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村上春樹 『1Q84 〈BOOK1~3〉』 (新潮文庫、2012年)
単行本出版当初、内容も大して明らかになっていないし、当然評判も何もなかったのにやたらと売れに売れた小説。 いくらノーベル文学賞に一番近い日本人と言われ、一般にも人気がある作家とはいえ、あの熱狂は一体何だったのだろうか。 あの時、真っ先に手に入れた人たちはちゃんと読んだのだろうか。(それなら何の文句もないけど、その人たちの半分も読んでないと思うとなんかなぁ・・・。)
さて、村上春樹も好きでオーウェルの『1984年』も大好きだから、とても期待して読み始めた。
「1984年」の現実の世界に生きていた主人公たちが、不思議な少女が書いた小説の世界「1Q84年」に入り込んでしまう。 その「1Q84年」の世界では、オーウェルの小説に描かれた「ビッグブラザー」なんていうものは誰もが警戒してしまって存在に効果はない。 しかし、それに代わって、「リトルピープル」なるものが幅を利かせている。
なんていう話が語られ(BOOK1後編p193)、かつてのスターリンのような一人の独裁者による全体主義のシステムはもはや過去の遺物となり、代わりに個々の一人一人が群衆になることで独裁者のような威力を発揮するポピュリズムの話であるかと匂わせる。
そして、そのリトルピープルが出てくる「1Q84年」がもともと小説の世界であり、現実の世界とは別の世界であることへの注意が払われる。(BOOK1後編p356) まさに、権力をもった大衆がその暴力的な感情的な力を発揮するとき、その被害者(被告人)となる対象は自分たちが生きる世界や自分たち自身とは別の世界や人間であるかのように傍若無人に振る舞うこととの関連性を伺わせる。
さらに、物語が進行していく中で『カラマーゾフの兄弟』が持ち出され、「善悪は絶対的なものではなく、時や場所により変動する」ことが言われる。(BOOK2前編p312) 感情的になった大衆が悪者として祭り上げ懲らしめた悪者や悪事も、いつの間にか、あるいは、もっと楽しげな出来事をきっかけに、すっかり忘れられ何事もなかったようになることが多々ある。
と、長い小説のこれからの展開に期待しながら読んでいたら、だんだん、主人公の男と女が数々の優秀な邪魔者たちをくぐり抜け、いかに久しぶりの再会を成し遂げるか、というただのミステリーに堕していってしまった。 ただ惰性だけで( かなり興味を失ってもとりあえず話は追わせる筆力はさすがはノーベル賞に近い作家だ )最後まで読んだが、やはり何の展開も解決も深まりもなくあっさり終わってしまった。
そんなわけで、期待はずれなただのミステリー小説だった。