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小川 哲 『ゲームの王国(上・下)』 (ハヤカワ文庫、2019年)
ポル・ポトに率いられたクメール・ルージュがカンボジアを支配しつつあった1970年代。そして、時代が進み2020年代。
実際の歴史を取り入れながらオリジナルで壮大なSF小説が創造されている。
素晴らしい才能をもった若き小説家(1986年生)による渾身の傑作。
国を率いるリーダーの隠し子であるソリヤ(クメール語で太陽の意)、そして、その娘リアスメイ(クメール語で光の意)。対するは、貧村で生まれた天才ムイタックと、その兄テイウン。
その両者が協同の時代を経て、因縁を背負うようになる。
そこに、脳波を利用した新しいゲームが開発され…
カンボジアを舞台にした小説を書くという新しいチャレンジを成功させ、まだ発展途上だった時代の東南アジアの雰囲気が見事に伝わってくる。そこに、独裁者が支配する時代背景による荒々しさと緊張感が加味され、独特な世界観を味わえる小説になっている。
SF小説(『ユートロニカのこちら側』)でデビューした著者らしく、SF的な全く新しい〝ゲーム”がストーリーに未来感を出していて、小説に奥行きを出している。
著者の作品は全作品を追うこと確定。素晴らしい才能の登場に興奮を感じる。
#小川哲 #ゲームの王国 #SF小説 #クメール #カンボジア #リアスメイ #ムイタック
高野 和明 『ジェノサイド(上・下)』 (角川文庫、2013年)
初出は2010年の雑誌『野生時代』。
アフリカの部族に突然変異によって新しい人類が誕生する。
その新人類な子供は我らホモサピエンスよりはるかに優れた知能を有している。
それを知ったアメリカ政府はどう対応するのか?
そしてそれに立ち向かう日本の薬学の大学院生、アメリカ人傭兵などを描く壮大なミステリー。
とてもおもしろい。物語としてもおもしろいし、知的な思考実験・新しい問題提起としてもおもしろい。
動物愛護、生物多様性を無邪気に唱えている人たちは、人類をはるかに上回る知性を有した新人類の誕生にどう対応するのだろうか? もしその優秀な新人類が現在の人類を滅ぼそうとしてきたらどうする? 呑気に共生を探るとか言うのだろうか?
この小説に登場するアメリカ政府――書かれた年代的にブッシュ政権をイメージしていると思われるが、おそろしいほどトランプ政権とも類似している――の対応も十分に理解できる。というより正解なのではないかとさえ思う。
楽しみながら新しい重大な問題に気付かせてくれる。
これこそまさに意味のある小説と言えるだろう。
日本で最初のノーベル文学賞受賞を間近にして逝去してしまった作家の代表作。(ノーベル文学賞選考過程の事情に関しては都甲幸治『ノーベル文学賞のすべて』に詳しい。)
1930年頃の関西。旧家の4姉妹(20代~30代)の人間模様を描いている。
大作家らしく描写はわかりやすく見事で、すらすらと読み進めることができる。
かつての日本らしい(?)過剰なほどの気遣いや自意識、そして、その過剰な意識から下される下衆な他人批評。
はたしてこれを「日本的繊細さ」と言っていいものだろうか…
かつての日本を生き生きと描いたという歴史的な価値はあるだろけれど、現在読んでおもしろみを感じるような類の小説ではないと思った。
話の展開が大きくあるわけではないということで、上巻でストップ。
書店で新装版が出ているのを目にして、ふと購入して読んでみた。
別に死後50年だから読むというわけではない。けれど、最近たくさん出版されている三島関連本を目にしていてそんな気持ちになったのかもしれない。
中学生のとき初めて手に取ったけれど途中で挫折したのも当然だなと今回思った。表現も内容も中高生には難しい。表現も特有な感じ。
実際に1950年に起こった金閣放火事件をもとにした小説。
主人公は、実際の事件と同様、金閣に火をつける(金閣寺の)学僧の青年。
爆笑問題の太田光がラジオ番組で述べている通り、金閣の美の捉え方はおもしろい。
すなわち、永劫な時間の中での不滅な金閣は輝かない。しかし、金閣への空襲の恐れを感じたり、金閣の前で尺八の音色が流れていたり、夕焼けの時間帯だったり、一時的で時間に限りがあるとき、金閣は最高に輝き出す。
これはいろいろなところに共通するように思われる。欲しいものと実際に所有してしまったもの、旅行に行く前の計画段階と実際に行くときの気持ちなんかでも共通するのではないだろうか。
もう一つ、学僧が金閣を放火する動機だが、いささか浅いと感じた。
この学僧は、本人では何もやり遂げていないにもかかわらず、何でもかんでも不満(他者に対しても自己に対しても)を持ち、その原因を自己に帰さず、すぐに他者や別のもののせいにしてしまう。金閣の老師のせいにしたり、母親のせいにしたり、友達のせいにしたり。
そして、金閣をも己の不完全さの原因に帰されてしまう。そして、火をつけられてしまう。
自己の不十分さを認めず、何かにその原因を帰する犯罪者には枚挙にいとまがない。犯罪者としては相当浅はかなタイプだろう。
したがって、この小説では、放火をした学僧は最後の場面で、新しい(辛い・つまらない)現実を生きていくことを決意していることを示唆している。
しかし、もし仮に学僧がこのまま生きていくならどういう人生になっていくだろうか。
この学僧に精神的な成長をもたらすきっかけなしには、この学僧は、また辛い現実に遭遇したら何かのせいにするだけだろう。日本の法制度のせいとか、アメリカのせいとか、~さんのせいとか。
そんなわけで、美意識のようなおもしろい点もありつつも、より重要な、放火の動機については浅いと思え、小説としては高評価は与えられないと思った。
竹内真 『図書室のキリギリス』 (双葉文庫、2015年)
高校の図書室司書になった女性を中心に、高校生たちと司書の本をめぐるストーリーが描かれる。
元から本好きもいればそうでない者もいるけれど、なんだかんだで本に魅かれる登場人物たちはとても魅力的。本好きにとって、読んでいてとても心地よい世界が描かれている。
当然、具体的な書名もたくさん出てくる。『モーフィー時計の午前零時』(存在自体知らなかった)、『ハリー・ポッターと賢者の石』(読んだことあるし、映画も見た)、『八犬伝』(山田風太郎は未読)、『小さな本の数奇な運命』(知らない)、『旅をする木』(知らなかった)、『マボロシの鳥』(太田光作の小説。読んだ。おもしろい。)などなど。
最近、本が出てくる小説をよく読んでいる。ハズレがなくて安心して楽しく読むことができる。重松清的な安心感があるジャンルだ。
しかし、問題は読みたい本が大渋滞を起こすことだ。