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荻上チキ 『ウェブ炎上――ネット群集の暴走と可能性』 (ちくま新書、2007年)
ネット群集というものをウェブの構造(アーキテクチャー)的観点と群集の心理的観点から分析した本。どういう場合にウェブは炎上するのかとか、炎上した場合にはどう対処したらいいのかとかは書かれていない。
事象を印象論に基づいてジャーナリスティックに見るのではなく、学問的蓄積に基づいて冷静に論じているのが良い。
「社会のこととかよく分からないけどブログ持ってる」とかいう人たちにとっては、直接的に役立つ話ではないけど知っていて損のない話だし、主だった事例や理論は網羅されているし、そこそこ分かりやすく書かれているから、よくできた概説書になっていると思う。( ただ、そういう人たちが感情より論理を尊重してくれるかどうかは怪しい気もするけど。)
一方で、社会科学に関心を持ってる人たちにとっては、どこかで見たことがあるような話が多い。( 例えば、群集の心理的分析は、同じちくま新書の飯田泰之『ダメな議論』と同じだし、この飯田本の方が説明が体系的で詳しい。)
でも、この点こそが、ネット群集やブログ炎上といった現象の本質を表している。
すなわち、ウェブ上でも“リアル”な世界でも、結局は同じ人間のすることであって両者に大した違いはない、ということ。
確かに、ウェブ上では、人間の嫌な部分が「可視化」していて、慣れないうちはかなりの不快感を感じるかもしれない。
でも、それも所詮は「可視化」しただけにすぎない。
だから、例えば、有名人ブログのコメント欄が炎上したとき、コメント欄を閉鎖するだけですぐに何事もなかったかのように平穏な日常が取り戻されたりするのは、まさにこのこと(=可視化された見かけや印象以上に実際は大した事態ではないこと)を証明していると言える。
逆に、“リアル”な世界でも炎上が「可視化」することはある。例えば、森内閣、安倍内閣は、まさに“炎上”して、やることなすこと全て批判され退陣に追い込まれている。
結局のところ、ウェブ上でもリアルな世界でも、炎上してても大した事態ではないこともあるし、ウェブ上でもリアルな世界でも、大した事態だから炎上することもあるのだ。同じ人間だもの。( これを知ってるだけでも精神衛生上はだいぶ違うだろうけど。)
そんなわけで、『ウェブ炎上』と題するこの本では、一応、ウェブのアーキテクチャー的な特質の分析も行っているし、ウェブだからこその特性として「可視化」とか「つながり」とかを挙げてもいるけれど、やっぱり、究極的には(そして大抵の場合は)、ネット上も3次元も違わないということを(タイトルや著者の意図の半分とは裏腹に)改めて認識させてくれる本である。