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by ST25
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 稲葉振一郎 『経済学という教養(東洋経済新報社、2004年)
 
 
 経済学勉強熱に乗って、発売直後以来、2年ぶりに読み直してみた。

 元々は「罠にはまった左翼 金子勝を例として」という節に興味を惹かれて買ったのである。ちなみに、この点に関しては、「左翼(サヨク)」というカテゴリーにマルキストからポストモダンから市民社会派(丸山真男など)まであらゆるものを含めてほとんど一緒くたに論じていることに違和感を感じたため、いまいち納得しがいものであった。しかし、経済学・日本経済論の簡潔な整理やその整理に沿った読書案内などは非常に分かりやすくて、有意義な経済学入門であったのは見込み違いの成果であった。

 それまで、経済学的な視点のある経済論争の整理が含まれる本を読んだことがなかったため、やや感動さえ覚えたものだ。この種のマッピング本がないと、読んだ本、読んだ本、全てに共感するという状態になってしまうのだ。つまり、小野善康『景気と経済政策』(岩波新書)を読んでは説得させられ、野口悠紀雄『日本経済再生の戦略』(中公新書)を読んでは共感し、小林慶一郎・加藤創太『日本経済の罠』(日本経済新聞社)を読んでは納得する、という情けない状態になっていたのだ。そこでは、自分の思い込みに捕らわれない開放性があったとも言えるには言えるが、自分の評価基軸が全く築けないでいたわけだ。

 もちろん、この本を読んですぐに自分なりの経済分析や経済政策を評価する基準が作れたわけではないが、それを作るのに寄与する一つの要点を知ることができたのは意味のあることだったと思う。

 とはいえ、今現在もまだ経済分析において自分の依って立つ位置は定まっていない。

 だからこそ、経済学勉強熱がまた高まっているのだ。
 
 
 
 そんなわけで、今回の再読でも特に重要なのは、経済学理論的視点を簡潔に4つに分類(古典的ミクロ経済学、実物的ケインジアン2つ、貨幣的ケインジアン)した第3章である。

 著者は小野善康なども属する「貨幣的ケインジアン」に与している。確かに、この立場に自分も共感は覚えた。しかし、「実物的ケインジアン(ニューケインジアンⅠ)」も捨てがたいように思える。著者はこの立場について、「市場の完全性を理想としている」というようなことを言っているのだが、果たして完全な市場を暗黙のうちに理想とすることはこの立場から必然的に導かれることなのだろうか? もう少し市場に対して醒めた見方でこの立場を取ることはできないのだろうか? ただ、この違いが有する意味については本を読んでいるときは思うところがあったような気がしたのだけれど、今となっては・・・。
 
 
 そんなわけで、やはり地道に経済学を学ぶ必要があることに変わりはないわけで、今、基本テキストを読み進めているのである。



〈前のブログでのコメント〉
まず、「議員立法が多い国」というは(知っている限りでは)先進諸国の中でアメリカくらいだと思います。そして、裁判官の任命に政治的党派がかなりはっきり出るのもアメリカです。これらから推察するに、おっしゃる通り議員立法と裁判所の役割には関係があるようですが、司法に対する政治の優越は保持しているという留保が付くみたいです。

ちなみに、1950年代半ばまでの日本では議員立法が今よりは多かったのですが、特に裁判所の役割は大きくはならず、むしろ、国会自身が色々な制約を付けることで問題のある法律ができるのを防ごうと自助努力をしていたようです。

裁判所が比較的影響力を発揮しているのはヨーロッパでしょう。特に、EUにおいてはそんな事例をしばしば見かけます。まさに、国同士の矛盾や対立を仲裁するために機能しているようです。しかし逆に言えば、裁判所が実質的な影響力を発揮していると考えられる事例が少ないということですが。



やはり憲法学者は条文を文言に則って解釈するだけでなく、その背後にある思想や歴史をも参照して解釈や判断を行うべきだと思います。というか、実際、多くの解釈は条文の文言だけからでは到底導き出せないものばかりだと思います。

多くの憲法学者が法哲学・政治思想などに精通しているのも、そもそもの憲法の存在意義がそのような背後にある思想を実現するためのものだからだと思います。逆に言えば、そのような哲学や思想を顧みない憲法学者は、「憲法(が存在すること)の意味」さえ答えられません。

改めて確認したいのは、学者というのは真実・事実を追究し、それを明らかにすることがその使命だということです。であるならば、最終的な決定は政治的な判断だからといって学者がその問題に口をつぐむのは、学者の存在意義を掘り崩す自殺行為です。そして、そのようなことを推し進めることは、学問の自由と独立を侵害する行為に加担することになります。この点には大筋異論はないでしょうが。



