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伊藤計劃 『虐殺器官』 (早川書房、2007年)
セキュリティのために個人認証システムによる監視網がそこらじゅうに張り巡らされている先進国がある一方で、後進国での内戦や虐殺が絶えない近未来における、一人のアメリカ人青年兵士の罪と罰を描いたSF小説。小松左京賞最終候補作品。
なんだけど、いろんな映画やら文学やらアニメやらノンフィクションやらを、ほとんど何も手を加えないでその表面だけを切った貼ったしただけの中身の薄い作品。無駄に知識をひけらかす嫌らしさも感じられる。
出てくるのは、(あくまで自分が気付いたものに限られるわけだけど、)例えば、脳科学ではスティーブン・ピンカー、文学ではカフカ、ベケット、映画では『地獄の黙示録』、『ダーウィンの悪夢』、『プライベート・ライアン』、ノンフィクションでは『戦争請負会社』、『戦争広告代理店』など。それから、主人公の「ぼく」が任務と実存との間で悩むのは『エヴァ』。他にも、『利己的な遺伝子』やら画家のボッシュやらゲーム理論やら脳死問題やらも出てくる。とはいえ、どれも、あくまで主だった内容やハイライトをほとんど加工もせず、作品の中に自然に溶け込ませることもなくそのまま引っ張ってきただけ。
それで、余計なものを取り除くと、つまるところ、“『地獄の黙示録』に脳科学的な洞察を単純に加えただけの作品”ということになる。しかも、両者を単純に足しただけで独自の解釈はほとんどないし、話のあちこちに色々なものが付着させられているために作品全体が拡散的になってしまい、『地獄の黙示録』的な問題が突き詰められているということもない。
で、結局、独創性を感じさせるのは、「虐殺の文法」と「内戦の効用(外部経済)」くらい。 (※「虐殺の文法」みたいな研究は昔からあったという話をネット上のどっかで見たけど、それが具体的にどういうものだか分からない。)
これだけ色々なことを知ってるのなら、無理していっぱい詰め込もうとせずに、一つのテーマをじっくり深く追求すれば良かったのにと思う。
ともあれ、そんなわけで、一部の評価とは違い、「傑作」とは到底言いがたい作品。