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三本和彦 『「いいクルマ」の条件』 (NHK出版、生活人新書、2004年)
モータージャーナリスト・三本和彦の車に対するスタンスの全体像が分かる本。
著者の車に対するスタンスは、「ステイタス・シンボルとしてのクルマ」という意識を毛嫌いし、「ファッションとしてのクルマ」という意識をもつことを評価するというもの。
「ステイタス・シンボルとしてのクルマ」とは、“より大きい、より速い、より高い車”を是とし、この唯一の基準の下で少しでも「上」を目指そうと国民が皆で競い合っているような、そういう「車文化」に浸ってしまっていることを言う。
この「文化」は、車がまだ高級品だった時代に隆盛を極めたが、車が生活必需品となった現代では(「車雑誌」と一部の「オタク」以外では)だいぶ減退してきているとし、当然著者はこの流れを歓迎している。
著者に言わせれば、「大きい車」は日本の狭い道路事情には適さないし、「速い車」は制限速度100キロまでの道では性能を出す機会がないし、「高い車」は無駄な出費で生活を苦しくしているだけ、ということになる。
一方、著者が勧める「ファッションとしてのクルマ」とは、その人のライフスタイルや価値観や人生観に合った、背伸びしない、背の丈にあった車を持つということである。
この本では、著者による説教じみた車に関係のないような社会や日本人に関する話がたくさん盛り込まれている。
これは確かにうざい感じもする。
けれど、著者の車に対するスタンス――「ファッションとしてのクルマ」を支える根源的な人生観や価値観が全て明かされていると思えば、そこそこおもしろく読める。
特に、モータージャーナリストである著者の社会問題に対する関心には目を見張る。例えば、これから経済成長しそうな国を挙げれば、今話題の「BRIC(ブラジル、ロシア、インド、中国)」と一致しているし、マスコミとジャーナリズムとの違いを警察の裏金作りやイラク戦争の例を用いて熱く語ったりしている。
非常に視野が広く奥行きのあるおもしろい人だという印象をもたせる。そして、車を愛しつつも、「走り屋」のような人たちを好ましく思わないという著者のような真面目な考えにいかに至るかの理由もよく分かる。
以上述べてきたのを見ても分かる通り、この本は、具体的な車に対する言及は少ないけれど車というものを見る“視点”を提供してくれるから、生活道具として車を考える人が初めて車を購入するときには役に立つ良心的な本であろう。
ちなみに、この著者はテレビ神奈川の長寿&人気番組だった『新車情報』のキャスターを務めていた。
自分は、小中学生の頃、毎週のようにこの番組を観ていた。
今思えば、自分の車に対するスタンスは、キャスターとして試乗レポートなどを行っていたこの著者の影響を大きく受けているかもしれない。
もちろん、もともと自分の価値観が著者と一致していたというのもかなり大きいだろうが。
例えば、スポーツカーは100キロの道路だと性能を発揮できないとか、リヤスポイラーはかなりの高速走行でないと意味がないとかは、この番組を見て以来、覚えたことである。
ただ、こんな安全志向で保守的なスタンスの自分だが、モータースポーツも大好きなのだからおもしろい。(ちなみに著者はモータースポーツ経験者!)
ちなみに、F1を見ると当然、自分の運転はそれに影響される。
がしかし、影響のされ方は、やたらとスピードを出すという単純な方向には向かわない。
F1ドライバーはただ闇雲にアクセルを踏んでスピードを出しているわけではない。
彼らは、速く走りながらも、燃費や、タイヤの磨耗やブレーキの磨耗など、実にあらゆることに気を遣いながら走っている。
そんなことから、F1を意識した自分が普段の運転で意識することは、例えば、"レス・アクセル(Less Accelerator)"とか、"レス・ブレーキ(Less Brake)"とか、"レス・エネルギー(Less Energy)"とか、である。
そんなわけで、F1とかを短絡的に真似ている「走り屋」の人たちを見ると、自分は微笑ましさを覚える。
しかし、とにもかくにも、この本を読んでこの著者をますます好きになった。こういう(走り屋のではなく)一般ユーザーの味方であるモータージャーナリストは稀有であり、存在することが奇跡的でもある。