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竹中治堅 『首相支配――日本政治の変貌』 (中公新書、2006年)
90年代に行われた一連の政治改革、行政改革という制度変化が、二大政党制を促し、自民党の派閥支配を弱め、その結果、首相(≒自民党総裁)が権力を行使し、リーダーシップを発揮することを可能にしたとする本。そして、その観点から90年代の日本の政界の動きを描き直している。
このような制度がもたらす“動力源”を重視する見方を取ると、帯に書かれた宣伝文句のように「小泉が強いのではない」ということになる。(もちろん、個人の力を全く否定してはいないが。)そして、これからの日本政治の動きをある程度予測することも可能にする。この点、属人的・英雄主義的な解釈・叙述をしている作家やジャーナリストによる本とは違い、いかにも政治学者が書いたものらしい。
著者は、集権的な首相が重要になった現在の日本政治を、「55年体制」との対照で、「2001年体制」と呼ぶ。そして、この「2001年体制」は、細川内閣の下、政治改革の実現が確実になった時点から「成立」過程が始まり、小泉内閣の下で「定着」したとしている。
ただ、「小泉首相のリーダーシップはさすがにずば抜けて特異なのではないか」と思ってしまう者としては、もう一人、別の首相の下での政治運営を見てみるまでは、「集権的な首相」という方向性に変化はないにしても、「2001年体制」の“内容”や“程度”に関しては留保しておきたい。
それから、この本の中で興味深いのは、参議院の強さを強調している点である。すなわち、参議院は任期が決まっていて首相の解散権・公認権が及ばないため、衆議院が首相の意向にますます影響されていくようになるのとは対照的に、その力の強さが注目されるようになるということである。この観点からすると、なんとも青木幹雄らしい次の発言も根拠のないものではないのが分かる。
「 「参院の意向を無視したら法案は何一つ通らんわね。こっちが腹を決めたらそれまでの話だわね。」 」(p200)
この参議院の首相の意向に影響されない独自性という力は、衆議院では辛うじて可決した郵政法案が参議院では否決されたところに見事に現われている。
ただ、であるならば、「9.11選挙」で自民党が圧勝した後に、多くの自民党参議院議員が一転して法案の賛成に回ったことはどのように説明されるのだろうか。参議院は、より近い改選でさえ2007年であって、それまでには2年も間があったわけだし、また、2007年の選挙は小泉首相の任期が切れた後の話である。自民党が参議院で単独過半数を取れていないことを考えても、自民党の参院議員はもっと主張を通せたのではないかという気がする。
ともあれ、非常に流動的な55年体制崩壊以降の日本政治を一貫した視点でまとめ、整理されていて、とてもおもしろく読めた。