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中村文則 『悪意の手記』 (新潮社、2005年)
2005年、27歳のときに「土の中の子供」で芥川賞を受賞した作家による純文学作品。
純文学の作品だから、ネタバレを気にせず自分が理解した話の流れを適宜本文を引用しながら書いておこう。純文学の場合、この自分なりの理解こそが結構人によって違っていたりするから重要なのだ。
話は、少年による独白調の手記の形で綴られる。
主人公の少年がかなりの確率で死に至る重い病気に罹り、重い症状も出てきて死を覚悟し、絶望する。自分ではどうすることもできない不幸な境遇に陥った少年の感情は、ニヒリズムとルサンチマンで満ちる。
「 (その頃の私は)どんな温かい言葉も、理解することができなかった。病で歪み、憎悪にまみれた私の精神は、どんな言葉も受け入れなかった。告白するが、感情を憎悪にまかせる時、確かな喜びがあったのを覚えている。時に、それは喜びを越え、明確な快楽として、私の精神を興奮させたこともあった。それは死を前にした私が得た、たった一つの喜びだったような気がする。それは理論ではなく、思念の固まりとして、病気の進行と共に私を侵食していった。 」(p20)
この辺は、神を信じる敬虔なクリスチャンであるアメリカ人医師に対する反発の場面が出てきたりと、ニーチェの世界を意識的に描いている。
しかし、突然薬が効き出し、少年は元の健康な状態に戻る。この転換が少年に大きな影響を与える。
「 私は、以前までの私と確実に異なっていた。病気になる前に築き上げていた自分の生活に、何の魅力も感じることができなかった。病室のベッドで私を支配していたあの憎悪は、私の中にあった何かをひねり潰していた。私の中の、エネルギーのようなもの、生きる根源であり、世界に馴染むために必要な、固まりのような何かを。周囲の全てが遠くに見え、自分に関係ないことのように思えた。(中略)休んでいた分の勉強を始めても、以前は面倒になったものだが、その時の私は、何とも思うことができなかった。人形のように、いつまでも続けていたりした。歴史の教科書からは人間が常に愚かだったということだけがわかり、数学は、人間が勝手に作ったパズルゲームのように思えた。(中略)駐車してあった自動車の窓を理由もなく石で割ったり、水溜まりを意味もなく踏み続けていたこともあった。 」(pp28-29)
かなりのリアリティをもって死を覚悟した少年は、元の生活に戻ると、ニヒリズム、ルサンチマンといった感情さえも持つことをできなくなってしまったのだ。虚無の状態である。病気になる以前にも持っていたものが強烈になったということだろう。こうなると、もはや生きる意味を見出すことができないため、自殺することを考える。
そんな折、親友のKがふと将来に対する悩みを漏らす。それに対し、少年の中に「一つの考え」が浮かぶ。将来に漠然とした不安を感じて「年を取りたくない」と言っているKが年を取らないように手伝ってあげることであった。つまり、Kを殺すということである。
「 (この考えが)浮かんだ時、心臓に鈍い痛みが、久し振りに、肉体が感情に反応するあの感覚を感じた。それは少しずつ高まり、強く早い鼓動へと変化していった。(中略)その感覚は、久し振りだったこともあり、心地好ささえ私にもたらした。 」(p35)
殺人を思い浮かべることが、虚無で不感になっていた少年に生の実感、生きる意味を思い出させたのである。
こうして、少年は親友のKを池に突き落とし、殺人を犯してしまう。が、その代わりに、少年は自殺をせずに済むことになった。
Kの死は自殺として処理され、少年が捕まることはなかった。
この殺人以来、少年は良心の呵責に苛まれる。そして、このことによって生々しい生の実感を回復し、虚無の意識も消える。人を殺すことで再び生を受けたと言えるだろう。
良心の呵責に苛まれた少年は、徹底的に悪に徹し、堕ちるところまで堕ちることで、この精神的な苦しみから逃れようとする。これは、いわば、自分が弱いがために正面から向き合って自分を深く考えることを避ける(無)意識の現れである。
その後、少年は色々な人に接し、色々な出来事に巻き込まれる。
悪に徹することで苦しみから逃れて楽になろうとする一方、娘を殺された母親と協力して犯人の少年(:Kを殺した自分の象徴でもある)を殺すことで自分の罪の償いをしようとしたりする。
そんなこんなで、最後には、少年は現実逃避から脱し、殺人犯としての自分を受け入れ、現実的な生の道を選ぶことで落ち着く。
長くなったが、以上が話の流れである。
この小説は、少年を主人公として、ニヒリズム、ルサンチマン、「神は死んだ」、無気力による自殺、理由なき殺人などなど、現代的なトピックの内奥に正面から切り込み、挑んでいる。しかも、各場面での少年の心理状況は(自分からすると)なかなか的を射ていると思うし、主人公の少年の心理にも(程度の違いはあれ)理解・共感できる部分が自分にはあると感じる。
少年による事件が起こるたびに、冷静に考えもしないうちから「理由なき殺人」とか「今どきの子供は分からない」とか騒ぎ立てる大人たちに対する、若い著者による異議申し立てでもあるだろう。
もちろん、個々の心理を(ニーチェをそのまま使うなど)やや単純な枠組みで捉えていたり、「心理1→出来事→心理2・・・」というような図式ばった感じがあったりするけれど、個人的には面白く読んだ。
何より軽い小説ばかりが持てはやされる中にあって、このような重い小説を書く作家が現れたことに驚きを感じると共に、稀有なだけにどうしても期待したい気になってしまうのだ。「ミニ大江健三郎」という感じもするし。(あくまで「ミニ」だけど。)
何はともあれ、この作家の他の作品は読んでみようと思う。