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橋本治 『失楽園の向こう側』 (小学館文庫、2006年)
コミック誌に連載されていた、小説家・評論家による人生や恋愛や社会問題についてのエッセー。
評論家らしい新奇な切り口から語っていて目を見開かされたり、評論家らしい怪しげな事実認識に首を傾げたり。で、良くも悪くも、いかにも評論家によるエッセー。
そんな中、「なるほど~」と、自分が一番納得したのが「愛」についての話。
「 私は、「愛情」を共有している「愛する二人」と、「人生」を共有する「人生のパートナー」とを区別している。ということはつまり、「愛する二人」と「人生を共有するパートナー」とは違うということである。なぜかと言えば、「愛する二人」が共有するものは「愛」だけで、まだ「人生」を共有していないからである。二人の人間が「愛」を共有する――つまり「愛し合う」ということは、人の一生でそうそう簡単に起こりうるものではない。(中略) 「愛し合う」という強烈な関係が成り立つのは、ある一時的なものなのである。
しかし、「愛し合う二人」というと、どうしてもそれは「人生を共有する二人」であると思われてしまう。それはつまり、「今愛し合っているんだから、このままでいれば“人生を共有するような二人”になるだろう」という、「願望」や「推量」や「無責任な祝福」があるからである。
「愛し合っている」という状態と「人生を共有している」は、往々にして違う。 (中略)
「愛し合う二人」というのは、だいたい人生とは無縁のところにいる。 (中略)
結婚が「愛のゴール」であり「人生のスタート」だというのは、そういうわけで(ある。) 」(pp181-184)
と、つらつらと書き写していたら、そういえば、「恋人と結婚相手は違う」という類いの、結婚適齢期以降の人たちに重くのしかかる話と近いなあと思った。
とはいえ、「愛する二人と人生のパートナーは違う」なんて明快に言われてしまうと、「愛と人生を共生させる結婚」という自分の中での「結婚の平均的(!)イメージ」が、いかにハードルが高いものかというのを思い知らされ、ただただうな垂れてしまう。
なんて思うほど、自分は、理想と現実を混同してないし、人生に楽観的でもない。 (とはいえ・・・・、人間だもの・・・・)
〈前のブログでのコメント〉
- 苦笑
- commented by やっさん
- posted at 2007/03/08 14:45
何とか笑えましたか(爆笑)- commented by Stud.◆2FSkeT6g
- posted at 2007/03/08 19:11