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太田光 『爆笑問題 太田光自伝』 (小学館文庫、2001年)
太田光の誕生から35歳までを、相方ではない誰かによるインタビュー形式で、笑い、マジ語りを交えながら追っている。
紙幅の都合のためか、インタビュアーの器量のためか、突っこみが足りなくて不満が残ることろもちょくちょく出てくる。
けれど、一応、太田光の人生の全体像のようなものは見えてくる。
まず、「芸能」という職業にいる人にほとんど不可避な売れない苦悩、また、「天才」にしばしば見られる早熟さ、が垣間見れる。
一般ピープルとは違います。 (と、自分のダメさを肯定して満足してしまう人に発展は見込めない。)
それから、太田光の人生にもお笑いのスタイルにも共通することだけど、「ただひねくれている」と言うよりは、「正直に生きると世間的にはひねくれているように見える」と言うべきものが随所に現れている。
そして、その前提としての観客や世間に対する信頼や敏感さも窺える。
売れない芸人とは違います。
日芸の演劇学科の演技コースを「意味がない」と中退している太田光の演技論もおもしろい。
アンジャッシュだとかチュートリアルだとかのネタを見ていてたまに思う、「演劇をやってる人よりお笑いをやってる人の方が演技が上手いように思えることがあるのはなぜか?」という疑問に答えてくれている。
「 演技というのは、冷静な自分がいて、いかにうまくウソがつけるかというのが面白さだと思っているんです。
(中略)
コントというのは、そういう意味で言えば、全然自由だから。お笑いのヒトで“なぜ、こいつは料理しているか?”なんて考えてやってるヤツはいないと思うんです。要は料理をしてるというカタチで、そこで笑いが必要なら、面白いカタチで演じればいいだけだから。でも、だからこそお笑いのヒトというのは、お芝居がうまいヒトが多いんだと思うけどな。それでいうと、アニマルエクササイズにしても、“実際に本物を見に行ったら、ウソをつきにくくなって不自由で何にも面白くないのに”、と思っていたんです。 」(pp129-130)
必死になって叫ぶしか能(脳)のない役者って結構いる。もちろん、これは芸人にも当てはまる。
と、何となく、お笑いをやってる人が読んだら結構得るところがある気がする。
けれど、普通の人が読んでもちょっとした笑いと軽い気分転換くらいしか得られないのはやむを得ないところ。