ところで、そもそも自分が判然としないのは、近代政治哲学や近代憲法の観点からして、天皇制の存在がなぜ認められるのかという“理論的な問題”です。「国民(と天皇自身)の同意があるから」というのがその主な理由でしょうが、「国民と本人の同意」があれば「例外」はいくらでも認められるのでしょうか? そんなことは誰も認めないでしょう。そうであるならば、「国民と本人の同意」は天皇制の存在を正当化する理由にはなりえません。やや極端に思われるかもしれませんが、“例外を全く認めない”ところに人権概念の偉大さや意義があると思えばこそ、極端に考えるべきだと思うのです。


天皇制について考えるときに気をつけるべきだと思うのは、(どちらの考えであっても)「そこにあるから受け入れる」という“消極的態度”は、あまりに保守的・現状維持的であって、社会の発展(必ずしも変化は必要ない)に全く寄与しない態度だということを自覚することだと思います。
commented by Stud.@Webmaster
posted at 2006/02/12 01:44
日本は政府提出法案がほとんどで官僚の事前調整が万全のため法律が矛盾しないため裁判所の出る幕はない。
しかし、議員立法が多い国は法律間の矛盾を調整するため裁判所がその解釈に積極的に関わるというのを本で読んだんですが違いますか?

あと去年の択一におっしゃった事が出ました。
このような憲法解釈の変更に関しては、本質的に裁判所ではなく主権者たる民意に従うということが望ましいと思いますね。
枝野さんとかは男系女系に関しては国民投票でもいいくらいだと言ってたと思いますが僕もそう思います。

天皇制及びそれに付随する問題に関しては、裁判所や学者や憲法解釈及び法律解釈云々ではなく政治のレベルで決することなわけで、逆に裁判所や学者が違憲とか言うのは逆に違和感を感じます。

明文なき自衛隊とは別問題だと考えますがいかがでしょう?
commented by やっさん
posted at 2006/02/12 00:02
明文があるから問題がないなんて、まさしく“法律屋”の考えだ!!! これだから法曹は結果的にかなりの程度保守的・現状維持的なのです。いや、裁判官ならそれでいいと思うのですが、憲法学者がそれでいいとは到底思えません。


それから、法律素人なので憲法のテキスト(やや古いものですが)で確認してみたところ、

「規定の多くは、世襲制に関連する特例であって違憲とまではいえないが、皇位継承者を男系の男子に限定していることには、憲法違反の疑いがある。女子が皇位を継承できないことは世襲制とは無関係であり、また、長子・男子優先思想を否定した現行民法を支える社会意識に反し、男女平等、家族の平等の原則に反すると考えられるからである。」

と書いてありました。ここまで言って天皇制自体は肯定しているのはかなり無理があると思いますが・・・。


ちなみに、議員立法における裁判所の役割ですが、ほぼ皆無だと思います。基本的に、日本の裁判所は、“誰が見ても明らかな本当の最低限”を守らせる以外では、政治的な影響力はほとんどないと思います。ですから、実証的には裁判所は無視できるアクターだとしてしまってもいいのではないでしょうか。
commented by Stud.◆2FSkeT6g
posted at 2006/02/11 16:14
明文ある前者と違い自衛隊に関しては確かに。

仏陀に教えを説くようですが議員立法を考える上で裁判所の役割も考える必要がありますね。
commented by やっさん
posted at 2006/02/11 13:31
いやあ、正直、そんな高等なもんでもないです。あまりにも、経済、経済学、市場・・・といったもの(や、そういったものを理解しているらしき人)が幅を利かせているから何とか対抗しようと思っただけです。自分は別に市場や資本主義を否定しているわけでは全くないのですが、くだんの人たちが、大抵、独善的、経済至上主義的だったりと問題を抱えているので、問題意識を駆り立てられたということです。もちろん、純粋に自分のためにもなりますが。


関係ないですが(別の記事の皇室典範論議とは少し繋がりますが)、自衛隊や天皇制を一貫して違憲・不適切だと指摘してこなかった憲法学者というのはやはり断罪されるべきですね。いくら現実主義者だろうと憲法原理や憲法条文から判断するのが憲法学者の仕事のはずです。問題があるなら改憲を主張すればいいだけの話です。結果的に、近年の著しい解釈改憲にも手を貸すことになったのは間違いありません。その点、民法は健全で有益と言えるかもしれません(?)。
commented by Stud.@Webmaster
posted at 2006/02/11 01:23
さすが学徒。頭が下がります。ごまかしかごまかしやないかを判断する力は必要ですね。
オレも早く民法などから脱出したいです。
commented by やっさん
posted at 2006/02/10 21:06
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