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東野圭吾 『黒笑小説』 (集英社、2005年)
綿矢りさの芥川賞受賞騒動は、結局のところ、「芥川賞を犠牲にして金儲けをした」ということになるのではないかと思っている。「エビでタイを釣る」ように儲けたのは、綿矢りさ及び出版社である。しかし、その一方で、“芥川賞の権威”はガタ落ちすることになってしまった。つまりは、日本最高の文学賞だとほとんどの国民が思っていた芥川賞も、内実を捨てて商業主義に走り、あまりに質の悪い作品に賞を与えるのか、ということを多くの国民が知ってしまったのだ。
また、最近では妙に「(低)年齢」にこだわる出版業界ないし各種文学賞の“ロリコン化”が甚だしい。幸いにも、読者のロリコン化は抑えられているようである。その分、読者の出版業界、各種文学賞への視線は冷たくなる一方であるが。つい先日は、活字文化の推進に熱心な読売新聞が朝刊の第3面で色々な文学賞の特集を組んでその流れなどに注意を促していた。実際、小学館文庫小説賞を15歳で受賞した河崎愛美『あなたへ』という作品などは、“普通の小学生”が書いた作文かとみまがうほどの質の低さである。
そんな文学界・出版界の問題点をシニカルに描いた作品を数篇含む短篇集がこの本である。具体的には、量産される質の低い文学賞、勘違いする作家、商業主義に走る編集者などが描かれている。
どの話もかなり戯画化されてはいるが、現実を見れば、笑ってばかりはいられない真実を突いているところがある。
また、文壇に関係しないものを含めてどの話も、かなり冷笑的なスタンスで、トリッキーな仕掛けを一つ含んだものである。したがって、とてもマンガ的な軽い小説である。読んだ後に何も残らないような感覚もまさにマンガと同じである。
そんなわけで、この本は、笑えるけれど読みごたえがなくいまいちだと個人的には思う。
しかしながら、「選考会」という収録作品に出てくる、“エントリーされた作品の内容を理解することさえできない選考委員の作家”は、(今となっては落ちぶれてしまった)芥川賞の選考委員にもいるのではないだろうか。実際、「理解できなかった」ということを平気で選評で語っている人もいるくらいだから。
劣化するばかりの文壇・出版界は何とかならないものかと嘆かずにはいられない。