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 レジス・ドゥブレ、樋口陽一、三浦信孝、水林章『思想としての〈共和国〉(みすず書房、2006年)
 
 
 現代のフランスを考えるなら「無関心ではいられない」(by三浦信孝)思想家ドゥブレの1989年の論文「あなたはデモクラットか、それとも共和主義者か」を中心に、ドゥブレと三浦信孝との討論、水林章の二つの講演、樋口・三浦・水林による鼎談を収めたもの。ドゥブレ論文を筆頭に、全体が挑発的で刺激に満ちた内容。

 やっぱり、共和主義、魅力的。(ドゥブレの描く共和主義はさすがに極端すぎるけど。)

 ドゥブレの論文は、フランスの共和主義とアメリカの「デモクラシー」(の理念)を大胆に対比させ、劣勢な共和主義を擁護したもの。

 ただ、「デモクラシー」というドゥブレの用語法は、鼎談などでも指摘されているように、「市場自由主義」とか「リベラル・デモクラシー」とかいう概念の方が一般的。自分は「(ロールズ的な)リベラリズム」に置き換えながら読んだ。

 ドゥブレが言う共和主義は、ルソー的で、理性、普遍性、市民、社会契約(意思)、国家(ステート)、(宗教などから一旦解放して自律的市民をつくる)学校、ライシテ(非宗教性。※宗教は私的なもので公的な場に持ち込んではならない)といったものを重視する。

われわれ(共和主義者)は、神を支配の座から引きずり下ろし、社会が信者の服従と消費者の欲望ではなく、市民の自律性のうえに成り立つようにした (p27)

 他方、「デモクラシー」は、トクヴィル的で、利己心、ローカルなコミュニティ、経済・社会、消費者・生産者、国家からの自由、教会といったものを重視する。

 この両者の違いはしばしば論争を引き起こす。

 その一つが、公立小学校にスカーフを巻いてきたイスラム教徒の女子児童を教室に入れなかったイスラム・スカーフ事件である。(この「政教分離観」の違いに関しては、小田中直樹『フランス7つの謎』の感想で引用した部分に書かれている)

 また、共和主義は多文化主義を認めないため、移民政策において「同化主義」と批判されたりする。
 
 
 ドゥブレが提示した共和主義と「デモクラシー」との対比は、実に多くの問題に関係しているように思える。

 ただ、個人的な興味から一つに絞れば、やはり「ライシテ」、政教分離といった政治と宗教の関係の問題になる。

 日本でもこの手の問題が憲法上の論点になったことはある。エホバの証人の信者による輸血拒否問題、宗教上の理由から学校の授業の柔道だか剣道だかを拒んだ問題などである。

 けれど、日本では、(特にマスコミ、世論レベルでは)ほとんど異論なく、アメリカ的な政教分離観=多文化主義が圧倒的な主流を占めている。

 しかし、少し考えれば分かるとおり、宗教というものは、日本だけで最大1億2千万通り存在しうるものである。しかも、その内容を各個人(=教祖)が決められるのである。

 となると、無思考かつ安易に多文化主義を受け入れているだけでは、例えば、公立学校の場において「宗教上の理由から」を連発されたら対応に困ることになるのが目に見えている。(※実際、オウムをはじめとするカルト的新興宗教の“合法的”活動に対する批判が、異質なものに対するただの嫌悪感や恐怖感に過ぎないという危険な状態が続いているのは象徴的。)

 もちろん、法律学では、「社会通念上許される範囲」云々というような表現で対処するのだろうけれど、信教の自由という重要と思われている権利を制限するには心許なさ過ぎる。

 共和主義は、こういった問題に一つの回答を提示している。
 
 
 では、この政治と宗教という問題を自分の好きなリベラルな三人の哲学者、ロールズ、ハーバーマス、センはどう考えているのか?

 目にした限りでは、ロールズは、宗教を「包括的ドクトリン」とし、「公共的理性」が生み出す「正義の政治的構想」の下位に位置付けている。

 ハーバーマスは、具体的に言及しているところは知らないけれど、「討議理性」を重視したわけだから、宗教に対する理性の優位を考えていると想像できる。

 センは、イスラム原理主義者がテロなどの過激で暴力的な信条を持つのにイスラムの神学校が重要な役割を果たしていることを指摘し、非宗教的で理性的な学校が重要だと言っている。

 こう見ると、ロールズ、ハーバーマス、センの三人は、ドゥブレほど極端ではないけれど、(政治と宗教の関係に関して)究極的には共和主義を採用していると言うことができる。(※ちなみに、主にネオコンを論じる文脈で多文化主義を排し、文化的多元主義を擁護している宮台真司も同じである。)

 さらに言えば、この三人の哲学者は、理性を重視する時点で、消費者・生産者としての自己利益(を目指す人間観)を重視するリベラリズム/リバタリアリズムではなく、宗教以外のところでも「共和主義者である」と言ってもそれほど外れていないように思える。(もちろん、その理性の担い手に関して、ロールズや宮台は一部のエリートのような存在を想定しているが。)
 
 
 もちろん、ドゥブレのような極端な共和主義である必要はなく、可能な限り多文化主義的・リベラリズム的な要素を取り入れるべきだが、「究極的には共和主義」というのが、現代の主流派リベラル・デモクラシーの哲学者と同様に、望ましいと思う。

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