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 三崎亜記 『となり町戦争(集英社、2005年)
 
 
 なかなかおもしろかった。

 「となり町」と「舞坂町」との戦争を政治に無関心な一会社員の視点で描いた小説。

 まず、出だしが卓越。

となり町との戦争がはじまる。
  僕がそれを知ったのは、毎月一日と十五日に発行され、一日遅れでアパートの郵便受けに入れられている〔広報まいさか〕でだった。町民税の納期や下水道フェアのお知らせに挟まれるように、それは小さく載っていた。 (p5)

 テレビも観ず、政治に興味もない主人公にとっての戦争はこうして静かに始まる。しかし、その後も、「見えない」まま戦争は進んでいるらしい。〔広報まいさか〕で知らされる戦死者の数だけが戦争を知る唯一の手がかり。そんな主人公が偵察業務の従事者に任命され、完全に戦争に巻き込まれたかのように見えた。が、それでも、戦争は「見えない」―――。

 奇抜な設定だが、この小説の主題である“(一個人から見た)戦争のリアリティ”を見事に捉えていると思う。

 試みに、イラク戦争下における一アメリカ市民の視点で想像してみるといいだろう。

 政治に無関心な人には自国が関係する戦争の情報も無機質なものだろう。ほとんど全てのアメリカ人はイラク戦争中も普段通り仕事をし、普段通りの日常生活を送っていた。戦争が起こっていない時にお金のために州兵に登録していた市民にとっては、急に戦争の当事者となってバグダッドに送られたりする。国防省の一役人からすればその個人の戦争への賛否いかんに関わらず事務的に戦争業務を遂行する以外に手はない。2000人以上の戦死した兵士たちは間接的には自分のために死んだということになる。その2000人以上の戦死者のうち死ぬときの状況を知っている人数はどれほどいるであろうか。戦争の目的は政治家の個人的なメリットのためだったりする。

 この小説が描く一個人から見た町同士の戦争と実際のイラク戦争との決定的な違いを見つけることは意外と難しい。

 右翼も左翼も戦争に関しては感情的に過激なことばかり発言するから極端なイメージばかりが流布している。しかし、職業軍人が中心になり、総力戦でもなく、国際法上のルールに則って遂行される現代の戦争とはこんなものだろう。

 そんな戦争についてのイメージと現実との間で困惑する、この小説を象徴するような主人公の言葉を最後に引用しておこう。

わからない。ぼくにはあいかわらずよくわからない。人が一人死んだ。ぼくのために。戦争の意味がまったくわからない。ぼくがスパイ映画気取りで逃げまわっていた間に・・・。でもそのことへの罪悪感がまったくわいてこない。あまりにもリアルじゃないから。まるで遠い砂漠の国で起こった戦争で、死者何百人ってニュースで聞いてるみたいだ。まるで他人事だ。どうしてだろう。 (p169)

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