判を知りたければ小松美彦の著書・論文を読むとよい。

 それで、この本で展開されている主張は、多岐に渡るけど、主なところは以下のとおり。

・臓器の需要に対して(臓器提供可能な)脳死者という供給は極端に少ないため、脳死・臓器移植というシステムがある限り、レシピエントは人が死ぬのを待ち望むことになり、不健全である。

・脳死臓器移植は過度的な治療法であるのだから再生医療や人工臓器などの研究に資源を投入すべきである。

・「死の基準」自体は科学的には決定できない社会的なものであるが、この観点からすると、体は温かく、手足などは動き、臓器摘出に際して血圧が上昇するため鎮静剤を打つなどする脳死は、その実際を知れば日本人の感覚からして「死」とは認められない。

・「死の自己決定権」を言うのなら、心臓死と脳死に「死の基準」の選択肢を絞らずに他の「死の基準」も認めなければ一貫性が保てないし、臓器の提供先も当人が決定できなければならないはずである。

・臓器提供のドナーカードを持っていると、医者が意識的にしろ無意識的にしろ臓器移植を考えてしまうため、最善の治療が行われず、本来は生存できたかもしれない人が死んでしまう可能性がある。
 
 
 だいたいこんなところである。賛同するところもあれば、ここでは挙げなかった著者のリバタリアン的な思想が影響しているところでは特に首肯できないところもあった。(レシピエントを“政府が”何らかの基準を作って決定することを「不公平」だとするところとか。)
 
 
 この本を読んでいて一つ思い出したことがある。自分が大学受験生のとき、予備校の「論文模試」で「脳死の是非」が問題のテーマだったことがある。そこで自分は、詳しくは思い出せないが、「脳死・臓器移植を認めてもいいが、臓器提供=善とする偏った風潮をマスコミなどが作ってしまうことにはとにかく注意しなければならない」ということを強調して書いた。“日本社会の同質圧力”を徹底して嫌悪していた若き日の自分らしい主張である。(今も嫌いだが。)しかし、このことは、その当時においては、重要ではあるがあまりに当然のことであったという印象がある。実際、その解答は無難であっただけになかなかの評価を得た。

 果たして少年の危惧は現実のものとなった。

 マスコミは臓器移植をしないと死んでしまう少年少女ばかりを取り上げている。

 まあしかし、マスコミが不勉強で無思考で下劣でおつむが弱いことくらいはもはや諦念している。

 しかし、この本を読んでいて驚いたことに、問題は裁判所にも及んでいるのだ。なんと、強盗殺人を犯した被告の弁護側が臓器提供意思表示カードのコピーを提出し、裁判官がそれを“情状面の証拠”として採用したというのである!

 生物学者の著者が適切に指摘しているように、問題なのは、臓器提供=善という価値観を受け入れてしまっている点、判決後にドナーカードを破り捨てることが簡単にできる点、被告が死刑判決を受けた場合、臓器移植をするために死刑の実施が早められる可能性がある点などである。

 裁判官がこれでは、世も末である。
 
 
 さて、臓器移植法の改正案がすでに国会に提出されるくらいの段階に至っている。改正に主導的な役割を果たしているのが自民党の河野太郎である。彼が出した「河野案」はウルトラC級の案である。すなわち、以下のような案である。

 (民法上、自己決定の主体になれない)15歳未満の人からの臓器提供も可能にするために、15歳未満の人の場合、家族の同意だけで臓器提供できることにする。しかし、これだけでは本人の意思表示が必要な15歳以上の人と非対称になってしまう。そこで、15歳以上の人も、あらかじめ臓器提供を拒否する意思表示をしている人以外は、臓器提供の意思ありと見なし、本人の明示的な同意がなくても家族の同意だけで臓器提供を行えるようにする

 もしこの法律が成立したら、まさに日本の法システムのパラダイム転換である。なぜなら、あらゆる法律の前提である個人の“自己決定”を否定しているからである。ここで前提とされている論理は、「拒否の意思表示が無いならば、臓器提供したいと考えているものと見なす」というものである。ここでも生物学者の著者が適切に指摘しているように、臓器提供した後に、拒否の意思表示カードが見つかったらどうするのだろうか? (間違いなく殺人罪になるだろう。)

 ちなみに、公明党の斎藤鉄夫が出しているより穏健な案でも、臓器提供の意思表示ができる年齢を12歳に引き下げるというものであり、人の死期という重要かつ難しい問題で民法を(より緩める方向に)はみ出した規定を設けるというのは、あまりに脳死推進派やドナー側の身勝手な思惑である。

 法律学者、法曹関係者から強い批判の声が上がることを期待したい。

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