by ST25
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バナナ学園純情乙女組・出戻り公演 『 アンタも喜びなさいよ 』 ( 脚本:中屋敷法仁/演出:二階堂瞳子/2008年7月13日~15日、19日~20日/@桜美林大学徳望館小劇場 、pit北/区域 )
「柿喰う客」主宰の中屋敷法仁が脚本を書き、それを学生(を中心とする人たち)が演出し演じる芝居の第2弾。
行けるかどうか、行こうかどうか、20日当日の朝起きるまで決まらず、結局、朝起きて行くことを決めてパパッと行ってササッと帰ってきた。(とはいえ、終演後の特別ステージまで見てきたけど。)
で、芝居。
つまらない。
ひどい。
ダメなところは基本的に前回と同じ。
なんだか、ただ単に、「普通」からずれた意味不明な脈絡のないことを適当にやってるだけ。一つの作品としてのまとまり皆無。基本的には、一つ一つの場面や動作や言葉の全てには何らかの意味があるべきなんだけど、それとは全く逆の状態が2時間(!)の間ずっと続く。(ほんの少しの例外=話が進むときを除いて。)
まあ、そんな無意味で退屈な芝居だったからこそ、逆に、芝居のメインの話とは別次元にいるみたいだったブルマ姿のシュールな女の子が活きた、というのはあるんだろうけど・・・。
さて、その他に大変に気になったことについていくつか。
観られる側による「観に来い」みたいな言い方が、使い方や使ってる人など色々な要因によって何の問題もなくなることがあることは十分に分かっているけど、それにしても、ここの「観に来い」は、広い冷静な視野を持てなくなって出てしまっただけの、ただの傲慢にしか見えない。
開演前に「アンタも喜びなさいよ!」と怖いどなり声で言われると、ただ単に怖くて、イヤな感じ。 (あれは何がしたかっただんろうか? 観に来てる人たちに何を感じてほしかったんだろうか? 恐縮させたかったのだろうか? 気分が悪い。)
「脚本が全部揃ったのが本番前日」ということを前回に引き続き書いてるけど、同じ言い訳は2度は通じない。(多少は情状酌量の余地あり、ではあるにしても。)
上のリンクと同じ終演後の(演出の人のブログの)記事で、(作品の)「勝ち」を自分で勝手に定義してるけど、「勝ち/負け」を定義して判断するのは、本当に言うまでもなく、観る側であって、作る側では断じてない。
といったようなことは、全て、この劇団が、「自分たちが楽しいことは観る人も楽しいだろう」くらいの甘っちょろいふわふわしたなんとなくの感覚や見込みでやってることに由来する、と思われる。
「自分たちにとって楽しいこと」が即「観てる人たちの楽しいこと」につながるのは一部の天才たちだけだ。
一言で言えば、自己満。
そして、ダメなところは自分たちの「外」のせいにする。
一言で言えば、内輪(ウチワ)。
こういう素人臭・ガキ臭全開なベタなダメさ、気持ち悪さを、この演出をやってる人は若くして重々承知してる人で、期待できると思ってたんだけど・・・。
個人的には、この劇団の中では、二階堂瞳子と菊地佳南による60分くらいの中身の詰まった2人芝居(か例のブルマの「菊地さん」を入れた3人芝居)が観てみたい、と思った。
「柿喰う客」主宰の中屋敷法仁が脚本を書き、それを学生(を中心とする人たち)が演出し演じる芝居の第2弾。
行けるかどうか、行こうかどうか、20日当日の朝起きるまで決まらず、結局、朝起きて行くことを決めてパパッと行ってササッと帰ってきた。(とはいえ、終演後の特別ステージまで見てきたけど。)
で、芝居。
つまらない。
ひどい。
ダメなところは基本的に前回と同じ。
なんだか、ただ単に、「普通」からずれた意味不明な脈絡のないことを適当にやってるだけ。一つの作品としてのまとまり皆無。基本的には、一つ一つの場面や動作や言葉の全てには何らかの意味があるべきなんだけど、それとは全く逆の状態が2時間(!)の間ずっと続く。(ほんの少しの例外=話が進むときを除いて。)
まあ、そんな無意味で退屈な芝居だったからこそ、逆に、芝居のメインの話とは別次元にいるみたいだったブルマ姿のシュールな女の子が活きた、というのはあるんだろうけど・・・。
さて、その他に大変に気になったことについていくつか。
観られる側による「観に来い」みたいな言い方が、使い方や使ってる人など色々な要因によって何の問題もなくなることがあることは十分に分かっているけど、それにしても、ここの「観に来い」は、広い冷静な視野を持てなくなって出てしまっただけの、ただの傲慢にしか見えない。
開演前に「アンタも喜びなさいよ!」と怖いどなり声で言われると、ただ単に怖くて、イヤな感じ。 (あれは何がしたかっただんろうか? 観に来てる人たちに何を感じてほしかったんだろうか? 恐縮させたかったのだろうか? 気分が悪い。)
「脚本が全部揃ったのが本番前日」ということを前回に引き続き書いてるけど、同じ言い訳は2度は通じない。(多少は情状酌量の余地あり、ではあるにしても。)
上のリンクと同じ終演後の(演出の人のブログの)記事で、(作品の)「勝ち」を自分で勝手に定義してるけど、「勝ち/負け」を定義して判断するのは、本当に言うまでもなく、観る側であって、作る側では断じてない。
といったようなことは、全て、この劇団が、「自分たちが楽しいことは観る人も楽しいだろう」くらいの甘っちょろいふわふわしたなんとなくの感覚や見込みでやってることに由来する、と思われる。
「自分たちにとって楽しいこと」が即「観てる人たちの楽しいこと」につながるのは一部の天才たちだけだ。
一言で言えば、自己満。
そして、ダメなところは自分たちの「外」のせいにする。
一言で言えば、内輪(ウチワ)。
こういう素人臭・ガキ臭全開なベタなダメさ、気持ち悪さを、この演出をやってる人は若くして重々承知してる人で、期待できると思ってたんだけど・・・。
個人的には、この劇団の中では、二階堂瞳子と菊地佳南による60分くらいの中身の詰まった2人芝居(か例のブルマの「菊地さん」を入れた3人芝居)が観てみたい、と思った。
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