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1960~1970年代の新左翼運動を闘い、今は死んでいる人たち(運動に絡んで死んだ人が中心だけどそうでない人もいる)の生涯の記録に、その時代の状況や自らも活動家であった著者の感想・感慨を交えて、クセのある筆致で記した本。
取り上げられるのは、樺美智子、高橋和巳、奥平剛士、森恒夫、本多延嘉など27人。
多くが、若さゆえの過激なまでの理想主義、過剰な潔癖さ、(そして、無知)のために運動にのめり込み、若くして命を落とすことになっている。言ってしまえば、若気の至りによる死でもあるだろう。
こうした生を実名で取り上げて公にすることは、なかなか辛いことだ。帯では「27人を悼むの鎮魂の書」となっているし、著者自身にその自覚はないのだろうけど、この本を読んで感じるのは、人の命の虚しさとか儚さだ。
こういう死がたくさんあったればこそ、庄司薫が「若々しさのまっただ中で犬死しないための方法序説」なんてものを書いたのも、改めて納得させられる。(『狼なんかこわくない』の副題)
とはいえ、その一方で、現代に生きる人間として、(命を懸けてまで)理想に生きる生き方が、あるいは、政治という他人に関することに生きる生き方が、どうして可能だったのか、その秘密を探りたい気持ちがある。それが1960~70年代の学生運動への興味を呼び起こす。
が、やはり、この本でも、その秘密は、(ただの安易な)「若さ」でしかなかった。むしろ、この本は、他の本以上にこの要因が強調されているようにさえ感じる。
そんなわけで、命を懸けて理想に走る人生に「おっ」と感じつつも、結局、その動因が「若さ」(か年をとってると偏狭なイデオロギー)だと知ってがっくりきて、最後には、空しさと儚さだけが残る本だった。
ちなみに、著者はもう運動からは抜け出しているようだけど、「国家権力」なんていうやたらと抽象的な言葉を多用したり、衝突での警察官の死者は名前も状況も書かずさらっと済ませていたり、依然、冷静で公平な視点でものを見ることはできていない。
それから、学生運動とかをその当事者が回顧する類の本での、その現実の多くの実害にもかかわらずの、楽しそうな感じには、いつもながら嫌悪を覚える。