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 本田由紀、内藤朝雄、後藤和智 『「ニート」って言うな!(光文社新書、2006年)
 
 
 ライブドアの錬金術をここぞとばかりに非難している大人たちの“錬悪術”を冷静に葬り去る良書。

 本書の問題意識は「はじめに」で以下のような演説調の文で“宣言”されている。

「ニート」言説という靄が2000年代半ばの日本社会を覆い、視界を不透明にしている。この靄の中で日本社会は誤った方向に舵を切ろうとしている。「ニート」言説は、1990年代半ば以降、ほぼ10年間の長きにわたり悪化の一途をたどった若年雇用問題の咎を、労働需要側や日本の若年労働市場の特殊性にではなく若者自身とその家族に負わせ、若者に対する治療・矯正に問題解決の道を求めている。「ニート」は、忌むべき存在、醜く堕落した存在、病んだ弱い存在として丹念に描き出される。「ニート」は、可能な限り水増しされ、互いに異質な存在をすべて放り込んだ形でその人口規模が推計される。「ニート」は、若者全般に対する違和感や不安をおどろおどろしく煽り立てるための、格好の言葉として用いられる。「ニート」はやがて、本来の定義を離れてあらゆる「駄目なもの」を象徴する言葉として社会に蔓延する。
 こうした「ニート」言説のせいで、冷静で客観的な現状分析と、真に有効な対策の構想は立ち遅れている。もはやこうした事態を放置することはできない。靄は払われなければならない。開けた視界のもとで、海図に照らして社会の進路を見定めなければならない時がきている。もう我々を惑わす「ニート」という言葉は使うべきでない。「ニート」って言うな! (pp3-4)

 そんな本書は三部構成になっている。現実を数値などを用いて分かりやすく説明する第一部、「ニート」言説が蔓延する社会の憎悪メカニズムを解明する第二部、本、新聞、雑誌などの「ニート」言説を検証する第三部である。特に、重要かつおもしろいのは本田由紀が執筆している第一部である。(他は読まなくても良いかもしれない。)

 そんなわけで、第一部の「ニート」の現実についての分析を箇条書きで簡単に振り返ってみる。

・日本で「ニート」は次のように定義される。15~34歳の若者の中で学生でない未婚者で、かつ働いておらず、求職行動もとっていない人(p21)。しかし、「ニート」の母国・イギリスでは、その定義は失業者も含む16~18歳で、しかも、本来は、貧困や人種的マイノリティなどによる社会的排除の問題と緊密に結びついていた。

・「ニート」は、働く気のない「非希望型」と、働きたいけれどとりあえず働いていない「非求職型」に分けられ、その数は半々。

・非求職型の人たちが求職行動をとらない理由は、「病気・けが」、「探したが見つからなかった」、「急いで仕事につく必要がない」など。(p35)

・1992~2002年で1.27倍という「ニート」の増加分を担っているのは非求職型「ニート」であって、非希望型「ニート」は増えていない。

・非求職型「ニート」と比較にならないほど増えているのは、若年失業者(92年:64万人→02年:129万人)とフリーター(92年:101万人→04年:213万人)。

・つまり、世間でイメージされる「働く気のない人」という意味での「ニート」(非希望型)は増えておらず、90年代半ば以降の若年失業者・フリーターの増加とともに増えているのが「働く気はある」非求職型の「ニート」。要は、「ニート」の増加は労働需要側(企業)の問題。

・その具体的なメカニズムは次のようなもの。すなわち、90年代半ば以降、これまで新規学卒者の多くを覆っていた「学校経由の就職」が、そのしくみはそのままに規模だけを縮小させ、その空いた部分に大量の「不安定層(失業者、フリーター、非求職型ニート)」が生み出された。(p76)

・これに、日本の学校教育の「教育の職業的意義の希薄さ」が相まって、「学校経由の就職」ルートに乗れなかった若者の多くは、とても選抜性の高くなった労働市場の中で、自分のキャリアを構想し実現に移してゆく手段を欠いたまま放置され続けている(p77)という状態がもたらされた。

