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吉井怜 『神様、何するの・・・ ――白血病と闘ったアイドルの手記』 (幻冬社文庫、2003年)
本書は副題の通り、「白血病と闘ったアイドルの手記」だ。そのアイドルである吉井怜がデビューして活躍し始めた頃を雑誌などで見て知っていただけに一般の人よりは身近に感じ、興味も惹かれた。
さて、本書は入院する前の状況から入院後の治療や生活など、結構詳しく記述されている。そのため、想像力をかき立てられ、読み始めると本の中の世界に引き込まれてしまう。
そして、読んでまず感じるのは、数え切れないくらいの注射、無菌室での孤独、抜け落ちる髪の毛、不妊の体、記憶が飛ぶくらいの苦しみなどなど、あまたの辛い体験を耐え抜いた人間に対する敬意だ。
しかしながら、敬意は払いつつも著者吉井怜に対して苛立たしく感じる点もある。
本書では著者の二つの側面が現れている。その片方の側面が現れる場面はとても感動的であり涙を誘う。しかし、もう片方の側面が現れる場面では軽蔑や怒りがこみ上げてくる。
まず前者の感動的な場面に分類されるものから述べていこう。こちらの中で一番感動したのは、「子どもを産めない体」という節だ。ここでは放射線治療を受けて不妊の体になった後に書かれた日記の中の詩的な文章が出てくる。その冒頭は以下のようなものだ。
二〇〇一年七月十日
〈まだ出会っていない、未来の赤ちゃんへ〉
お腹に宿すことも、できなくてゴメンネ。
いろんな空の色や周りの景色を見せることができなくて、ゴメンネ。
生まれてくるとしたら何人きょうだいだったのかな?
(167頁)
この後も、自分の赤ちゃんとの会話と自分の赤ちゃんに対する自責の想いの告白が淡々と表現された詩が続く。
この他の感動的な場面は、骨髄移植をした母や不器用な方法で愛情を表す父など家族とのやり取りの中に多い。
次に、もう一方の、怒りを感じる場面について述べる。こちらには、病気を治すより仕事の復帰を考えることや、後遺症を恐れてより生存率の高い骨髄移植を拒否することや、点滴などで普段の2倍くらいにふくれ上がった顔を看護婦に見せながら「ブサイク」と自虐的な冗談を言う場面や、自分の境遇を神様に向かって嘆く場面などがある。
さて、上の感動と怒りとを分けるのはいったい何か? それは、そのときの吉井怜の属性によっていると思われる。つまり、前者の感動的なところでは「一人の人間としての吉井怜」であり、後者の怒りを感じさせるところでは「アイドルとしての吉井怜」なのである。
赤ちゃんとの会話や家族とのやり取りはまさに、アイドルであることとは全く無縁な内容であり、人間としての性質が現れる場面である。
一方、「アイドルとしての吉井怜」のときには、本人は無自覚なのであろうが、前面に本人の幼さ・醜さが現れてくる。つまり、「タレントじゃなければ、私じゃない」とか「実力も知名度も一流になる」とか、(他人からの評価が重要な)タレントという仕事によってしか自己の人生を肯定できない幼稚な精神性が表出されているだ。ここでは、自分の命・人生が「誰かのために」というような崇高な精神のためにではなく、「タレントとしての自分」という自己の外面的な側面のために使われているのだ。
この点をさらに続けて考えていくと、怒りを喚起する場面と、「アイドルとしての吉井怜」というアイデンティティーの二つから、さらに問題点が見えてくる。つまり、自分の容姿に対する優越感と絶対化だ。入院中に、治療の影響で変わってしまった自分の容姿へのしつこいくらいの執着や、終始一貫したタレント業へのこだわりはそれを端的に表している。言い換えれば、「カワイクない自分は自分ではない」という意識だ。ここでも、自己を外見でしか肯定できない精神性が見えている。
最後に、上で述べた点とも関連するが、もう一つの問題点を指摘する。それは、自己を「辛さナンバー・ワン」化していることだ。つまり、アイドルとしての仕事が上昇しかけていたときにこんな病になってしまい苦しい治療を受けた不幸を、あたかも「世界で一番辛い経験をした」と無意識のうちに前提とされている感じを受けるのだ。上で述べた「自分はカワイイ」前提もまさにそうだが、これらは結局、世界の狭さ、あるいは、想像力の乏しさによるものだ。世間にはカワイクない人はいっぱいいるし、カワイクなくて白血病になる人もいるし、白血病になっても自分を世話してくれる家族がいない人もいるし、病気が順調に回復しない人もいるし・・・というあり得る状況への想像が全く働いていないのだ。自分の人生や境遇などを相対化した形跡が微塵も見られない。なんと自己中心的で傲慢な人間なのだろうか。(そんな吉井怜にはたくさんの読書とニュースをリアリティーをもって見ることを勧めたい)
以上では、かなり根源的に吉井怜の頭の中を批判してきた。その帰結として当然、吉井怜を積極的には応援できない。しかしながら、これだけの辛い経験を言い訳や自己弁護に使うことを断固として拒否している姿勢や、「白血病になったのが私で良かった」と治癒後に思えるほどの強さには共感を持てる。(ただ、この強さが行き過ぎているために先に批判したようなことになるのではあるが・・・)したがって、他の中途半端なアイドルよりは応援しようと思う。
蛇足。本書には最後に「解説」と称して、本書のドラマ化を手がけた某民放のディレクター(武内英樹)の文章が載っている。しかし、読んでいるこちらが恥ずかしくなるくらいの稚拙で浅薄でつまらない、中学生が書いたような文章なのである。これでは、せっかくの感動的で重い物語の読後感を台無しにしてしまう。まったくもって犯罪的行為だ。心から削除願いたい。