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 坂野潤治 『明治デモクラシー(岩波新書、2005年)
 
 
 自分は、タイトルに「デモクラシー」とか「民主主義」が入っているとついつい惹かれて買ってしまう性分だ。

 ただ、明治時代のこととなると現代で言うところの民主主義とは異なっていることが多く、敬遠しがちだ。

 しかし、本書の帯の文句は「明治の日本には、民主主義の息吹があった!」という挑発的なもの。

 どうやら、時代状況に拘束されたかなり限定的な意味での“民主主義”ではなく、現代的な意味での民主主義を明治時代に見出しているようである。そこで読んでみた。

 本書での筆者の狙いは「はじめに」で簡潔にまとめられている。長いが全文引用しておく。

 今日のわれわれは、自国の過去100年以上にわたる民主主義思想と運動を、連続した、累積的な伝統として再構成する必要に迫られている。それには第一に、「上からの近代化」や「上からのファシズム」の呪縛から自らを解き放たなければならない。第二に、1880年に始まるいくつかの下からの民主化の波を、相互に比較できる形に再構成していかなければならない。
 このような観点から、筆者は、日本の近代史を、上からの「富国強兵」の枠組ではなく、下からの「デモクラシー」の枠組で捉えなおし、それを「連続」的なものとして理解することに努め、そのために「明治デモクラシー」、「大正デモクラシー」、「昭和デモクラシー」という用語で分析していきたいと考えている。本書は、その第一着手として、これまで「自由民権運動」、「大同団結運動」、「初期大正デモクラシー」と区別されてきた明治12年(1879)から明治末年(1912)までの民主化の波を、「主権論」と「二大政党制論」を中心に「明治デモクラシー」として相対的に理解しようとするものである。(pⅢ)

 このような目的の下、福澤諭吉、植木枝盛、中江兆民、板垣退助、徳富蘇峰、北一輝、美濃部達吉といった思想家であり運動家(政治家)でもある人たちの主張を連続的かつ一貫的に検討している。

 筆者が本書のような構想や問題意識を持った理由は、後世の歴史研究者の不十分さのためというより、歴史の中の登場人物たちへの不満に存する。このことを端的に表す文章が本書の最後のページに出てくる。

 筆者は、吉野作造の「民本主議論」を高く評価するものである。その内には、「明治デモクラシー」のすべてが吸収されているからである。二大政党制、普通選挙、社会民主主義だけではなく、悪名高い「主権在君」の容認についてすら、「明治デモクラシー」の「主権問題棚上げ論」の系譜を引いているのである。ただ、吉野がこの4つの主張を、自国の近過去からの継承としてではなく、3年間の欧米留学の成果として提唱したことだけが、惜しまれる。自国の民主主義的伝統を継承発展するものとして自分の思想を訴えていかなければ、次の新思想に簡単に足をすくわれてしまうのである。(p219)

 本書を読むと、筆者の狙い通り、明治から大正にかけて日本で行われていた民主主義についての民主的な議論の様子とその内容の詳細がよく分かり、とてもおもしろい。

 ただ、(史実についてはよく分からないため、それ以外のところについて)いくつかコメントをしておく。

 一つ目は、思想と実践との距離について。本書の中では、思想と実践を特に意識することなく同時に同列に論じている。しかし、思想が直接的に実践に反映されているのは稀なことだ。特に、その時代の先進的な思想となれば、より一層実践との乖離は大きくなる。トマス・モアの『ユートピア』が出されたのは1516年だし、ロックの『市民政府論』は1690年、ルソーの『社会契約論』は1762年だ。歴史がこれらの思想に追いつくのに果たしてどれだけの時間がかかった(かかる)か。もちろん、本書の試みが思想的源流を探ることに限定していれば問題にはならないが。

 二つ目は、筆者の「下(から)」の定義だ。最初に引用したように、本書は日本の近代化について「上から」の変革ではなくて「下から」の動きを捉えるものだ。しかし、本書で考えられている「下」とは“国家(あるいは旧幕府)ではない”という程度の意味である。もちろん、その非国家に属する運動家が普通選挙など「下から」の民主主義の制度・実践を指向したことは間違いないが、その運動自体が果たして(当時においてさえ)「下から」だったと言えるかどうかは留保を付けざるを得ない。

 三つ目のコメントは、(日本史に弱い自分の)個人的な課題でもある。筆者は明治維新以降から現代に至るまでの民主主義の思想に連続性を見出している。これは換言すれば、明治と江戸との間に断絶を想定しているということだ。実際、思想家として最初に取り上げられる人たちは、欧米から思想を学んだという以上のことは書かれていない。しかし、欧米の思想を急に採り入れて確信するようになるにはある程度の前提条件や素養がなければならないだろう。もちろん、欧米からの輸入が大きなウェイトを占めるとしても、その吸収や採用を促した江戸から連なる要素も存在していたと考えるべきだろう(ただ、だからといって日本の先進性を強調したいのではない)。これは丸山真男以降、あまたの研究者が(肯定否定どちらであっても)追究していることだ(と思われる)。この点について、筆者の見解も聞いてみたいものだ。

 いずれにしても、明治から大正期の日本における近代民主制についての議論を描き出す本書は、明治憲法や天皇主権や軍部独裁といった暗い概念によって安易に覆い隠されてしまいそうな歴史的イメージを健全に保つのに非常に有意義だ。

 そして、(やや飛躍的に結論だけ言えば、)日本対西洋という図式の非妥当さや、「日本型」「日本独自」といった類の保守的言説のいかがわしさを改めて確信させてくれる。



〈前のブログでのコメント〉
そうです!この本では、明治憲法制定に際して中江兆民らが唱えた「主権在民」論の敗退、そして、敗退(明治憲法制定)後も解釈などを民主的にしようと努力した事実も書かれています。時代の潮流に流されずに闘った先達たちの存在は、日本国民として誇らしい限りです。逆に言えば、反対の方向に向かわせた人たちの存在は日本国民として恥ずかしい限り。(←これ、正常な感覚でしょう???)

確かに、当時ならエリート型民主主義も成り立ったのかもしれませんが、今は・・・。

「罪を憎んで、人を憎まず」。確かにいい言葉。けれど、戦犯に当てはめるなら、現代の刑法犯にも想像力を働かせて当てはめてほしいものです。
commented by Stud.◆2FSkeT6g
posted at 2005/05/24 02:43
 明治デモクラシーといえば、大日本帝国憲法の制定過程における議論が興味深いです。
 天皇主権を定めたとされる4条で、伊藤博文は「憲法は臣民の権利を守ることにある」と主張して「此ノ憲法ノ条規ニ依リ」という文言の削除を拒んでいます。
 大日本帝国憲法は現行の日本国憲法からすれば立憲主義は後退しているのはたしかにそうですが、起草者は立憲主義の意義・内容を理解し、尊重していたのはたしかだと思います。
 それに引き替え、憲法改正を唱える今の政治家たちは…。
commented by nao◆L49rIMFs
posted at 2005/05/23 18:47
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