・したがって、「学校経由の就職」の特権的有利さと、「職業的意義」の低い学校教育を変える必要。

・解決策:学校を離れた後で、まずいったん大半の若者が非典型雇用(非正規社員)やある程度の時間をかけた求職行動、あるいは、正社員の職をいくつか移動するような模索期間に入り、そして徐々に、かなり安定して長期に働きうる正社員の仕事へと移行していったり、あるいは非正規雇用のままでも生きていくことが可能だったりするというモデル。(p82)
 
 
 非常に説得力のある分析である。

 もちろん、解決策として提示されているモデルは、個人的にはとても魅力的だと思うが、かなりの理想像であって、その状態へ至る道筋や方法が明示されておらず、実現性に乏しい。それに、いわゆる「自分にあった仕事」が見つかる人がどれだけいるのか、肝心な企業側がどこまでこのモデルにメリットを感じられるかなどについて疑問もある。

 ただ、客観的で根拠のある現状分析から導かれた解決策だけに、説得力は高い。
 
 
 さて、第二部と第三部についても簡単にコメントを書いておく。

 まず第二部は、青少年が凶悪化したという方向と、青少年が情けなくなったという二つの方向でマス・メディアが煽ると人々が飛びつくことについて、問題にされる少年たちより飛びつく人々の方がむしろ危険だと問題提起する。そして、「自分の醜い面と似たところを持つ他者を見ると憎悪に満ちた感情が喚起される」という理論でそれを説明している。

 確かに、この近親憎悪的な構造になっているものや、この種の指摘はしばしば見かける。しかし、「なぜ憎悪が喚起されるのか?」について、多少の説明はなされているが、よく分からない。

 なお、この第二部では、著者自身が取材を受けたNHKの教育特集の番組の制作においても「煽り」があった事実や、佐世保の女児による殺害事件の家裁の処遇の「決定要旨」にも煽り的な論理が見られる事実が指摘されている。興味深い事実である。

 それから、第三部は、自分が見ることがないであろう雑誌や新聞の投稿欄などまで渉猟されていてありがたいのだが、整理・評価するスタンスが中途半端なような気がした。つまり、著者自身の主観を排した資料的価値の高い整理やまとめにするのか、あるいは、自分の価値観から徹底的に批判するのか、というどちらかに傾斜せずに、評価や批判がないかと言えばそうでもなく、だからといって批判していても生温いという状態になっているのである。
 
 
 さて、そもそも日本に「ニート」という概念を輸入するのに大きく貢献したのは東大助教授の玄田有史だとされる。それに対して、同じ学者の中からそれに真っ向から反論・論破する動きが出てきたわけである。(ちなみに著者の一人である本田由紀と玄田有史は同僚でもあり、面識もあるとのことである。) 今後は、マスコミの中に「ニート」概念をいたずらに弄んだことに対する自己反省の弁が出てくるか否か、見物である。

 また、「ニート」問題を解決したいらしい杉村太蔵はこの本によってその存在意義を消滅させられたわけである。速やかに政治の世界から退場していただきたい。(個人的には彼は嫌いではないのだけれど。)



〈前のブログでのコメント〉
分析・主張がしっかりしていると議論する余地はありませんね・・・。

強いて言えば、企業の非正規雇用の増加に伴う大量のフリーターの存在に合った社会経済制度を構築することくらいでしょうか。保険とか年金とか。

当然、非正規雇用によって雇用における柔軟性や各種コストの抑制というメリットを(被雇用側の犠牲のもとに)得ている企業から負担を求める方向性であるべきです。経営者以外からは反論はなさそうですが。
commented by Stud.@Webmaster
posted at 2006/01/26 23:46
そういう事かとふに落ちました。
最後の杉村たいぞう先生の話は面白すぎ 笑
commented by やっさん
posted at 2006/01/26 21:41
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