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寺島実郎 『寺島実郎の発言Ⅱ――経済人はなぜ平和に敏感でなければならないのか』 (東洋経済新報社、2007年)
寺島実郎の文章を戦争とマネーゲームの話を中心に集めた本。
相変わらず、背筋を正される思いがする重い発言の数々。
なのだけど、いかんせん、本のつくりが軽薄すぎる。
同じ内容の文が3つも4つも収録されていて辟易する。というか、怒りさえ感じてくる。
これでは、せっかくの腰の据わったマネーゲーム批判も説得力を失う。
それから内容について1つ。
著者は、戦後日本の「経済主義」と「私生活主義」への過度の傾斜を批判し、「徳」のある資本主義のあり方、「公」を伴った生活のあり方を模索し実践せよ、と主張する。
しかし、「ああしろ」、「こうしろ」と上から御託を並べるだけでは、著者自身がもっとも嫌う「無責任な行動」になっていると断じざるを得ない。
(自らの選択の結果として)資本主義と自由主義を基礎に成り立つこの現代社会において、「経済主義」も「私生活主義」も禁止されるどころか促進さえされる。
その中でいかにして人々は「徳」や「公」の心を持ち得るのか。
これは重要な問題だ。
この緊張関係にまで思いを及ぼすことなしに当為論ばかり語ることに(主張者の自己満足以外の)意味はない。
果たして、歴史にばかり知恵を求める著者にこの緊張関係を解く答えを出すことは可能だろうか。
著者の人間観、現実観、学問観からして、それは難しいであろう。
著者が念頭に置くのは常に高貴なるエリート的な人間像だ。
そんな著者に庶民や庶民の行いについて語ることはできまい。
語りえるのはせいぜい、外交のような一部の(優秀な)人間が関わる事象のみであろう。
これがこの人の限界だ。
その点、利己的な人間像を基礎にした経済学(的思考法)に一日も何日もの長がある。
が、著者の現実観や学問観からしてそれを受け入れることはないであろう。
問われているのは強靭な思考の前提だ。
と、色々批判はあるけれど、自分の思考の甘さへの自省を含めて得るところのない本ではない。