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大下英治 『小泉は信長か――優しさとは、無能なり』 (幻冬社文庫、2006年)
2001年に刊行された『小説 小泉純一郎 信を貫いて恐れず』を大幅に加筆・修正した上で、改題して文庫化したもの。
政治家であった小泉首相の祖父の話から、つい最近の「9.11選挙」や「ポスト小泉」の話まで、小泉純一郎に関することを包括的に描いた政治小説。
小泉首相の性格や政治姿勢といったものは一貫したイメージで描かれているから、彼の最近の行動や発言だけでなくて過去の行動や発言も全て統一的に理解できる。したがって、説得的な「小泉純一郎像」なっている。
この本が含まれるかどうかは微妙なところだが、実質的に小泉政権の総括・最終判断をしているような本や(月刊誌上の)論文がすでに出てきている。まだ任期が残っていて、しかも、「サプライズ」の小泉首相がこのまま静かに終わっていくとは考えにくいだけに、さすがに総括するにはまだ早い気がする。「終わりよければ全て良し」なんていうことわざがよく使われるくらい、最後というのは大事だし。
ただ、小泉政権の総括を考える際に重要になると思われることが一つある。それは、「郵政改革は改革の本丸足りえる(た)のか?」ということである。この問いに答えることはここでは措いておくが、この本を読むと、小泉首相は入閣するか否かの条件にするほどに郵政民営化にこだわり、“日本のあらゆる問題の根源は郵政にある”と信じきっていることが窺える。(しかし、小泉純一郎にとっての郵政は、森善朗にとっての戦後教育であり、山崎拓にとっての憲法改正であるというように、他にも例が見られる。)この小泉首相の、ある意味「バカになる」行動を支えているのは次のような信念であるようだ。
「 「あまり政治家は、勉強や、議論をしてはいけない」 」(p226)
あくまで「あまり~してはいけない」ということだが、この自覚的なコミュニケーション不全は、非民主主義的だし、宗教的でもあるだけに、恐ろしさを覚える。
著者は、織田信長に自分を例えるのが好きな小泉首相に対して、「明智光秀は現われるのか?」という、おもしろい問題提起をしている。
しかし、実績を築いてきた小泉首相を超える人気を獲得することはほとんど不可能な現状では、明智の登場はなさそうである。まあ、豊臣秀吉もいない現状では明智だけ出てきても到底ドラマにはならないが。