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三浦しをん 『私が語りはじめた彼は』 (新潮文庫、2007年)
あえて一言で表すなら、無常が定めの虚しい世の中にあって、“(ことさらに)求めていかない愛”のみが存立可能であること、また、そういった“愛”の逞(たくま)しさ、美しさを静かに描いた連作長編小説。
一人の男(=「彼」)の奔放な愛に振り回され、裏切られ、傷つけられた男女たち(=「私」)それぞれの物語・視点を通して、“真の愛”(とは何か)が紡がれていく。
人間の微妙な感情の襞(ひだ)を見事にすくい取った、純文学らしい名作。
文章も美しい。
「 「私は、私にとっての真実を語りました。事実は一つですが、真実はきっとひとの数だけあるでしょう」 」(p50)
「 「あなたの心に打ちこまれた杭は、いずれは溶けますよ。でもぽっかりと空いた穴はいつまでも残るでしょう。それは痛み続け、そこを通る風音があなたを眠らせぬ夜もあるかもしれない。だけど私は、この痛みをいつまでも味わい続けていたいと思うのです。それが、私が生きてきた、そしてこれからも生き続けていくための、証となるからです。私の痛みは私だけのもの。私の空虚は私だけのもの。だれにも冒されることのないものを、私はようやく、手に入れることができたのです」 」(p49)
「 「でもいまは、村川や太田春美を哀れと思います。自分の中の何かを差し出し、なげうてば、だれかを手に入れられると無邪気に信じる彼らを、とても哀れだと」 」(p48)
この受動的ながら前向きな信念・諦念の先に成立する“愛”こそが真の“愛”になる。(ということだと思う。)
この作品は、話が進むにつれて話に深みが増してくる。それから、最初の話はものすごくミステリー小説みたいな様相を呈している。
それだけに、最初の方は油断して気楽に読んでしまった。
最初からもっとじっくり読むべきだった。と今になって思う。( 第一話なんか結構重要だし。)
もう一度読み直せば良いわけだけど、小説にそんなに時間をかけるのもなぁという気もするから、とりあえず一読した限りでの感想を認(したた)めた次第。