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ジョージ・オーウェル 『動物農場』 (高畠文夫訳/角川文庫、1972年)
平等を目指したロシア革命が独裁制に陥った歴史を、農場主から独立した家畜動物たちに擬して描いた小説。
家畜が主人公という設定からしてそうだけど、個々の発言とか行動の描写に滑稽だけど鋭い風刺が効いていておもしろい。
例えば、「 いやしくも二本脚で歩くもの、それはすべて敵である。いやしくも四本の脚で歩くもの、あるいは翼をもつもの、それはすべて見方である。 」(p15)と、のたまっていたリーダーの豚が、最後には二本脚で歩いてしまうところとか。
ちなみに、この小説を共産主義(マルクス-レーニン主義)批判とだけ捉えるのは狭すぎる。
この小説は、共産主義の経済理論的欠陥ではなく、あくまで共産主義が独裁になるという政治的欠陥について主に描いている。
そして、この独裁に至るという点では、エリート主義の右翼も共産主義の左翼も同類だ。
そして、当然、民主主義も同じだ。
また、独裁者になった豚(およびその取り巻きの犬たち)を批判するのも無意味だ。
強者は力による支配へと誘惑される。権力は腐敗する。
これらは人間である限り避けられない性質として受け入れなければならない。
重要なのは、それを防ぐメカニズム(制度)であり、国民のレベル(民度)である。
この「動物農場」でも、致命的に思考力のない(文字も読めない)馬や羊などの被支配者たちの存在、憲法のような掟である「七戒」の蹂躙などによって独裁へと至っている。
ただ、「七戒」の蹂躙といった制度の機能不全は、被支配者側の文盲などのために発生しており、何より第一義的に重要なのは、被支配者(主権者)側の知性であることがこの小説からも教訓として引き出せる。
結局、国民が賢くないなら、共産主義でもエリート主義でも民主主義でも破滅へと至るのだ。