忍者ブログ
by ST25
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


 東大作 『犯罪被害者の声が聞こえますか(新潮文庫、2008年)
 
 
 NHKのドキュメンタリー番組を基に書籍化したものの文庫化。

 日弁連副会長まで務めた弁護士がその妻を殺されたことで犯罪被害者やその家族が置かれていた惨状に気づき、同じ苦しみを味わっていた人たちと協力して国による補償や裁判に参加する制度の実現を求めて運動し、要求を実現していくまでの苦闘の様子を追っている。

 犯罪被害者が置かれていた惨状(とそれを放置してきた法曹・政治・行政の怠慢・不感症ぶり)には衝撃を受ける。

 例えば、民事で訴えても損害賠償を実際に払われる割合は相当低いこと(殺人事件で7%)、そのため犯罪によって強いられた医療費を被害者が自己負担していること、被害者や遺族は(公開であるはずの)刑事裁判の訴訟記録を見ることが許されていなかったこと、被害者や遺族は裁判の傍聴席を一般人と同じように抽選で確保しなくてはならなかったことなど。(運動の成果もあり、これらは改善されてきてはいる。)

 「 被害の賠償は加害者に払わせることができる 」や「 刑事司法は社会秩序のためのものであって被害者のためのものではない 」といった法律学の教科書的な理解で満足していては認識できない問題の存在を気づかせてくれる。( とは思えない日弁連なんていう団体もあるみたいだけど。こういう感覚のズレが信頼や委任を失わせ彼ら法曹が嫌がる司法の民主化を進めさせる。)

 これらの問題意識を共有した弁護士資格のある自民党議員等の後ろ盾もあり、刑事司法の目的に関し、今では政府は次のように考えている。

社会が個人によって成り立っているように個人もまた社会の中にあるのであって、刑事裁判等において違法性と責任が明らかになり、適正な処罰が行われることは、社会の秩序を回復するというだけでなく、当該犯罪等による被害を受けた個人の社会における正当な立場を回復する意味も持ち、このことは、現実の問題として、個人の権利利益の回復に重要な意義を有している。刑事司法は、社会の秩序の維持を図るという目的に加え、それが「事件の当事者」である生身の犯罪被害者等の権利利益の回復に重要な意義を有することも認識された上で、その手続きが進められるべきである。 (pp396-397)

 これは歴史的な大転換だ。だけど、「社会秩序」なんていう抽象的な言葉で様々な問題を覆い隠してきたこれまでのあり方に問題があったと考えるべきだろう。これまでは、国が国の利益(しかも、“国民なき「社会秩序」”)しか考えずに運用する排他的で自己中心的な法制度だったわけだ。被害(者)を放置したままで何が「社会秩序の維持」なのか。

 今後は、根本が改まっていることを法執行者たちがしっかり認識し、その理念を実現するよう行動していく必要がある。
 
 
 この本は、外国の制度の紹介などもあってNHKの番組(だったもの)らしく、包括的で堅実な作りになっている。けれど、犯罪被害者同様、当人たちには非がない(ことが多い)病気や障害の人たちとの位置づけや扱いの違いはどうなっているのか/どう考えているのかという相対化の視点がなく、疑問として残った。( 例えば、医療費全額タダという主張なんかは他の社会保障制度とのバランスを欠くことになる。)

PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
カレンダー
09 2024/10 11
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
最新コメント
[10/20 新免貢]
[05/08 (No Name)]
[09/09 ST25@管理人]
[09/09 (No Name)]
[07/14 ST25@管理人]
[07/04 同意見]
最新トラックバック
リンク
プロフィール
HN:
ST25
ブログ内検索
カウンター
Powered by

Copyright © [ SC School ] All rights reserved.
Special Template : 忍者ブログ de テンプレート and ブログアクセスアップ
Special Thanks : 忍者ブログ
Commercial message : [PR]