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 武田泰淳 『ひかりごけ(新潮文庫、1964年)
 
 
 表題作を含む4篇が収録されている。収録作のみ読んだ。

 表題作「ひかりごけ」は、沈没した船の船長が酷寒の地で死んだ仲間の船員の人肉を食べて生き延び、法的道徳的罪に問われたという戦中の事件を基にした小説。

 人間の原罪や戦争の本質などが描かれる。
 
 
 ただ、個人的に興味がある生命倫理の観点からも読める。

 生き延びるために死んでいる人の人肉を食べる行為は許されるか? あるいは、生き延びるために人を殺してその人肉を食べる行為は許されるか? そして、食べられる側が生前、了承していた/いなかった場合はどうか?

 実際の事件で起こったこと、そして小説に出てくることは、本人の承諾なしで死体の人肉を食べた行為である。人肉のためにあえて殺してはいない。

 生命倫理に関するこの点、この小説では、船長、生存した船員、世間の人々といった登場人物たちが、皆、もともと死んでいようがあえて殺したものであろうが、人肉を食べることは生き延びるためであっても道徳的に良くないと当然のことのように考えている。

 けれど、この前提は(少なくとも)現在からすればそんなに簡単に採用できるものではない。

 まず、脳死臓器移植という、一人の命を救うためには死の定義を緩める(誰かを殺す)という制度や議論が公然とまかり通っている。

 これと比べれば、承諾さえあれば、あえて殺して人肉を食べるのも問題ないとなってくる可能性がある。しかも、酷寒の地での極限状況下であることを考えに入れるなら、承諾がなくても許されそうだ。

 それから、法的に考えても、そんなに簡単に不道徳な行為と決め付けることはできない。

 通常、人を殺せば殺人罪、死体を切り裂いて人肉を食べる行為は死体損壊罪に問われる。

 けれど、生き延びるためであれば、(刑法上の概念であるところの)緊急避難によって違法性が阻却され、罪には問われないと思われる。(本当に生き延びられない状況だったか判断するのには困難が伴うけど。)

 そして、実際、極限状況であれば「生きるためにやむを得ない」と、大抵のことが正当化されるのが一般的な倫理観ではないだろうか。
 
 
 こう見てくると、この小説は、人々の道徳に関する前提に違和感がある。

 それでも、森鴎外の「高瀬舟」よりは生命倫理に対する深い問題を提起しているようには思うけど。

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