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高杉良 『小説 ザ・ゼネコン』 (角川文庫、2005年)
2003年に出版された単行本の文庫化。
時は1980年代後半、首相・竹山正登とつながりの深い社長を擁する中堅ゼネコン・東和建設を舞台に、上司にも遠慮なくものを申す将来を渇望される中堅エリートであり、メインバンクから東和建設への出向者である山本泰世が、出向し、出向解除されるまでの東和建設の社長やその他の役員とのやり取りを中心に描いた小説。
「竹山正登」や「曽根田内閣」、「西北鉄道の筒井会長」といった名前や、竹山首相の「与党の幹部はみんな大丈夫だわな」といった言葉使いからも分かるとおり、(ある程度)事実に基づいて小説化された作品。
ただ、この中途半端な名前には笑いを禁じえない・・・。
また、この事実の追及の中途半端さは内容にも及んでいる。もちろん、談合や、「政治銘柄」と呼ばれるゼネコンの躍進など、帯の宣伝文句である「建設業界の暗部に迫」っている面もなくはないが、この面での出来や掘り下げは物足りない。
ただ、そんな中でも個人的におもしろかった(知らなかった)逸話は、新宿の新都庁舎の建設・設計に際しての建築家・丹野健二(言うまでもなく先日逝去した丹下健三を表していると思われる)も絡んだ設計コンペの段階からの談合・癒着の話。
しかし、本書のおもしろさは、ゼネコン、政界、銀行、暴力団などを巡る問題構造の抽出といった、いわば“マクロな”内容にあるのではない。おもしろさは、組織に毒された個人と組織から自由な(振舞いができる)個人との関係を通して、「組織と個人」との関係を“読者にとって気持ち良く”描いている“ミクロな”やり取り(会話)にこそある。
組織圧力や上司の専制など、組織の不快な面というのは日常生活において不可避である。そんな組織(化された人)を相手に堂々と、しかも、完全に「社会」から逸脱することなく敢然と立ち向かっている主人公の言語能力、状況判断能力には舌を巻く。そして何より、カタルシスを感じることができる。
これは“高杉小説”を通して見られる特徴だ。(ただ本書の主人公は組織化されている程度が比較的大きい感じがしなくもない)
そんなわけで、“高杉小説”は読んで爽快であるとともに、「社会」での立居振舞の勉強にもなる。
しかし、その一方で「やはり組織(会社)なんて」と組織(会社)一般に対して嫌悪を抱くのも間違いないが。