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ロマン・ロラン 『ベートーヴェンの生涯』 (片山敏彦訳/岩波文庫、1938年)
クラシック(音楽)は、大ヒットしたCD「ベストクラシック100」を聴くくらいなものなのだが、ベートーヴェンの「第九(交響曲第九番合唱付)」だけは例外的に偏愛している。いろいろな指揮者のものを聴き比べたりするくらいに好きだ。フルトヴェングラー、カラヤン、カール・ベーム、サイモン・ラトル、小沢征爾などだ。ちなみに、今まで聴いた中で一番好きなのは、レナード・バーンスタインのもの。(→CD〈1979年、ウィーン・フィル〉。)
そんな「第九」好きな自分からすると、この本で小説家でもあり歴史家でもあるロマン・ロランによって描かれるベートーヴェンの生涯は、非常に共感できるものだった。
というのも、数々の苦境と自己の精神との相克の歴史であるベートーヴェンの人生は、「第九」における色々経て最後の至上の歓喜に向かっていく曲の流れと似ているからだ。この類似性を表現するロランの叙述は見事である。
「 あの心を酔わせる終曲(フィナーレ)こそは、打ち倒された自分自身の身体の上に、勝ち誇って光明に向かって立ち上がる、解放された魂以外の何者であるか?」(p158)
さて、そんな卓越した表現者ロランは、彼自身ベートーヴェンによって「救われた」と述べている。そして、冒頭、次のように読者に語りかけている。
「 ここにわれわれが語ろうと試みる人々の生涯は、ほとんど常に永い受苦の歴史であった。悲劇的な運命が彼らの魂を、肉体的なまた精神的な苦痛、病気や不幸やの鉄床(かなどこ)の上で鍛えようと望んだにもせよ、とにかく彼らは試練を日ごとのパンとして食ったのである。そして彼らが力強さによって偉大だったとすれば、それは彼らが不幸を通じて偉大だったからである。だから不幸な人々よ、あまりに嘆くな。人類の最良の人々は不幸な人々と共にいるのだから。その人々の勇気によってわれわれ自身を養おうではないか。 」(p17)
そして、ベートーヴェンの人生こそがこの呼びかけに対する最上の答えを示してくれている。
その詳細はここには書けないが、一つだけ思ったことを書いておきたい。
それは、苦悩に満ちたベートーヴェンの最高傑作だと多くの人が認めるところであろう「第九」が、彼の人生の最終盤に作られたということ。
数多くの天才の中でも「特に天才」と言われる芸術家は、若いうちにその才能の片鱗を見せるだけでなく、若いうちにその最高傑作を生み出していることが多い。
しかし、人生の最後に最高傑作を生み出したベートーヴェンは、確かに天才であったことも間違いないにしても、天賦の才能だけで作品を創造したのではなく、彼に降りかかった数々の運命・境遇によっても作品を創造したということを表している。人間的な弱さをもった、いわば人間臭い天才なのだ。この人間味の普遍性こそが現代に至るまでベートーヴェンが万人に受け入れられてきた理由であるように思える。
そんな、自己の苦境と自己の音楽との関係が深いベートーヴェンの苦悩の意志を表す彼自身の言葉を一つ。
「 「忍従、自分の運命への痛切な忍従。お前は自己のために存在することをもはや許されていない。ただ他人のために生きることができるのみだ。お前のために残されている幸福は、ただお前の芸術の仕事の中にのみ有る。おお、神よ、私が自己に克つ力を私にお与え下さい!」 」(p42)
ベートーヴェンは辛い運命であった。そして、悩み苦しんだ。しかし、最後に「歓喜の歌」を完成させた。そんなベートーヴェンの生涯を見事に表すベートーヴェン自身の言葉がこの本のフィナーレを飾っている。
「 「悩みをつき抜けて歓喜に到れ!」 」(p68)
ただただかっこいい。